2007年11月27日火曜日

「格差社会」 

随分前に買った、スティグリッツ教授の本(Making Globalization Work: 邦題「世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す」)を本棚から取り出して読み始めたのですが、日本の読者向けへの冒頭で、「格差社会」についてこう書いています。
日本のような民主主義国家で、「格差社会」が進行した場合、やがては社会的不公平感に突き動かされた「持たざる者」の不満を抑えようと、政治的リーダーが彼らに実現不可能な非現実的な公約をとりあえず提示するといった憂慮すべき事態を招く。
2006年11月に邦訳版が出ているので、2007年の現状を見て言っているわけではないのです。予想ではなく、過去の知見から得られたであろう正確すぎる洞察。

国民のためといいつつ、行政の現状は国民に対してとても冷たいものになっています。分かりやすいのは、年金のための財源確保に消費税を、という論調。年金着服とか、データ管理のずさんさばかり取り上げられているけれど、それは管理の問題であって、制度の問題ではない。

社会保険庁のデータを見てみると、平成18年度でも20〜40代の加入者の納付状況は50〜60%程度しかありません。年金は、理念として、年代に応じた保険料を国民全体から集めて、インフレリスクに対応し、生活に必要な額を確保できるというもの。けれど、強制徴収の権限が与えられながら、これだけしか徴収できてないという状況は、職務怠慢としか言いようがありません。こんな回収率なのに破綻しないで済んでいるのは、厚生年金から補填されているというから、国民年金に加入していないサラリーマンの人も全く無関係ではなく、むしろ被害者です。 

この事情があるにも関わらず、数千万の給料や退職金を役人に払い続け、年金は絶対守ると実現できそうもない建前を政府は掲げています。天引きされてしまうために、税金や保険料の徴収やその使い道に無頓着なサラリーマンは、自ら腰を上げようともしない。骨抜きにされてしまっているんですね。少子化が年金制度を危うくするという議論は、大前提として100%であるべき徴収率の問題をすっとばした、とても飛躍した議論になってしまっています。

年金を盾に消費税を上げて、10年前と同じように景気が停滞したら、そちらの方の被害が甚大だと思います。たとえ年金がなくなっても、累進課税ではなく、ロシアのように一律13%のフラットタックスを取り入れた方が、どんなに国民は幸せになることか。

1000万の所得があっても、今は所得税33%、住民税10%とられて税金は430万。これが130万になれば、残り300万で、自分に投資するために大学に入って数年間勉強や、研究を続けられるだろうし、日本の教育のレベルも上がって、新しい仕事も創出できるというもの。最高税率40%+10%=50%のものが、これだけ低くなるなら、年金がなくても、年金としてもらえそうな分は事前に回収できるし、労働時間を減らして稼ぎを少なくしたとしても、仕事以外のことに使える時間が増えてきます。皆がインフレや、為替の値動きによるリスクを減らすことを考え、余剰資金を活用するようになれば、今まで国際銀行や大企業に方よりがちだった投資も、国民に身近な地方銀行や中小企業が活躍できる場が増え、地域の活性化にもつながるでしょう。

変化の大きいこの時代に、一つの仕事に縛られ、動けないようだと大変です。グローバル化が進んで、今のビジネスが成り立たなくなることもあるでしょう。役所仕事のように、効率化を測らず時間が過ぎるのを待つ人。マニュアル通りで代わりがいくらでもいる仕事に、安い賃金で自分の時間を売ってしまう人。そんな人たちが増えるような環境だと、よい意味でも悪い意味でもグローバル化が進んだ際に、機を逃してしまったり、本当に何もできない人ばかりの国になってしまいます。

MLBに渡ったヤンキースの松井秀喜だって、野球だけをしているように見えるけれど、HRを狙うのではなく、状況に応じたバッティングに切り替えることで、打点を稼ぐ打者として結果を残しています。つねに変化することを念頭に置いて仕事に取り組むことが必要なんです。

だからといって、変化に対応できないことや、格差が生じるのを、「個人の努力が足りない」と安易に帰着させてしまってはだめなんですね。今の税金や仕事に関する行政のあり方だと、変化することが困難になっています。少し努力して稼ぎを増やしても、その分課税や保険料も増えるので、生活水準を良くすることにはつながらない。

他にも、8時間+残業という労働体系は、親が子供と対話する機会を極端に奪うものです。それなのに非行の増加、学力の低下の原因を親、しかも母親に押し付けるという不合理さ。教育委員会が「親育」とか「食育」という言葉を掲げる裏にも、時間に余裕ができた人と、そうでない人の「格差」というものを感じます。本当は「朝食を摂らない生徒とそうでない生徒との間で、学力に有為な差が見られた」という事実を広めるだけでいいのに、一度成功し「格差社会」の上位に立った人が、底辺で働く人たちの労働環境や税制の事情を考慮せずに、自分の主張だけを押し通そうとしている感がある言葉です。

一人親家庭なら、食事を作って、子供を学校や保育園に送り、8時間労働し、19時に帰宅できたとしても、買い物、食事を作る、洗濯、子供の世話をしたら、どれだけ自分のために使える時間が残っているというのか。そもそも、良い職を得たり、新たなビジネスを起こす目的で勉強する時間を確保しようとしても、保育園はいっぱいで子供は預かってもらえないことも多々あります。8時間超の勤務を維持できないと働きながら大学にも通えない。結局、キャリアにならない低収入のアルバイトをせざるを得ない。自らを変化させるのに必要な余裕がなくなってしまうでしょう。


補助金を増やす、社会保障を増やす、だから増税だという以前に、既に税金だけでなく、「時間」という教育、子育てに必須で、なおかつ国民生活の充実度を上げるために大切な資源も搾取されているのです。こういう問題を棚上げにして、スキャンダルの追求に走る、選挙のために大事な議論を何年も先送りにする、国民の共通の見解を構築しない(できない)国会の流れには、辟易してしまいます。

郵政民営化は時間をくれるの? 道路公団の無駄遣いをへらしても(減ってないけれど)影響は合った? 防衛庁のスキャンダルが明らかになったところで、防衛という観点からはとても深刻な不祥事だけれど、生活は向上しないよ? 「再チャレンジ」といったところで、そのために必要な時間とお金はもう搾取してるでしょ? 選挙のたびに、生活の質や、変化に対応する能力の向上にとって、本質的ではない議論が繰り返され、有権者もなんとなく違和感を感じながらも、選挙結果を玉虫色に解釈する政治手法に丸め込まれてしまう。そもそも骨抜きにされているから、投票率も6割を超えない。

生活第一を訴える民主党ですら、本当に国民生活に大事なテーマの選び方から間違っている、あるいは冒頭に挙げた引用のように、とりあえず「持たざる者」の不満を抑えるために、「生活を良くする」というお題目を掲げ、ちょっと税金を減らしたり、官僚の無駄遣いを減らすだけではちっとも解決しないような本当の問題に真剣に取り組む政策、姿勢は提示していない。

こうした建前にだまされないためには、せめて税金は確定申告して自分で払うようにすると、搾取されている実感が沸くし、自分を守るために、選挙に行く気にもなるでしょう。あとは、政治家、役人の言うことを鵜呑みにしないこと。例え東大卒だとしても、学部で卒業する彼らの多くは研究をするトレーニングを積んでいないので、自分の掲げる政策や、データの裏にある仮説の検証を行っていません。

感覚的にこうだ、この政策がいい、という人のなんと多いこと。Ph.D.を持った政治家がいたとしても、インタビューを行う報道側も、学部を出ただけの人が多いせいか、学者の知識を引き出して議論を深めようとすることは、今の日本ではほとんど見受けられません。勉強熱心で、もの知りな政治家の意見だとしても、検証を重ね、根底にある真実を見極めようという研究者の姿勢を持たない限り、ただの戯れ言でしかないと思います。

422 + 242 = 722人も国会議員がいて、一つのテーマしか議論が進まないなんてなんと嘆かわしいことか。顔が売れているだけの議員のどこが良いのか僕にはちっともわかりません。庶民の感覚と近い人が褒めたたえられたりもするけれど、それってただの知識も洞察もとぼしい素人じゃない。これを、同じ1500万の給料を払って、Ph.Dをとれるくらい、議論と実践、検証を進められる能力のある人たちの集まりにできたら、どんなに良いことかと思います。「スティグリッツはこう言っているが、日本ではどうか?、データを集めて、検証しよう。」とか、「我々の研究結果では、このような福祉政策を取るのが適しているし、道理にもかなう。国民に信を問わなくては。」という流れで、議論が進み、結果として選挙が行われることを切に願います。

2 件のコメント:

mac さんのコメント...

深い内容の話です。

社会保険庁の話は、江戸時代だったら切腹だと天声人語にあったと思います。昔のお上は厳格に仕事をしていたので、「お上」という言葉自身に重みがありましたが、今のずさんさはひどい。

working poor の問題も重たい。道端に転がっている空きビンと同じ感覚で、浮浪者を見てしまう自分がいることも、否定できない。

これまで企業戦士を生み出してきた土壌が、確かに家庭に負担をかけてしまい、凶悪な犯罪に影響をしているとも思う。また、未だに教育制度は変化せず、相変わらずの受験第一主義は(意外と)変わっていない。ただ昔よりも、会社でも昇進枠が少なくなっているので、割り切りをしている人は増えているのではないかとも思う。

日本の会社の制度はかなり疲弊してきています。グローバル化に合わない点は、終身雇用的な考え方(これはこれで重要なんですが)、社員をヘッドハントできる人事制度の欠如(逆のパターンもあります)、企業買収に対する抵抗感など。

leo@chronicle.org (Leo) さんのコメント...

> macさん
重いテーマでしたが、読んでいただいてありがとうございます。今週のEconomistには、日本の雇用形態についての特集がありました。かつての日本の終身雇用と、アメリカのように移動の激しいものの中間の形態はないものか、と。

大局的に見れば、雇用形態が変化しつつある今、企業側も新しい形を模索している最中とはいえ、その中にいる人にとっては自らの問題ですから、いくら良い方法があったとしても、簡単には変えられないのが大変なところです。

今の時代、仕事の内容が変化するのはある程度避けられないことだと思います。そういう中で、決まった場所で、安定して働けるようにするのは、企業、働き手の双方に相当な努力が必要なことでしょう。

スティグリッツが訴えるのは、利益を追い求めるあまり、人として道徳的に当然のことができなくなることがあまりにも多いという事実です。仕事や貿易が先進国に優位な形でグローバル化することで、犠牲になる国の人々がいる。たとえ先進国でも、GDPは上がっても、その中で理不尽に不利益を被る人が増え、結果として「格差」が広がっている。

研究に関連することなら、遺伝子特許を多く認めたり、難病に関する薬を途上国に高く売る製薬会社の利益を守るため政策を続けるアメリカ。これらの企業の利益を守った結果、研究への意欲をそぎ、病気の解決への道を閉ざしてしまっているという意味で、人類全体にとっての不利益を生み出している構造なども挙げられています。

ソフトウェアに関する特許もしかり。特許に抵触するかも、という恐れは、開発への意欲を奪うというのは、僕自身も開発者として体感するものがあります。

特許があまりに広い範囲をカバーしてしまう場合、違う分野で、違う文脈で、特許と同じものを再発見、開発してまうこともあります。

遺伝子の場合は、厳然とそこにあるものを見つけただけであって、個人や企業に所有されるべき類のものではないはず。Michael Cricktonの「NEXT」という小説にも、このような今の現状を皮肉った話がありましたが、理不尽に企業の利益を守るために、病気の解明、より良いプログラムの開発といった、人類の利となるものへの研究が、不当に抑えられている現状は、打開していかなければならないと思います。

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