2008年11月9日日曜日

たった一つの準備で勉強会は変わる

この記事で伝えたいことは一つ。

建設的な議論を始めるには、準備が必要だ。

本について語るなら、まず本を読む。輪講なら、自分が発表者でなくても、ざっと本に目を通してわからない点をチェックしておくこと。

たったこれだけの準備で、グループでの議論は実りあるものになります。本に書かれている以上の話ができるからです。その段階までいかなくても、わからなかった点を周りの人に確認し、本の内容をより深く理解することができます。

準備をしてないとこうはいきません。まず、なぜこの本を読んでいるかわからない参加者が出ます。さらに、本の紹介者の話がわからなくなると、その段階で思考が停止する。あるいは明後日の方向の議論が始まってしまいます。輪講や勉強会のようにその場で内容を尋ねられるならまだ救いようがありますが、ブログのように対話的(interactive)な議論が難しいメディアでは、理解を深める術がありません。本を読んでないから教えて、というのが通用するのは、その人が教えるに値する場合だけだと考えてください。(知見のある先達であったり、内容に詳しくなくて当然の他分野の研究者など)

大学での研究生活を通して輪講をする機会は幾度となくありましたが、参加者が本を読まなかったときの不毛さには目も当てられませんでした。本の知識は読んできた人だけのもので、読まなかった人には見せかけの充実感だけが残ります。発表側には、自分で本を読み解く以上のものは得られず、プレゼンという参加者へのサービスの重荷が増えるだけです。ですから、今では、受け身の参加者しか集まらなさそうなときは輪講を開いていません。

このような話をしているのは、梅田望夫氏がTwitterでした以下の発言に対するネットでの炎上の様子があまりにも幼稚であるから。
はてな取締役であるという立場を離れて言う。はてぶのコメントには、バカなものが本当に多すぎる。本を紹介しているだけのエントリーに対して、どうして対象となっている本を読まずに、批判コメントや自分の意見を書く気が起きるのだろう。そこがまったく理解不明だ
梅田氏は「ウェブ進化論」などの著書で、ネットをとりまく急速な変化と、そのまっただなかに放り込まれてしまった現代の若者にエールを送り続けています。著書への感想をブログに書いてトラックバックを送信した人には、賛否両論含めてブックマークしているし、内容にも目を通しているそうです。この行動を見ていると、自分と異なる意見も含めて、彼が建設的な議論を欲しているのが伺えます。初対面の人と対談するときも、その人のブログなどをあらかじめ読んでいくから、昔からの知り合いのように話が弾むといいます。

準備をした上で議論することがいかに面白いか。その面白さを知ってしまうと、その準備をしてこない人への興味が途端に失せてしまうのでしょう。何も難しいことを要求しているわけではありません。準備はとても簡単。

同じ土俵で議論をするためには、何よりもまず、本を読むこと

本の内容をすべて理解することを要求しているわけではないし、言葉で書かれたものの解釈は、聞く人のバックグラウンドによって変わるのが普通です。むしろ、その違いが面白く、新しい発見につながることもあるのです。違う観点からの解釈で、内容の理解を深めることあります。

今回話題になっている本は、「日本語が亡びるとき」という書籍。Amazonで注文してからまだ届いていないので、議論に参加できないのが残念ですが、英語でしか本当の意味で活躍できる道が残されていない研究者として、思うところがふんだんにあります。本を読んだあと、またブログで感想を書きたいと思います。

(追記)このあと、「日本語が亡びるとき」についてはいくつか雑多な記事を書きましたが、以下のエントリが、一番僕の伝えたいことをまとめているかと思います。

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