2009年4月1日水曜日

論文の先にあるもの

研究が論文を書いて終わりでないなら、こんな心配をする必要はないはず。
自明なことを述べた論文は掲載されない(中略)「原理が複雑であまり便利でないシステム」の方が論文として 発表されやすくなってしまう
論文査読のシステムでは、確かに、査読者のめぐりあわせ次第で、重要な技術でも適切に評価されないことがある。けれど、もし本当に便利でないのならば、将来的に引用されることもなく、実用化もされず、論文の海の中に埋没するだけではないだろうか。

本当に便利なものだけを学会・論文誌に載せたい心情は理解できるが、実際、技術の本当の便利さがわかるのは、研究の結果が世に出てからのこと。つまり、便利さや将来的な世の中へのインパクトというのは、未来に起こる話であって、研究成果を発表する時点でそれを実証せよというはなんとも酷なように感じる。
(査読で便利なシステムを取り上げられない)問題を解決するのは簡単で、 論文の発表とその評価を分けてしまえば良い。 論文を書いたらすぐそれをWebにアップし、読者に評価をまかせてしまうわけである。
Google Scholarで調べられるような論文の引用数や、ビジネスなどへの実用化という観点からみると、現行の査読システムでも、既にこの機能はうまく働いているように思う。最近では論文のダウンロード数なんて指標も使える。けれど、査読なしでオープン評価の方式を採った場合、著者自身が既にある程度注目を集めている人でないと、Webに公開しただけで読んでもらえたり、重要さを理解してもらうのは相当難しい。これでは、Webで目立つ人の論文ばかりが取り上げられ、「本当に便利な研究」を拾い上げる方向にはつながりそうもない。

増井さんのエントリには、おそらく無意識のうちに、研究のゴールを「論文を学会・論文誌で発表すること」に据えている様子が見え隠れする。(増井さんは、本棚.orgなどのサービスを動かしていたりと、論文を書いた後の実用性までちゃんと意識していることはよくわかるのだけれど)

世の中への貢献を意識せず、「論文を書けば、誰かが読んでくれるだろう」という姿勢でいることは、研究者、特に、これから研究の道を志す博士課程の学生にとって、とても不幸なことに思う。世の中との接点をないがしろにしたまま研究をしてるいると、いつしか研究に注ぎ込んだ時間の意味を見失い、もし論文が採録されなければ、自分の仕事への自信、価値判断が崩壊しかねない。

研究の「便利さ」が見出されるのは、近い未来かもしれないし、もっと長くて何十年後かもしれない。それでも、自分の研究の成果が、どのように世の中にインパクトを与えることができるかを考え、そしてそれを一番理解してくれる、あるいは実用化につなげてくれる環境に身を置くことが、研究へのモチベーションの維持するためにも、さらには研究を埋没させないために最も大事なことだと思う。

もちろん、研究成果を論文にすることにはとても価値があるのだけれど、それが考えられる「最高」の価値ではないことも知っておくべき。論文を発表するより、実際に起業して研究成果をサービスにして世に送り出す方が、世の中にはるかに大きなインパクトを与える可能性があるから。

(研究に関するこの話題については、実例を含めたよい話があるので、後日紹介します。追記:この記事です Leo's Chronicle: Ullman先生からのアドバイス)

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しかし、現実問題として、研究の実用化には時間がかかるものなので、コミュニティによって質が保たれた論文を発表する学会や論文誌というのは、世間での注目度を高め、研究者にとっても、世の中にインパクトを与えるために非常に効率の良いステージとなっていることはお忘れなく。良い研究があぶれてしまうのは、どんどん広がっていく研究分野の割に、質が維持されたコミュニティの絶対数が足りないだけなのかもしれません。

4 件のコメント:

mac さんのコメント...

こんばんは。

CACM の Ullman の記事にも似た観点の話がでていました。Ullman の記事はいつも面白い。
http://cacm.acm.org/magazines/2009/3/21781-advising-students-for-success/fulltext

以下の部分。"My theory is that, while getting a doctorate and entering the research arena is a high calling, it is not the highest possible calling. A startup can have more impact on our lives than a thesis. "

Taro L. Saito (leo) さんのコメント...

> macさん

しーっ!その記事はまたこのブログで紹介するのでまだ内緒ですw

mac さんのコメント...

しまった:p

話は戻って
> 世の中との接点をないがしろにしたまま研> 究をしてるいると、いつしか研究に注ぎ込> んだ時間の意味を見失い、もし論文が採録> されなければ、自分の仕事への自信、価値> 判断が崩壊しかねない。
については(正直)思い当たる経験あります。論文を最終的なアウトプットにしてしまうと、この状況に陥ってしまうリスクがありますね。

インパクトの少ない論文が沢山あるより、インパクトの大きい1つの論文の方が重要だとも思います。インパクトいうのは引用数ももちろんありますが、根本的には実世界への貢献度合いが本質的には大きい。

Taro L. Saito (leo) さんのコメント...

> macさん
僕も(正直)思い当たる経験があります。というか、苦い思いをしたので書いているというかw

> インパクトの大きい1つの論文の方が重要だとも思います。

僕もSIGMODに通ったので、これが実感できるのですが、Ph.D.を取る前とか、論文がrejectされ続けている間にこの価値判断をするのがなかなか難しい。

実世界の貢献度合いを実感するために、プログラムを書いているとは思います。必要だからコードを書いて、それが研究になっていく、というケースも多いように思います。

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