2005年8月25日木曜日
Blogを書いているのは
日本語の練習のため、でもあると思う、普段、自分から文章を出力するときは、大抵プレゼンテーションのように短い言葉で要点を伝えることが多いため、完全 な形の文を書くことがかなり苦手になっている。文体も、堅苦しい「~だ」という表現や、ですますのように柔らかい表現を使って文を終える2種類が混ざって しまい、とてもきれいな日本語とはいえない。
けれど、文章を組み立てるための思考や、日本語文章のタイプ(普段は、プログラムのためのタイプ、むしろキーボード操作が多い)など、僕にとっては非日常だった動きを取りいれることは、新鮮であり、自分のためになっているという実感もある。
日頃、英語を習得することばかりにやっきになっているが、自国語を十分に使えていないというのも情けないので、この場所を自己の向上のために使っていこう。
けれど、文章を組み立てるための思考や、日本語文章のタイプ(普段は、プログラムのためのタイプ、むしろキーボード操作が多い)など、僕にとっては非日常だった動きを取りいれることは、新鮮であり、自分のためになっているという実感もある。
日頃、英語を習得することばかりにやっきになっているが、自国語を十分に使えていないというのも情けないので、この場所を自己の向上のために使っていこう。
NW-HD1
NW-HD1は、SONYの初代HDDウォークマンで、デザインが秀逸、20Gの大容量、バッテリーの持ちも当時のiPodが8時間だったのに対し30時間と文句なしの出来で、5万以上もするのに関わらず、予約までして発売日当日に入手したものです。
それから1年で、NW-HD2, 3, 5 と後継機種が出てきましたが、機能的には大きな差異は無く、デザインに関していえば初代のものが一番僕好みであるという事実は揺らがなかったため、NW- HD1に対してますます愛着は増し、日々、音楽・語学学習と活用している道具となっています。これで5万なら、十分元はとった気がしています。
ただ、NW-HD5と比較して唯一不便だと思っていることは、USBケーブル経由で充電できないこと。日常の使用程度なら、充電も1週間おきの間隔で済ん でいるので、どうしてもUSBを使わなくてはいけないということではないのだけれど、海外旅行で、長時間フライトの伴(とも)として使うには、30時間 (最近は、20時間くらいまで容量が減ってきた)では、やや心許ない。したがって、クレードル型の充電器も荷物として持って行くわけだが、NWシリーズの ACアダプタは国内専用であるため、海外の電気事情にあわせて変圧器も必要になる。 ノートPCのACアダプタなどは、電源コネクタを持って行けば大抵そ のまま使えるのに、、、、。ノートPCは仕事柄必需品なので、そこから充電できたら荷物がかなり減ったはず。惜しい。
それから1年で、NW-HD2, 3, 5 と後継機種が出てきましたが、機能的には大きな差異は無く、デザインに関していえば初代のものが一番僕好みであるという事実は揺らがなかったため、NW- HD1に対してますます愛着は増し、日々、音楽・語学学習と活用している道具となっています。これで5万なら、十分元はとった気がしています。
ただ、NW-HD5と比較して唯一不便だと思っていることは、USBケーブル経由で充電できないこと。日常の使用程度なら、充電も1週間おきの間隔で済ん でいるので、どうしてもUSBを使わなくてはいけないということではないのだけれど、海外旅行で、長時間フライトの伴(とも)として使うには、30時間 (最近は、20時間くらいまで容量が減ってきた)では、やや心許ない。したがって、クレードル型の充電器も荷物として持って行くわけだが、NWシリーズの ACアダプタは国内専用であるため、海外の電気事情にあわせて変圧器も必要になる。 ノートPCのACアダプタなどは、電源コネクタを持って行けば大抵そ のまま使えるのに、、、、。ノートPCは仕事柄必需品なので、そこから充電できたら荷物がかなり減ったはず。惜しい。
2005年8月24日水曜日
2005年8月16日火曜日
子供が好きということ
親になって初めて、子供が好きというのは、本当はこういうことなんだ、と実感する。言葉でどう違うと説明するのは非常に難しいが、だけれども、これは、自分で子供を育ててみないとわからない感覚であることは断言できる。
NHK「おかあさんといっしょ」の体操のお兄さんだった、ひろみちお兄さん(佐藤弘道)も同じようなことをいっていた。子供は好きだと思っていたけれど、自分が親になって、子供が好きとはこういうことなのか、というのがわかったと。
自 分の子供を育てていくうちに愛情が深まるというのはもちろんなのだが、それが、他の子供にまで波及するのが、この感覚の不思議なところだ。つまり、 自分の子だけではなく、他の人の子供までかわいく見えてくるのだ。そして、道を歩くと、世の中にこんなにたくさんの子供がいることに気付くようになる。ま るで、子を持つ前の自分は、いったい何をみていたのかがわからなくなるくらい、外を歩けば、ベビーカーにのった赤ちゃんや、子連れの親子に注意が向く。そ して、かわいい、と素直に思える。
電車の中、公園などでも、子供を連れていれば、見知らぬ人同士でも、子育ての過程を知っているだけに通じ合うも のがあるためか、自然に会話を始めることが できる。「何歳ですか?」 「そろそろ立っちできるかな?」など、話題には困らない。子供への興味、つまり、子供が好きという気持ちが互いに伝わるから、 見知らぬ人に話しかけるという、とっても勇気のいる行動が、何の気なしにできてしまうのだと思う。
もちろん、このように「子供が好き」と 言っても、さすがに、子供ならみんな好き、とまではいかない。好みの顔でない子もいるし、生意気言う子にはカチンと くることもある。自分の子供だって、言うことを聞かなかったり、悪さをしたり、と腹立たしいことは当然ある。けれど、子育ての苦労があるとはいえ、根底に は「子供への愛」がしっかりと育まれているのだ。
この「子供が好き」という感覚、自分の親も、そういう気 持ちを持っていたんだろうなぁと思うと、感謝してもしきれないのだが、その気持ちを親に実際に伝え るのは、恥ずかしくて、なかなか素直になれないところもある。子供にとって、親の子への愛は当然のものであって、改まって感謝するようなものではない感覚 があるから、余計に難しい。
この「子供が好き」という気持ちを知ってしまうと、子供を襲う悲劇のニュースを聞くと、とてもいたたまれなくなる。交通事故で子供が死ぬような話をきくと、親の悲しみが自分のことのようにわかってしまう。
拉致被害者の家族の心境などは、子は死んだかもしれないというあきらめの上に、生きているかもしれないのに連絡手段が遮断されているという状況であるから、想像を絶する。
昨 今、少子化が騒がれているが、この「子供への愛」、「子供が好き」という気持ちを知っている人が少なくなっているということでもあり、寂しいことである。とは いえ、子供がいても、これは主婦にまかせきりで一切子育てをしない男などにはわからない感覚だろうから、そのような管理職が多い(と思われる)日本企業 に、子育てで得られる「子供が好き」という感覚が伝わるわけもなく、子供を育てながら働ける企業ができてくるとは思えない。そういうわけで、少子化からの脱 却には悲観的にならざるを得ない。
自治体も、少子化対策のためにお見合いサポートなんてとんでもない政策はやめて、実際にあらゆる人に子 供を育てさせてみればいいのではないだろうか。自分 の周りに子供がたくさんいることに気付くことができれば、タバコをところかまわず吸っていた人も遠慮するようになるかもしれない。仕事場に子供が来ても、 大丈夫な雰囲気作りも必要。子供が病気の時に、周りがその大変さを理解してあげられるようにもなる。少子化対策は、短期で効果が得られる性質のものではな いけれど、だからといって、子供が周りにいることに鈍感な人たちを目覚めさせる行動を怠ったままでいると、どんどん子育てがしにくい世の中になって、「子 供が好き」という素晴らしい感覚が失われていってしまう。
この感覚を伝えていくことが大事。自ら実践していくことにしよう。
NHK「おかあさんといっしょ」の体操のお兄さんだった、ひろみちお兄さん(佐藤弘道)も同じようなことをいっていた。子供は好きだと思っていたけれど、自分が親になって、子供が好きとはこういうことなのか、というのがわかったと。
自 分の子供を育てていくうちに愛情が深まるというのはもちろんなのだが、それが、他の子供にまで波及するのが、この感覚の不思議なところだ。つまり、 自分の子だけではなく、他の人の子供までかわいく見えてくるのだ。そして、道を歩くと、世の中にこんなにたくさんの子供がいることに気付くようになる。ま るで、子を持つ前の自分は、いったい何をみていたのかがわからなくなるくらい、外を歩けば、ベビーカーにのった赤ちゃんや、子連れの親子に注意が向く。そ して、かわいい、と素直に思える。
電車の中、公園などでも、子供を連れていれば、見知らぬ人同士でも、子育ての過程を知っているだけに通じ合うも のがあるためか、自然に会話を始めることが できる。「何歳ですか?」 「そろそろ立っちできるかな?」など、話題には困らない。子供への興味、つまり、子供が好きという気持ちが互いに伝わるから、 見知らぬ人に話しかけるという、とっても勇気のいる行動が、何の気なしにできてしまうのだと思う。
もちろん、このように「子供が好き」と 言っても、さすがに、子供ならみんな好き、とまではいかない。好みの顔でない子もいるし、生意気言う子にはカチンと くることもある。自分の子供だって、言うことを聞かなかったり、悪さをしたり、と腹立たしいことは当然ある。けれど、子育ての苦労があるとはいえ、根底に は「子供への愛」がしっかりと育まれているのだ。
この「子供が好き」という感覚、自分の親も、そういう気 持ちを持っていたんだろうなぁと思うと、感謝してもしきれないのだが、その気持ちを親に実際に伝え るのは、恥ずかしくて、なかなか素直になれないところもある。子供にとって、親の子への愛は当然のものであって、改まって感謝するようなものではない感覚 があるから、余計に難しい。
この「子供が好き」という気持ちを知ってしまうと、子供を襲う悲劇のニュースを聞くと、とてもいたたまれなくなる。交通事故で子供が死ぬような話をきくと、親の悲しみが自分のことのようにわかってしまう。
拉致被害者の家族の心境などは、子は死んだかもしれないというあきらめの上に、生きているかもしれないのに連絡手段が遮断されているという状況であるから、想像を絶する。
昨 今、少子化が騒がれているが、この「子供への愛」、「子供が好き」という気持ちを知っている人が少なくなっているということでもあり、寂しいことである。とは いえ、子供がいても、これは主婦にまかせきりで一切子育てをしない男などにはわからない感覚だろうから、そのような管理職が多い(と思われる)日本企業 に、子育てで得られる「子供が好き」という感覚が伝わるわけもなく、子供を育てながら働ける企業ができてくるとは思えない。そういうわけで、少子化からの脱 却には悲観的にならざるを得ない。
自治体も、少子化対策のためにお見合いサポートなんてとんでもない政策はやめて、実際にあらゆる人に子 供を育てさせてみればいいのではないだろうか。自分 の周りに子供がたくさんいることに気付くことができれば、タバコをところかまわず吸っていた人も遠慮するようになるかもしれない。仕事場に子供が来ても、 大丈夫な雰囲気作りも必要。子供が病気の時に、周りがその大変さを理解してあげられるようにもなる。少子化対策は、短期で効果が得られる性質のものではな いけれど、だからといって、子供が周りにいることに鈍感な人たちを目覚めさせる行動を怠ったままでいると、どんどん子育てがしにくい世の中になって、「子 供が好き」という素晴らしい感覚が失われていってしまう。
この感覚を伝えていくことが大事。自ら実践していくことにしよう。
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