2006年2月16日木曜日

GPLから知財を守ろう

GPL(GNU General Public License)の欠点は、知財(IP: Intellectural Property)を公開しなさいという、押し付けがましいライセンスだということに尽きる。GPLの特徴は、GPLでライセンスされたプログラムを改変したり、それを利用するプログラムを配布する際は必ずソースコードを公開しなくてはならない、というものだ。

ソフトウェア開発の重要なメリットは何よりコストを低くできること。プログラマの知識や経験に対する対価は高くつくが、設備投資が必要な製造業より、PCがあれば開発できるという手軽さは何よりの強みだ。それゆえ、GPLの持つソースコードを誰でも利用できるようにするという性質は、新製品を開発したところで、競合他社にコピーされてしまい、独自の技術と呼べるものではなくしてしまう。

けれど、ソフトウェアがコピーできることが問題なのではない。広くソースコードを公開することによって、オープンソース開発のコミュニティを広げ、機能追加、バグの早期発見&修正が促進されることは多々ある。ソースを公開し、製品を利用するためのサポートビジネスを主に展開するところも多い。GPLの本当の問題は、自分の開発したプログラム、すなわち「知財」を公開しないという選択肢が与えられないところだ。つまり、GPLライセンスを持ったプログラムを利用した場合、自分の知財の放棄を強要されるわけだ。個人認証など、セキュリティの肝となっている部分にGPLプログラムを利用できないのは明らかだ。
(ライブラリの形で利用する場合はソース公開のライセンスは適用されないというLGPLもあるが、プログラムをリンクして使う、つまり、ソースコードにヘッダをincludeするもの、単に通信して利用するものなど、さまざまな形態がありうるにもかかわらず、ライセンスの適用範囲が非常に曖昧だ。)

GPLを推進するFree Software Foundation(FSF)が目指すものは、まさに、知財が個人の所有物となることを防ぐことである。ソフトウェアの開発に、特許侵害を懸念していては、健全な開発ができないという思想である。確かに、特許という審査に時間のかかるものとソフトウェア開発は相容れない。submarine特許による脅威に常にさらされているのもソフトウェアだ。それに、自分のソースコードを自由に使っていいというcontribution(貢献)のおかげで、かなりのソフトウェアが成長してきたことは明らかだ。

けれど、自分が公開しているのだから、あなたのソースコード、つまり知的財産も公開しなさいという主張を、他に押し付けなくてはいけないというのは、非常に心苦しい。当然、企業はGPLプログラムには参入しにくい。フリーで手にはいるものをわざわざ買う顧客はいない。 ソースコードの開発者は本当にGPLを選択する必要があったのだろうか。GPLを付与しているプログラマがすべて、FSFと同じ主張だとは思えない。

GPLを採用しつつも、顧客企業に非GPLの形でソースコードを提供できるデュアルライセンスの形をとっているところもある。MySQLや、BerkeleyDBのSleepycat(先日ORACLEに買収された)がこの形を取れるのは、プログラムをほぼ100%自社開発しているからである。コミュニティによるcontributionは少数のパッチやバグ報告で、主要な機能はすべて自己で開発している。この場合のGPLの役割は、開発者にGPLを適用することを押し付けて、ソースへの改良や、それを応用したプログラムすべてのソースコードを自社のものとすることにある。 Sleepycatの収益の70%がライセンス契約によるものという話であるから、GPLによる束縛を避けて、知財を非公開にしたいという需要が大きいことが見て取れる。

形が違うだけで、これではGPLソフトウェアといっても、proprietary(商業)ソフトウェア専門のMicrosoftと大きな差異はないように思われる。結局は、自社開発。企業側は、ソースをGPLにすることで逆に知財保護に利用している(これが行き過ぎで、他の知財剥奪になるのが問題)。FSFが掲げる特許に縛られないソフトウェアの世界とはかけ離れている。いろんなプログラムを利用して新しいものを気楽に作るという目標から逸れてきている。今では、GPLは自社製品への囲い込みを狙うMicrosoftより性質が悪いと感じる。

(確かに、大学の書類等もOffice製品のフォーマットで囲い込まれてしまって、Officeの購入を余儀なくされるという腹立たしい現状はあるが、それは、むしろ、安易に製品を選択する大学側の意識の問題である。Officeの信頼性を検証をしたという話は聞いたことがない)


拡張自在のブラウザFirefoxで注目を集めるmozilla.orgのMPL(Mozilla Public Licence)は、その点、知財に関して注意が払われている。MPLが適用される部分に改変を加えた場合はソースを公開しなければならないが、MPLとは独立に自分で開発したソースコードは非公開とすることができる。こちらのほうが知財の放出を強制されることもなく、よっぽど健全であろう。 自分の書いたソースコード、つまり知財がコミュニティの中でどのように進化するかも見てとることができる。

オープンソースソフトウェアに関しては、日本OSS推進フォーラムでよくまとめられている。

GPLに関しては、こちらのリンク集が詳しい。

6 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

もう少し反応を期待したのに議論にならない…。国外ではとっても話題になっているのに。

日本のソフトウェア産業が弱いから、あまり興味ないのかも。みなさま。

匿名 さんのコメント...

重いのかも知れません。
私個人の考えでは,GPL は素晴らしい選択肢の一つです。
確かに,押し付けがましい点はあります。しかし,それは最初から判っている事で,それが問題なら GPL のソフトウェアを使わなければ良いだけの話です。
あくまでも当事者間の問題であり,ライセンスの一形態としての GPL の存在をどうこう言うのは,筋違いかと考えます。
…という話を組み立てようとしたんですが,GPL について知ってることは多くなく,うまく組み立てることができませんでした orz
# 経産省の資料は良さそう。読んで勉強してみます。

匿名 さんのコメント...

あら。Anonymous になってしまいました。
上のコメントは私です。失礼いたしました。

匿名 さんのコメント...

しくしく。

匿名 さんのコメント...

投稿のやり方がよく判らず,荒らしてしまいました。ごめんなさい (__)

匿名 さんのコメント...

> ゆきのぶくん
いえいえ。がんばってコメントしてくれてありがと。

上のブログからは、GPLがviral(伝染性)ライセンスだから批判しているような印象になるかもしれません。でも、僕は、そういう一面が嫌いではありません。企業にとって、GPLであるが故に、それを使うために企業がコミュニティに貢献せざるを得ない状況を敢えて作っているところは、少数のプログラマが大企業に対抗するのに必要不可欠だったわけだし、こういったレジスタンス的な活動は、むしろ大好きです。

GPLライセンスの製品には巣晴らしいものが多々あります。主要なオープンソースプログラムはGPLへの対応済みであって、一度GPLの輪の中に入ると幸せでしょう。

でも、そこからGPLから抜け出し、GPL以外の選択肢を取るのは相当大変です。僕の主張は、安易にGPLを選択しないで、ということです。GPLの選択は確かに当事者間の問題ですが、内容をよく吟味せずにGPLを選択する当事者が増えてしまうのは困り者だと、僕は思っています。

ソース公開義務を課したり特許による攻撃を防ぎたいならMPLや、その微修正版のSunのCDDLがあります。copyrightの表示だけを義務付けたいなら、New BSDライセンスも使えます。Apache License v2.0なら、著作物を改変した人の名前も追うことができるようになります。

でも、オープンソース開発後進国の日本では、GPLがv3になろうとしているのに、こうしたことが驚くほど話題になっていないのです。少なくとも、GPLが有名だから、という理由で、GPL採用する人には歯止めをかけたいのです。種々のライセンスを使う人には、それなりのメリットや理由があります。でも、それを理解するには日本語の情報源があまりにも少ないと思うのです。

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