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2010年1月3日日曜日

EU基準から見ても多すぎる日本の債務残高


大前研一氏の「「知の衰退」からいかに脱出するか?」によると、日本の財政赤字はEUに加盟しようとしても即座に断られるほどだそうだ。どういうことか気になって調べてみると、EU加盟の経済収斂基準というのがあり、そこに
財政:過剰財政赤字状態でないこと。
(財政赤字GDP比3%以下、債務残高GDP比60%以下)
と書かれている。財政支出、債務残高のGDP比を見ると、2008年の日本の財政赤字はGDP比の2.6%で、債務残高はGDP比の170%にもなっている。(wikipedia: 国内総生産 GDP)

2009年度の日本の実質GDPが520兆円規模なので、その3%は15.6兆円。これが国債を発行してよい基準額のはずだが、2010年度予算で44兆円国債を発行するようなので、GDP比の8.4%ということになり、EU基準を大幅に上回ってしまう。

財務省による2009年度の各国の債務残高のデータを見ると、日本の債務残高のGDP比が170%から189%に悪化しており、EU基準の債務残高のGDP比60%以内どころか、他国に比べても圧倒的に悪い水準だ。EUに相手にされないというのも頷ける。

日本の対外債務は? 世界の対外債務国ワースト20をグラフ化してみる」という記事を見かけたが、これを見る限りは日本の債務残高は大したことのない額のようにみえる。しかし、このデータは上に挙げた財務省のデータと大きく食い違いおかしいと思っていた。このデータによると、イギリスの対外債務のGDP比が408.3%ということで、EU基準と大きく外れていてEUに残っていられるはずがない。財務省のデータの方では、イギリスの債務は2008年の57%から2009年の75.3%になっているので、最近になってEU加盟国として危ない状況になったとわかる。(参考までにWikipedia: EU加盟国の債務状況)

何も上記の「対外債務国ワースト20」の記事のデータが間違っているわけではない。この元になったWorld Bankによる各国の対外債務のデータがこちらにある。そして、ここで使われている対外債務(External debt)の定義がこちらのPDFで読める。結局比べているものが違うのだ。債務残高として「日本の国債(bond)」と「海外諸国の対外債務(External debt)」という、そもそもの定義が違うものの値を比べることに大した意味はないし、日本の債務の深刻さから目を背けさせるという意味で悪影響とすらいえる。(イギリスもアメリカも国外からお金を借りまくっているという認識は間違いではないが)

日本の抱えている負債には、年金の支払い義務と、公的債務(地方債・国債)の2つがあり、年金債務は800兆円、公的債務も800兆円になると言われている。日本国民の金融資産1500兆円を考慮しても、借金はすでに返済不可能な状態になっている。なぜこの状態が放置されてきたのか? 政府は借金を返さなくてもいいと思っているし、まともに年金を払おうとしてもすでに払えない。だからできるだけこの問題から目を背けようとさせている。例えば「改革」のため、あるいは「生活」のため。よく耳にしたお題目ではないだろうか。政権が代わっても、問題の本質を深く考えさせない政治のありかたは大して変わっていない。大前氏に言わせれば、
政府側の(短期間で配置換えさせられ責任も問われない)官僚機構だけが得をして、国民がかぎりなく損をするという構造になっている。
ということだ。

今回挙げたデータは、インターネットで検索すればすぐ見つかるようなものばかりだが、「なんだ、日本はまだ大丈夫なんだ」と安心させて「思考停止」に導くような情報には注意してほしい。ゼロベースで予算を見直すという民主党のマニフェストも、うやむやのままにさせてはいけない。研究者も仕分けされた一部の科学予算が復活したからといって安心していてはいけない。「考える力」を失うことのダメージは自分たちに直接返ってくる。

大前氏のテキストは考える力を養うための役に立ってくれるし、そしてドラッカーなどの著作もそうだが、著者の「考え」そのものを学ぶのではなく、「考え方」を学ぶために読むべきで、そうして自ら「考える力」をもった人が育つことが何よりも大切に思う。(身近なところでトレーニングを始めるなら、区議・市議会の議事録を眺めてみるとよい。大きな方針もなく些細な議論、とんでもない議論に始終しているかわかるはずだ。例えば、千葉の県議会の議事録で選択的夫婦別姓に関する意見を見ると、こんなロジックが破たんした議論を堂々と言える場所なのかと寒気がした。考えなしに議員に政治を任せているとこんな恐ろしい議論がまかり通ってしまう)

2007年12月3日月曜日

「格差」「雇用」「グローバル化」「特許」

Leo's Chronicle: 「格差社会」 は、重いテーマでした。今週のEconomistには、日本の雇用形態についての特集がありました。かつての日本の終身雇用と、アメリカのように移動の激しい雇用形態の中間の形はないものか、と。

大局的に見れば、雇用形態が変化しつつある今、企業側も新しい形を模索している最中とはいえ、その中にいる人にとっては自らの問題ですから、いくら良い方法があったとしても、簡単には変えられないのが大変なところです。

今の時代、仕事の内容が変化するのはある程度避けられないことだと思います。そういう中で、決まった場所で、安定して働けるようにするのは、企業と働き手の双方に相当な努力が必要なことでしょう。

スティグリッツが訴えるのは、利益を追い求めるあまり、人として道徳的に当然のことがあまりにもできていないという事実です。労働力や貿易が先進国に優位な形で性急にグローバル化することで、次の仕事に移るトレーニングを積む間もなく仕事を失い、犠牲になる途上国の人々がいる。市場が開放されたところで、途上国が先進国と対等に貿易を行うためには、そのための道路、生産体制などのインフラが必要なのです。さらに、農業勢力が強いアメリカの農作物は補助金付けにされているので、対等な立場の貿易にはなりえません。価格が安くなることで仕事を失うのは、むしろ途上国の側です。たとえ先進国でも、GDPは上がっても、グローバル化に対応できない国内向けの企業は、理不尽に不利益を被り、結果として終身雇用を維持できない、高所得者との「格差」が広がるなどの弊害を生み出しています。

僕の研究分野にも関連することですが、アメリカでは、遺伝子特許を多く認め、難病に関する薬を途上国に高く売る製薬会社の利益を守る政策が続けられています。これらの企業の利益を守った結果、研究への意欲をそぎ、病気の解決への道を閉ざしてしまっているという意味で、人類全体にとっての不利益を生み出している構造なども挙げられています。新しい発見をしても、特許侵害として高額なライセンス料を課せられてしまっては、研究を続けるのはかなり難しいことでしょう。

ソフトウェアに関する特許もしかり。特許に抵触するかもという恐れが、開発への意欲を奪うというのは、僕自身も開発者として体感するものがあります。
特許があまりに広い範囲をカバーしている場合、違う分野で、違う文脈で、特許と同じ内容のプログラムを偶然再発見、再開発してしまうことがあるからです。たとえ理不尽な請求であったとしても、特許訴訟のコストははかりしれません。 この恐怖から逃れるために、開発者の間では、ソースコードとその内容について特許を主張しない制約を持ったApache Software License (ver 2.0)が普及してきています。

遺伝子特許の場合は、厳然とそこにあるものを見つけただけであって、本来、個人や企業に所有されるべき類のものではないはず。Michael Crichtonの「NEXT」という小説にも、このような今のバイオビジネスの現状を皮肉った話がありましたが、理不尽に企業の利益を守るために、病気の解明、より良いプログラムの開発といった、人類の利となるものへの研究が、不当に抑えられている現状は、打開していかなければならないと思います。

2007年11月27日火曜日

「格差社会」 

随分前に買った、スティグリッツ教授の本(Making Globalization Work: 邦題「世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す」)を本棚から取り出して読み始めたのですが、日本の読者向けへの冒頭で、「格差社会」についてこう書いています。
日本のような民主主義国家で、「格差社会」が進行した場合、やがては社会的不公平感に突き動かされた「持たざる者」の不満を抑えようと、政治的リーダーが彼らに実現不可能な非現実的な公約をとりあえず提示するといった憂慮すべき事態を招く。
2006年11月に邦訳版が出ているので、2007年の現状を見て言っているわけではないのです。予想ではなく、過去の知見から得られたであろう正確すぎる洞察。

国民のためといいつつ、行政の現状は国民に対してとても冷たいものになっています。分かりやすいのは、年金のための財源確保に消費税を、という論調。年金着服とか、データ管理のずさんさばかり取り上げられているけれど、それは管理の問題であって、制度の問題ではない。

社会保険庁のデータを見てみると、平成18年度でも20〜40代の加入者の納付状況は50〜60%程度しかありません。年金は、理念として、年代に応じた保険料を国民全体から集めて、インフレリスクに対応し、生活に必要な額を確保できるというもの。けれど、強制徴収の権限が与えられながら、これだけしか徴収できてないという状況は、職務怠慢としか言いようがありません。こんな回収率なのに破綻しないで済んでいるのは、厚生年金から補填されているというから、国民年金に加入していないサラリーマンの人も全く無関係ではなく、むしろ被害者です。 

この事情があるにも関わらず、数千万の給料や退職金を役人に払い続け、年金は絶対守ると実現できそうもない建前を政府は掲げています。天引きされてしまうために、税金や保険料の徴収やその使い道に無頓着なサラリーマンは、自ら腰を上げようともしない。骨抜きにされてしまっているんですね。少子化が年金制度を危うくするという議論は、大前提として100%であるべき徴収率の問題をすっとばした、とても飛躍した議論になってしまっています。

年金を盾に消費税を上げて、10年前と同じように景気が停滞したら、そちらの方の被害が甚大だと思います。たとえ年金がなくなっても、累進課税ではなく、ロシアのように一律13%のフラットタックスを取り入れた方が、どんなに国民は幸せになることか。

1000万の所得があっても、今は所得税33%、住民税10%とられて税金は430万。これが130万になれば、残り300万で、自分に投資するために大学に入って数年間勉強や、研究を続けられるだろうし、日本の教育のレベルも上がって、新しい仕事も創出できるというもの。最高税率40%+10%=50%のものが、これだけ低くなるなら、年金がなくても、年金としてもらえそうな分は事前に回収できるし、労働時間を減らして稼ぎを少なくしたとしても、仕事以外のことに使える時間が増えてきます。皆がインフレや、為替の値動きによるリスクを減らすことを考え、余剰資金を活用するようになれば、今まで国際銀行や大企業に方よりがちだった投資も、国民に身近な地方銀行や中小企業が活躍できる場が増え、地域の活性化にもつながるでしょう。

変化の大きいこの時代に、一つの仕事に縛られ、動けないようだと大変です。グローバル化が進んで、今のビジネスが成り立たなくなることもあるでしょう。役所仕事のように、効率化を測らず時間が過ぎるのを待つ人。マニュアル通りで代わりがいくらでもいる仕事に、安い賃金で自分の時間を売ってしまう人。そんな人たちが増えるような環境だと、よい意味でも悪い意味でもグローバル化が進んだ際に、機を逃してしまったり、本当に何もできない人ばかりの国になってしまいます。

MLBに渡ったヤンキースの松井秀喜だって、野球だけをしているように見えるけれど、HRを狙うのではなく、状況に応じたバッティングに切り替えることで、打点を稼ぐ打者として結果を残しています。つねに変化することを念頭に置いて仕事に取り組むことが必要なんです。

だからといって、変化に対応できないことや、格差が生じるのを、「個人の努力が足りない」と安易に帰着させてしまってはだめなんですね。今の税金や仕事に関する行政のあり方だと、変化することが困難になっています。少し努力して稼ぎを増やしても、その分課税や保険料も増えるので、生活水準を良くすることにはつながらない。

他にも、8時間+残業という労働体系は、親が子供と対話する機会を極端に奪うものです。それなのに非行の増加、学力の低下の原因を親、しかも母親に押し付けるという不合理さ。教育委員会が「親育」とか「食育」という言葉を掲げる裏にも、時間に余裕ができた人と、そうでない人の「格差」というものを感じます。本当は「朝食を摂らない生徒とそうでない生徒との間で、学力に有為な差が見られた」という事実を広めるだけでいいのに、一度成功し「格差社会」の上位に立った人が、底辺で働く人たちの労働環境や税制の事情を考慮せずに、自分の主張だけを押し通そうとしている感がある言葉です。

一人親家庭なら、食事を作って、子供を学校や保育園に送り、8時間労働し、19時に帰宅できたとしても、買い物、食事を作る、洗濯、子供の世話をしたら、どれだけ自分のために使える時間が残っているというのか。そもそも、良い職を得たり、新たなビジネスを起こす目的で勉強する時間を確保しようとしても、保育園はいっぱいで子供は預かってもらえないことも多々あります。8時間超の勤務を維持できないと働きながら大学にも通えない。結局、キャリアにならない低収入のアルバイトをせざるを得ない。自らを変化させるのに必要な余裕がなくなってしまうでしょう。


補助金を増やす、社会保障を増やす、だから増税だという以前に、既に税金だけでなく、「時間」という教育、子育てに必須で、なおかつ国民生活の充実度を上げるために大切な資源も搾取されているのです。こういう問題を棚上げにして、スキャンダルの追求に走る、選挙のために大事な議論を何年も先送りにする、国民の共通の見解を構築しない(できない)国会の流れには、辟易してしまいます。

郵政民営化は時間をくれるの? 道路公団の無駄遣いをへらしても(減ってないけれど)影響は合った? 防衛庁のスキャンダルが明らかになったところで、防衛という観点からはとても深刻な不祥事だけれど、生活は向上しないよ? 「再チャレンジ」といったところで、そのために必要な時間とお金はもう搾取してるでしょ? 選挙のたびに、生活の質や、変化に対応する能力の向上にとって、本質的ではない議論が繰り返され、有権者もなんとなく違和感を感じながらも、選挙結果を玉虫色に解釈する政治手法に丸め込まれてしまう。そもそも骨抜きにされているから、投票率も6割を超えない。

生活第一を訴える民主党ですら、本当に国民生活に大事なテーマの選び方から間違っている、あるいは冒頭に挙げた引用のように、とりあえず「持たざる者」の不満を抑えるために、「生活を良くする」というお題目を掲げ、ちょっと税金を減らしたり、官僚の無駄遣いを減らすだけではちっとも解決しないような本当の問題に真剣に取り組む政策、姿勢は提示していない。

こうした建前にだまされないためには、せめて税金は確定申告して自分で払うようにすると、搾取されている実感が沸くし、自分を守るために、選挙に行く気にもなるでしょう。あとは、政治家、役人の言うことを鵜呑みにしないこと。例え東大卒だとしても、学部で卒業する彼らの多くは研究をするトレーニングを積んでいないので、自分の掲げる政策や、データの裏にある仮説の検証を行っていません。

感覚的にこうだ、この政策がいい、という人のなんと多いこと。Ph.D.を持った政治家がいたとしても、インタビューを行う報道側も、学部を出ただけの人が多いせいか、学者の知識を引き出して議論を深めようとすることは、今の日本ではほとんど見受けられません。勉強熱心で、もの知りな政治家の意見だとしても、検証を重ね、根底にある真実を見極めようという研究者の姿勢を持たない限り、ただの戯れ言でしかないと思います。

422 + 242 = 722人も国会議員がいて、一つのテーマしか議論が進まないなんてなんと嘆かわしいことか。顔が売れているだけの議員のどこが良いのか僕にはちっともわかりません。庶民の感覚と近い人が褒めたたえられたりもするけれど、それってただの知識も洞察もとぼしい素人じゃない。これを、同じ1500万の給料を払って、Ph.Dをとれるくらい、議論と実践、検証を進められる能力のある人たちの集まりにできたら、どんなに良いことかと思います。「スティグリッツはこう言っているが、日本ではどうか?、データを集めて、検証しよう。」とか、「我々の研究結果では、このような福祉政策を取るのが適しているし、道理にもかなう。国民に信を問わなくては。」という流れで、議論が進み、結果として選挙が行われることを切に願います。

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