2005年8月16日火曜日

子供が好きということ

親になって初めて、子供が好きというのは、本当はこういうことなんだ、と実感する。言葉でどう違うと説明するのは非常に難しいが、だけれども、これは、自分で子供を育ててみないとわからない感覚であることは断言できる。
NHK「おかあさんといっしょ」の体操のお兄さんだった、ひろみちお兄さん(佐藤弘道)も同じようなことをいっていた。子供は好きだと思っていたけれど、自分が親になって、子供が好きとはこういうことなのか、というのがわかったと。

自 分の子供を育てていくうちに愛情が深まるというのはもちろんなのだが、それが、他の子供にまで波及するのが、この感覚の不思議なところだ。つまり、 自分の子だけではなく、他の人の子供までかわいく見えてくるのだ。そして、道を歩くと、世の中にこんなにたくさんの子供がいることに気付くようになる。ま るで、子を持つ前の自分は、いったい何をみていたのかがわからなくなるくらい、外を歩けば、ベビーカーにのった赤ちゃんや、子連れの親子に注意が向く。そ して、かわいい、と素直に思える。
電車の中、公園などでも、子供を連れていれば、見知らぬ人同士でも、子育ての過程を知っているだけに通じ合うも のがあるためか、自然に会話を始めることが できる。「何歳ですか?」 「そろそろ立っちできるかな?」など、話題には困らない。子供への興味、つまり、子供が好きという気持ちが互いに伝わるから、 見知らぬ人に話しかけるという、とっても勇気のいる行動が、何の気なしにできてしまうのだと思う。

もちろん、このように「子供が好き」と 言っても、さすがに、子供ならみんな好き、とまではいかない。好みの顔でない子もいるし、生意気言う子にはカチンと くることもある。自分の子供だって、言うことを聞かなかったり、悪さをしたり、と腹立たしいことは当然ある。けれど、子育ての苦労があるとはいえ、根底に は「子供への愛」がしっかりと育まれているのだ。

この「子供が好き」という感覚、自分の親も、そういう気 持ちを持っていたんだろうなぁと思うと、感謝してもしきれないのだが、その気持ちを親に実際に伝え るのは、恥ずかしくて、なかなか素直になれないところもある。子供にとって、親の子への愛は当然のものであって、改まって感謝するようなものではない感覚 があるから、余計に難しい。

この「子供が好き」という気持ちを知ってしまうと、子供を襲う悲劇のニュースを聞くと、とてもいたたまれなくなる。交通事故で子供が死ぬような話をきくと、親の悲しみが自分のことのようにわかってしまう。
拉致被害者の家族の心境などは、子は死んだかもしれないというあきらめの上に、生きているかもしれないのに連絡手段が遮断されているという状況であるから、想像を絶する。

昨 今、少子化が騒がれているが、この「子供への愛」、「子供が好き」という気持ちを知っている人が少なくなっているということでもあり、寂しいことである。とは いえ、子供がいても、これは主婦にまかせきりで一切子育てをしない男などにはわからない感覚だろうから、そのような管理職が多い(と思われる)日本企業 に、子育てで得られる「子供が好き」という感覚が伝わるわけもなく、子供を育てながら働ける企業ができてくるとは思えない。そういうわけで、少子化からの脱 却には悲観的にならざるを得ない。

自治体も、少子化対策のためにお見合いサポートなんてとんでもない政策はやめて、実際にあらゆる人に子 供を育てさせてみればいいのではないだろうか。自分 の周りに子供がたくさんいることに気付くことができれば、タバコをところかまわず吸っていた人も遠慮するようになるかもしれない。仕事場に子供が来ても、 大丈夫な雰囲気作りも必要。子供が病気の時に、周りがその大変さを理解してあげられるようにもなる。少子化対策は、短期で効果が得られる性質のものではな いけれど、だからといって、子供が周りにいることに鈍感な人たちを目覚めさせる行動を怠ったままでいると、どんどん子育てがしにくい世の中になって、「子 供が好き」という素晴らしい感覚が失われていってしまう。

この感覚を伝えていくことが大事。自ら実践していくことにしよう。

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