2008年3月17日月曜日

大学の若手研究者ができる4つのこと・実践編

情報関連の研究では、日本は欧米を中心としたコミュニティから取り残されています。このことは、ここ数年のTop Conference/Journalでの日本のpresence(存在感)をみるだけでもよくわかります。この状態を危惧して、tatemuraさん「大学の若手研究者ができること」と題して以下の4つを提言しています

(1)英語のレジュメを書いてみる(書かせてみる)
(2)日本語論文を書かない(書かせない)
(3)無駄な学会を退会する
(4)官僚との付き合いを減らす

日本語論文を書かない」という点については、僕自身、既に6年実践しています。そもそも、東京大学 の情報科学科というところ(大学院ではComputer Scienceという名称)は、学部の卒業論文から英語で書かせる伝統があって、英語で論文を書くということは、研究をする上でのボトムラインという感覚が染み付いています。この意味では、「英語で書かせる」というのは、教育的にはいい方法だと思います。

東大生と言えど、皆が英語が流暢なわけでも、英文を書き慣れているわけでもないので、最初に出来上がってくる文章はひどいものですが、経験を積んでいくと、だんだんいい文章が書けるようになってくるようです。ここで苦労している時点で既に、英語圏で普通に研究をしている人たちに差をつけられているので、日本語で書く暇があったら、日頃から英語で書く練習をしないと、ますます差がついてしまいます。

tatemuraさんも言っていますが、日本人の頭脳や技術力が必ずしも劣っているとは、僕も思えません。(とある先生に同じ話をしたところ、向こうの研究者はもっと賢いんだよ、と言われましたが(汗))。それはともかく、新しい技術や、自ら開拓した研究分野を、「英語」で「わかりやすく」伝える技術を併せ持った人が、日本にどれだけいるのでしょうか? という話です。SIGMOD, VLDBのようなデータベースのtop conferenceに通すためには、英語のnativeと言えども、数ヶ月を書けて論文を、個々のフレーズに至るまで吟味するそうです。ミーティングで文章を議論して、2時間でようやく1パラグラフ進んだという話も聞きます。僕としても、「日本語で書かない」を実践した、というよりはもっと単純な理由で、「日本語でまで論文を書く余裕がない」というのが本音です。

研究者として、一番面白くないことは、自分の仕事(論文)に対して何も反応がないことだと思っています。ブログを書く動機だったり、絵や音楽などの作品を作る情熱だって、何らかの反応を求めてるから生まれてくるものだと思います。ビジネスだったら、売れる、ということ。だから、たとえ論文が採録されたとしても、Reviewerの反応が素っ気なかったり、後続研究が出なかったら(つまり売れなかったら)がっかりするものです。(ブログに関しては、直接のコメント等がなくても、のちのち、いろいろなキーワードで検索されていることを知ると楽しいものですが)

日本語でわかりやすく研究を伝えるのも大事な仕事ですが、それはどう頑張っても日本の閉じたコミュニティでしか売れないことを覚悟しないといけません。読む側の立場から見ても、SIGMOD, VLDBの文献を追うだけでもかなりの労力を要するので、英語論文に決して引用できない日本語文献は、必然的に読まなくなっていきます。国際的に影響力のある人が、日本語で発表できているなら、世界の風が日本にも流れてきて良いのだと思いますが、現在のようにそのルートが閉ざされてくると、コミュニティは国内に閉じる一方なんだと思います。

ただ、研究者を目指す人にとって、日本における博士課程までの学生生活というのは必ずしも、経済的に恵まれたものではありません。比較的、財政的に豊かな東京大学ですら、博士課程の学生の授業料を全員免除するには至っていませんし、アルバイトをしながら、PhDや、職を得るために、通しやすい日本語で論文を書いている、という事情もあると思います。学生という理由だけで、保育園へ子供を入れる優先順位が他の人より下げられてしまうなど、社会全体として、世界最先端の研究者を育てる風潮がないのも確かだと思います。高校生までの教育問題は報道等で好き勝手に論じても、大学以降の、特に情報系の現在のようなpresenceの低い状態や、学生の待遇については、世間で議論されている様子はちっとも伺えません。

無駄な学会を退会する」 は、まだ学会のPCを依頼されるような、一人前の研究者にはなっていないので、そういう身分になってから考えます。ただ、Fellowならまだしも、ただ の学会の会員というのには、どんな価値があるのかよくわからない、というのがあるので、メーリングリストを読む以上の会員にはなっていません。

官僚との付き合いを減らす」というのも、まだ、どうコメントしていいかよくわからないところです。日本の劣勢を覆す土台となる学生の研究生活の改善のためには、社会的地位の低い学生として博士を取得する苦労を知っている人が、官僚となって働いている方が都合が良いと思うことが多々あるからです。むしろ、現状を鑑みる限り、もっと学者が参政しないといけないと感じています。

最後に、「英語のレジュメを書いてみる」という点。これが実践できていないことが、ここのところ心残りだったので、今日、自分のCurriculum Vitae (CV:履歴書)を書いてみました。海外の若手研究者と比べると寂しい限りですが(tatemuraさんの記事は、この寂しさを認識させたいという意図でしょう)、このCVを充実させ、常に世界に向けて情報を発信していくことを念頭に努力していきたいと思います。

4 件のコメント:

mac さんのコメント...

これだけ internet が普及したので、国内学会は研究だけ考えると存在意義が怪しい。とはいえ master 学生が研究をやる日本では国際会議のハードルが高いのである程度は必要かなと。あと企業側のニーズと大学側のシーズをつなげる場としての学会があるべきだけど、これもなかなか乖離がある。これは国際会議もその傾向はある。

アメリカの大学の教授はやはり優秀です。教授は教えることで学生からフィードバックを受けるし、学生も教授から何かを得ようと頑張っている。

英語論文書くことも重要だし、さらに読むスピードも重要。一つの授業を取っても、週に 10本弱ぐらいの研究論文を読む宿題が出る授業もありました。1学期を経るだけでその分野での基礎はほとんど身に付くと。もちろん書くことに比べれば速読は比較的簡単に身につきますが。

leo@chronicle.org (Leo) さんのコメント...

> macさん

貴重な情報をありがとうございます。さすがにこれは体験者ならでは。

そういえば、Masterの学生から研究をするのは、日本特有なんでしたね。発表の場がないと芽すらでないかもしれないので、そういう意味では国内学会は重要なのか。

大学から企業していくと、Googleのように学者を大事にするポリシーをもった企業が出てくるんですよね。まぁ、それは成功したからこそ、できるようになったことなのだとは思うけれど。

ワシントンのDBグループの講義内容は僕もWebでたまに見ていますが、
http://data.cs.washington.edu/
その1週間に10本、週に2回、最先端の論文を読む、最先端の研究者の話を聞くというクラスだと、すぐに前線に入っていける学生が育ちそうですよね。short paperを書いて、研究さながらに演習を行うのはいい課題だと思います。

ふゆき さんのコメント...

ほんとにその通りだと思う.
自分の場合「研究」がまともにできていないので耳が痛いけど.
分野的にも職場的にも求められるものは全然違うとはいえ,「研究」というより「企画」みたいなことばっかりやっていた一年だったよ.
今度話を聞かせてね~.

leo@chronicle.org (Leo) さんのコメント...

>ふゆきくん
折り合いをつけて、研究に打ち込めるといいんだけどね。こちらは、バイオ系にも携わっているので、今年度は、そっちの開発の方が忙しかった。。。。

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