Leo's Chronicle: 「格差社会」 は、重いテーマでした。今週のEconomistには、日本の雇用形態についての特集がありました。かつての日本の終身雇用と、アメリカのように移動の激しい雇用形態の中間の形はないものか、と。
大局的に見れば、雇用形態が変化しつつある今、企業側も新しい形を模索している最中とはいえ、その中にいる人にとっては自らの問題ですから、いくら良い方法があったとしても、簡単には変えられないのが大変なところです。
今の時代、仕事の内容が変化するのはある程度避けられないことだと思います。そういう中で、決まった場所で、安定して働けるようにするのは、企業と働き手の双方に相当な努力が必要なことでしょう。
スティグリッツが訴えるのは、利益を追い求めるあまり、人として道徳的に当然のことがあまりにもできていないという事実です。労働力や貿易が先進国に優位な形で性急にグローバル化することで、次の仕事に移るトレーニングを積む間もなく仕事を失い、犠牲になる途上国の人々がいる。市場が開放されたところで、途上国が先進国と対等に貿易を行うためには、そのための道路、生産体制などのインフラが必要なのです。さらに、農業勢力が強いアメリカの農作物は補助金付けにされているので、対等な立場の貿易にはなりえません。価格が安くなることで仕事を失うのは、むしろ途上国の側です。たとえ先進国でも、GDPは上がっても、グローバル化に対応できない国内向けの企業は、理不尽に不利益を被り、結果として終身雇用を維持できない、高所得者との「格差」が広がるなどの弊害を生み出しています。
僕の研究分野にも関連することですが、アメリカでは、遺伝子特許を多く認め、難病に関する薬を途上国に高く売る製薬会社の利益を守る政策が続けられています。これらの企業の利益を守った結果、研究への意欲をそぎ、病気の解決への道を閉ざしてしまっているという意味で、人類全体にとっての不利益を生み出している構造なども挙げられています。新しい発見をしても、特許侵害として高額なライセンス料を課せられてしまっては、研究を続けるのはかなり難しいことでしょう。
ソフトウェアに関する特許もしかり。特許に抵触するかもという恐れが、開発への意欲を奪うというのは、僕自身も開発者として体感するものがあります。
特許があまりに広い範囲をカバーしている場合、違う分野で、違う文脈で、特許と同じ内容のプログラムを偶然再発見、再開発してしまうことがあるからです。たとえ理不尽な請求であったとしても、特許訴訟のコストははかりしれません。 この恐怖から逃れるために、開発者の間では、ソースコードとその内容について特許を主張しない制約を持ったApache Software License (ver 2.0)が普及してきています。
遺伝子特許の場合は、厳然とそこにあるものを見つけただけであって、本来、個人や企業に所有されるべき類のものではないはず。Michael Crichtonの「NEXT」という小説にも、このような今のバイオビジネスの現状を皮肉った話がありましたが、理不尽に企業の利益を守るために、病気の解明、より良いプログラムの開発といった、人類の利となるものへの研究が、不当に抑えられている現状は、打開していかなければならないと思います。
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