2006年8月23日水曜日

[MLB] 松井稼 Major復帰

と思って喜んでいたら、スタメンじゃない! 代打起用?
というか、監督は彼を使う気があるのでしょうか…。

残り1ヶ月、代打で実力を証明しろと言われても、さすがに、ねぇ。

実際、NY YankeesのBobby Abreuは移籍後、1週間で実力を証明しましたが…、Yankees打線は周りもよく打つから、四球を稼ぐ、ヒットでつなげるなど、catalyst(触媒)の役割を果たすだけで合格点なのです。

ここは、メッツの頃から3年連続で続いているように、初打席初HRを期待(笑)

2006年8月22日火曜日

[Music] TRIX: "ART "

こちらは作曲者本人のliner notesです → tubunori

フュージョングループ、TRIXのアルバムはこれで3作目。スクエアとかカシオペアのように、日本のフュージョン路線まっしぐらなので、お気に入りです。エレクトーンプレイヤーの窪田宏もメンバーというのも好きな理由かな。

で、リーダーの熊谷氏が主に曲を作っているのですが、アルバムに必ず問題作を入れてくれます。「サムライ」「くりくり」に続いて、今度は「毛根ファンク」。1度聞くと頭から離れません。これらの曲のおかげでCDのインパクトが強すぎです。

歌詞はあれなんですけど…(フュージョンなのに歌詞…?)、曲はかっこいいのです。そのギャップがまた。

ここで視聴できるみたいですね。毛根ファンクは覚悟して聞いてくださいな。。。

Create Your Own Tumbler


StarbucsのCreate Your Own Tumblerに、以前紹介した台紙を印刷して入れてみました。

スタバにはあまり行かないので、お店で使う機会はそうないのですが、おうちで飲み物を楽しむのに重宝しています。

もっといろいろデザインしてみたいなぁ。

[NHK知るを楽しむ] 予測できるはずの失敗

NHK「知るを楽しむ・失敗学」の第3回目です。今回のテーマは、「予測できるはずの失敗」

ベビーカーが電車のドアに挟まって引きずられてしまう。閉まろうとする防火シャッターの下をくぐろうとして挟まってしまう子供。プールの排水溝に吸い込まれてしまう。

人のように大きいものが挟まる場合は、当然、探知できるようになっています。でも、ベビーカーの前輪の軸の細い部分だけが挟まると、センサーが探知できずに引きずられる。 防火シャッターはゆっくり下がるので、手で止められると思いがちだけど、実は、シャッターはとても重く、一度下がりだしたら止める手段がないということ。プールの排水溝は、人がいないところで水を排出しなければいけないことを失念していたこと。それが、排水溝の蓋を管理しないという実態、事故につながったという事実。

どれも、知っているべきことを知らない、ということが招く事故。駆け込み乗車をしないとか、排水溝で遊ばないとか、ルールとしては知っているはず。でも、それがどうしてかという部分に、考えが回らない状況が生まれるようです。

僕が自動車免許を取るときに感じたことなのですが、交通ルールの持つ意味などは、小学生のうちからでも教えた方がいい。「止まれ」と書いてある道路や標識は何を意味しているか。死角から車が出てくる場所なんですよね。

あれをしちゃだめ、これをしちゃだめ、と頭ごなしに禁じることは簡単だけれど、本来なら「どうしてそういうルールがあるのか」という知識の共有をはからないと、ルールを定める目的、すなわち、個々を守るという機能が、十分に働かないことがあるといういい例。(直接的には関係ないけど、東京都教育委員会が君が代を強制したり、反抗したりというのは、知識の共有化が図られていないいい例でしょうね。靖国参拝の是非とかも。)


もうひとつ、驚きがあったのは、中越地震の時の上越新幹線の脱線事故について。メディアの報道では新幹線の安全神話が崩れたという見出しが多かったようですが、あれは事故というより、大惨事を事前の対策により防げた珍しい成功例だということ。死者・怪我人0人というのは、偶然や奇跡だけがもたらした結果ではなかったようです。そういう趣旨でネットを調べると、なんとも心あたたまるお話も見つかりました。


けれど、うまくやればこのように効果的なのに「予測できるはずの失敗」を防ぐというのは、なんと難しいことか、とも同時に思います。それは、人は怠惰で流されやすい生き物だから。日々の生活や、あのときああしておけば良かったという後悔なんて、往々にして予測できるものです。ただ、先のことについてあれこれ予測することは億劫なものです。それでも、失敗をしつつも、先を考えすぎずに生きていく楽観さ加減が、良い方向につながることもあります。

2006年8月21日月曜日

[Book] C++ Coding Standards

後で買って読んでみようと思います。

世の中C++を使える人はどんどん減っているだろうし、Javaを使う方が遙かにコーディングしやすいことは事実なのですが、OS関係、DBなど、速度が要求されるシステム開発用には未だにC++以上のものがありません(と僕は思ってるけど本当かな?)

2006年8月19日土曜日

Create Your Own Tumbler



タンブラーはどうやら、白背景だと味気ないようです。しかも、円筒なので、丸めると180℃の範囲しか見えないので、デザインも視覚の範囲を考える必要あり、と奥が深い。

見栄えがするように配色を変えてみました。PDFはこちら (seabreeze2006_blue.pdf)

2006年8月18日金曜日

[Seattle Mariners] 1995 Refuse to Lose

NY Yankeesの松井が怪我のリハビリ中なので、今年は、イチローや城島のいるSeattle Marinersのウオッチャーをしているのですが、まぁ、とにかくここ数年のマリナーズは弱い。試合を見ていると、悲しくなってくるほど打線がつながらないので、途中で見るのを止めてしまうことが多いし、その後逆転勝ちするなんてこともありません。

投手陣が試合を崩すことが多いのですが、それでも、MLBのチームの中ではERA(Earned Run Avarage:防御率)は中堅程度。なんといっても、OBP(On base percentage:出塁率)が低すぎです。四球を好まないイチローの.375がチーム最高というのはおかしい。それを裏付けるようにチームの四球の数もMLBの中では最低クラス。イチローは常に打率が平均以上なので、OBPも高めになるのは普通なのですが、YankeesのJason Giambiとか、GiantsのBarry Bondsのように、打率が.250台と低くても、OBPが4割を超えたりする強打者もいるのです。そのタイプであるべき、Riche SexonとかAdrian Beltreがそうなっていない。

それでも2人が戦犯というわけでは決してなくて、皆、総じて得点圏での打率や出塁率が低いのです。対照的に、今年のWhite Soxは、長距離打者でなくても、得点圏で出塁率が4割超の選手が多く(井口も含む)、実際に試合を見ていても気持ちのいいことが多いです。

まぁ、Marinersより打てなくても、Oakland Athleticsのように投手陣(あるいは守備)が良く失点が少ないから勝てるというチームもあるので、チームの好不調の原因を探るのは難しいところです。

前置きが長くなりましたが、タイトルの記事によると、8月の時点で12.5ゲーム差が付いていても、Marinersは1995年に逆転地区優勝したことがあるそうです。今年のMarinersは若手選手の発掘という意味では大成功しているし、あと少し何かがかみ合えば、勝てるようになるのかも、と期待。

ただし、その条件は「あきらめないこと」。そして、「まだ、あきらめていない」という意識がチームに行き渡ること。

去年のYankeesでは、この意識がプレイからもよく伝わってきました。最終的に2位のRed Soxとはゲーム差0。直接対決の優劣でYankeesが地区優勝。1試合の重みが伝わるシーズンでした。

2006年8月17日木曜日

Starbucsのタンブラー


Starbucks Coffeeで売っているタンブラー

自分の好きなデザインを使えるということで、30分程度でお手軽に作ってみました。印刷用PDFはこちら。seabreeze2006.pdf

最近、とても熱いので涼しげな配色にしました。もっと丁寧に作りたいところだけれど、時間が惜しいのでこれくらいで。

御自由にお使いください。

東大生はカフェが好き

そうなんです。本郷周辺のカフェでは、昼などのピーク時以外、本やノートPCを開いている人は十中八九東大生だと思います。

ファミレスでは、勉強目的での利用は、迷惑なのでしょうが、スタバなど、禁煙が当然の最近のカフェでは、そういう人を許容している雰囲気があって、回転率も悪くはない様子なのです。むしろ、リピーターをつかんでいると思わせるくらい。

集中しやすい環境って人によって違うと思うのだけれど、カフェが他の場所と比べて好まれる理由を挙げてみます。

・生活の拠点であってはいけない (自宅の外という多少の不自由さが必要)

・大学の図書館のように、周りが必死に勉強しているところでもいけない (同じように勉強している人がいると、プレッシャーがかかるし、気をつかってしまう)

・周りが多少ざわざわしている方が、「入り」やすい。(たぶん、上と同じ理由で、周りが好きなことをしている環境の方が気楽なのです)

・きれいで落ち着く (国立大学の教室や研究室は、私立と比べて相当汚いところが多いです)

・カフェインの効果 (そのうち中毒になります)

・禁煙であること(必須です)

集中する目的や、至福のひとときを楽しむ人が多いので、あまり大勢でカフェに押し寄せて騒いでいると迷惑かと思います。カフェなのに大声で大志を語るグループとかもいるらしい…。きっとサークルとか、ゼミの学生を引き連れた先生とかですね。これだから東大の男どもは(自分もそうなので恐縮なのですが…)と思われること請け合いです。夢は立派でも、人を不快にさせていることに気付かない人では…という気分なのでしょう。


自宅で研究をしているときも、上の環境に近づけてみようと努力はするのです。部屋を片付けて、コーヒーを用意して(自宅で用意すれば砂糖使わずに済むし、コストも安い)…。でも、そこが自宅であるという一点で集中できないことがあります。ネットにつながるので、ブログを書いてしまったり。調子が出ないとすぐモニターの前から離れてしまったり…。敢えて不自由な環境に身を置くというのは、集中するために欠かせないみたいです。

そうすると、世俗を振り切って、カフェで1時間でも集中できた方が、半日家で作業してちっとも進まないときより気が楽だったりします。

プログラムを組んだり、文章を書いたり、いつのまにか、作家や芸術家のように一人でする仕事中心の生活を送っています。一人の仕事をしていると、人の中で仕事ができる環境に憧れることが多いですが、対人関係のストレスなどの大変さもあるだろうから、どっちがいいかは、自分の適応能力次第。

それはさておき、一人でする仕事って、集中に「入る」ための、disciplineが必要なんです(この意味のdisciplineのうまい日本語訳が思い浮かばない…)。あるときはできたものが、あるときにできなくなる。カフェを使うと、それが実行しやすくなるという不思議。まだまだ探求の余地はありそうです。

当然、僕にもお気に入りのカフェ(空いていてキレイ)はあるのですが、場所は内緒です。時間帯によっては本当にガラガラなので、つぶれやしないかとハラハラさせられるところではありますが、それでも秘密です。カフェでの時間はそれくらい大事なのです。

2006年8月16日水曜日

NHK-FM: 青春アドベンチャー

NHK-FMで平日に毎晩放送されているラジオドラマです。10年以上前に良く聞いていたのですが…まだ続いていたとは驚きです。

1つの小説を題材に10話ずつ。夜寝る前に、布団に入りながら聞くのですが、とても幸せな時間でした。このラジオドラマをきっかけにして原作を読んで好きになった作家さんなどもいます。マイクル・クライトンの原著なんかも、ここで聞いて、挑戦したような記憶があります。調べてみたら、1993年! 中学生くらいですね。そのときに英語なんてちゃんと読めたのだろうか…不思議。でも、ロストワールド(1995)は映画化前に新刊で読んでいました。続編だ!と思って喜んで買った覚えがあります。うまく理解できないところは、本屋さんに出かけて翻訳本を眺めてみたり…。


どうやら青春アドベンチャーは1993年頃によく聞いていたようです。マイクル・クライトンの「ジュラシックパーク」なんて、確か日本で映画が公開される前に放送していたし、「五番目のサリー」、赤川次郎の「ふたり」も面白かったような。

今日、この日記を書いているのは谷山浩子さんの「悲しみの時計少女」を思い出したから。映画 The Sixth Senseを見たら、この話を思い出したのです。驚くべきことに話に仕掛けられているトリックが同じなんです。Sixth Senseの構成も当時(2000年頃)としては目新しく衝撃的だったようなのですが、日本にはそれよりもっと前にあったのですよ!思わずニヤリとしてしまいます。

でも、15分という短い幸福の時間は10話分しか続きません。ですので、ラジオドラマは終わってしまうと寂しさがかなり残ります。次の話の初回があまり好きではないと、がっかりして、それ以降は飛ばしてしまったり…。

村山由佳さんの「天使の卵」もラジオドラマ化してたんですね。聞き逃したので残念。「ウォッチャーズ」「あの夜が知っている」「アナスタシア・シンドローム」とかは、スリラーでハラハラしながら聞いていました。そのあとで、「くたばれ!ビジネスボーグ」とか、「笑う20世紀」みたいなコメディも悪くなかった気がします。

当時インターネットが普及していたら、聞き逃すなんてこともなかったのかな。 でも、Podcastのように手軽なものでなく、ラジオに集中して決まった時間に聞くという、あのわくわくする雰囲気は忘れられません。しかも、当時、自宅には、古くて大きいのだけれど、立派なラジオがありました。当時はやりのラジカセのような無機質なものでなかったことも、楽しめた原因かな。


でも、それ以来、大学に入ってから、小説をゆっくり読むことが本当に少なくなりました。もったいないなぁと思います。教科書とかコンピューターの技術本のひどい翻訳ものを多く読むようなった時期です。洋書にしても、当時は小説以外のもは購入しにくかったですね。価格が高めだし、店頭にならんでいることもない。理・工学系のものばかり読んでいるうちに、文学的な美しさに触れる機会からはどんどん遠ざかっていきました。

それでも、僕が小説に触れる出発点だった青春アドベンチャーは続いている。 文学の中で生きている人がこんなにもたくさんいることに驚きを感じます。今は論文を書いている最中なので、技術的なものにしろ、文章を「職人的に書く」ことが、どんなに大変なことかを実感している時期です。素人だけれど、いっぱしの作家並にスランプはあるし。文学に生きている人たちをみると、いい物に触れ、書く経験を積むことをしてこなかった自分が少し悲しくなってきます。マイクルクライトンもいい作家にはなるには「たくさん書くこと」とコメントしています。

コンピューター屋さんでも、書くことはとても大事なのです。自分の作ったコードを多くの人に使ってもらうためには、やはり文章を書かないといけません。それも、面白く読めるように。 研究者としても、書くことは必要な能力。書くことで、理論が整理できて美しいコーディングにつながったり、大きくアイデアが変わることを実感したりします。 論文は本来、業績とか自分のためではなく、人のために書くべきものなのだけれど、書いて残すということは、研究の理解者を増やすという意味で、実は自分を助けることにもつながります。


まとめると、僕にとっての収穫は、
「物語は至福の時間を与えてくれる」ことを思い出せたこと。
「書き続けること」以外に上達の道はない、ということ。

最後は「継続は力なり」と同じですね。音楽などでもそう。僕の持論は「いいもの(あるいは成果)はオフラインで生まれる」。インターネットばかり眺めていても、もの知りにはなれるけれど、望むようには成長できないという感覚。

2006年8月13日日曜日

The Village

映画「The Village」をDVDで見ました。

感想は「面白かった」。怖い映画なのに、「面白い」というのは変なのですが、映画を見た後の満足度が高かったので、こういう表現になります。監督はM. Night Shyamalan。同じ監督の作品「The Sign」も見ていたので、恐怖の対象(宇宙人とか怪物とか)は映像として出てくるのだろうなぁと、思っていたら、今回もやはりそうでした。見えているときも、見えてないときも怖いです。でも、ホラー映画のような怖さとはちょっと違います。

決してお金がかかっている作品ではないのです。でも、見る人に感じさせたいものがはっきりとしているため、見終わった後の気分がとても良いです。Star Warsとか、Harry Potterのような娯楽大作も大好きなのですが、いつも、映像の凄さは印象に残るものの、後に残るものが空虚な気がしてしまいます。「あ~終わった」という感じ。感想が、あの映像はどう撮ったんだろうとか、ストーリーよりも技術に偏りがちです。

The Villageのテーマは無垢であることの美しさとか、愛などでしょうか。The Signは家族愛だったと思います。娯楽作品にありがちな「正義は勝つ」のような押しつけがましいテーマでもなく、見る人それぞれが、映画を見た後で様々に思いを巡らすことができるような、そんなテーマです。

この監督の作品のThe Sixth Senseも面白いらしいです。今度見てみよう。

2006年8月12日土曜日

ダヴィンチ・コード

映画は駄作らしいと聞いていたのですが、原作の前半を読んだ限りの感想ではスリリングな展開で、ルーブル美術館の内部とか、寺院とか、映像化したものにとても興味が沸いていたので、映画の方も見てきました。

一応話を十分楽しめるように、先に原作を読みきりました。でも、英語のペーパーバックで592ページ。日本語訳の文庫本で上・中・下の3冊分という超大作です。ただでさえ英語を読むのは日本語ほどには速くできないのに、このボリューム。原作では、物語の視点がキャラクターごとにちょくちょく変わったり、キリスト教関連の見慣れない言葉が並ぶので、もう大変でした。それでも、最後まで読ませるだけの魅力はあるので、良い作品なのだと思います。

でも、この作品、ダヴィンチの作品に秘められた秘密を売りにしていますが、ダヴィンチの絵に隠された秘密なんてものは、結局はダヴィンチが真実を描いたかどうか、そもそも彼が真実を知っていたかどうかすらわからないので、あまり衝撃的ではありません。それよりも、話の中で最初に殺されるソニエールの残した謎の方がはるかに複雑で、難解なのです。その謎をキリストにまつわる歴史的な事実から紐解いていくという、その過程が楽しい作品。

それを強く伝えるためには、ソニエールの暗号好きな性格や、それを孫娘のソフィーに教育する過程があって、暗号解読が得意になったソフィー、解読に必要な宗教的知識を提供するラングドン教授のコンビが活きていたのに…。

映画では、ソフィーは扱いが低く、暗号をちっとも解いてくれません。ラングドンも、謎解きをあきらめるのが早いと思えば、オラクル(神の啓示)があったように暗号をすんなり解いてしまったり。。。暗号の数自体も時間の都合上、原作より少なくなっているのだけれど、どんな暗号が書いてあるかよく見えないし、内容を覚えきれないうちに、話がどんどん進んでいきます。話を知っていてもついていけない…。これではカンヌ国際映画祭でブーイングが起こるのもうなずけます。悪役も本当に悪意をもったただの悪役になっているし。彼らが犯罪に手を染める過程や心理を描ききっていないので、深みのない善悪の対決になってしまいました。

ずいぶん昔にジュラシックパークの続編「ロストワールド」の原作を読んでから、映画を見たときも、映画の方が話が大衆向けにチープになっていて、がっかりさせられたのを覚えています。最後にT-Rexがアメリカに上陸しなくてもいいんです。あの話は(涙)

それでも、どうしても文章だけでは想像できなかったルーブル美術館の雰囲気とかガラス張りの外観などが見られて大満足。Sirasの苦行の激しさも想像以上のものでした。教会の内部の造りとかも楽しめました。

ヒロインのソフィー役の人は「アメリ」の主役の人だったんですね。「アメリ」も見たくなりました。トムハンクスも、もうちょっと若かったら、ソフィーと恋に落ちるシーンはカットされなかっただろうに。明らかに髪が薄くなっているのが災いしています(笑) 数年前までは、恋愛映画にでていても違和感がなかったのに。 あと、ジャン・レノがでてくる映画では必ずといっていいほどがっかりします。彼の心理描写の演技は下手。「ミッションインポッシブル」の犯人役のときも最低でした…。

原作を読まずに映画を見た人のブログでは、歴史とか宗教の知識がないから理解できなかったという感想をよく見かけます。でもその本当の原因は、製作者側が、タイトルどおり、ダヴィンチのメッセージ中心の映画となるように、原作の面白い部分を摩り替えてしまったので、歴史の話をする部分と謎解きの過程が結びつきにくく、おかしな話になってしまったのだと思います。 

最後に、戸田奈津子さんの字幕にはもううんざりです。key stoneを「要石」と訳したり。「キーストーン」でいいじゃない。「宇宙戦争」でも最後の重要なメッセージでとんでもない誤訳があって、なぜ宇宙人が全滅したかわからなくなっています。もう少し、原作に愛着をもった人に字幕の仕事をさせてあげればいいと思うのですが。意訳とか、セリフの時間にあわせた字幕を作るのはいいのです。英語のジョークなんて正確には訳せないし。けれど、物語の雰囲気を壊す訳は良くないと思います。ティービックも高貴な人の役なのに、最後の最後で安直な人にしてしまっていたし。

2006年8月8日火曜日

オザワ洋菓子店のいちごシャンデ



オザワ洋菓子店の「いちごシャンデ」はお勧めです。いちごにクリームがのって、チョコレートでコーティングされています。クッキーが台座になっているので、買ってその場で食べていく人もいるとか。

個々の味はきっと普通なのです。でも、妙味はこの組み合わせ。苺の甘みと酸味に、チョコレートが絡んでくると、とっても幸せな気分になれます。

2006年8月7日月曜日

NHK知るを楽しむより: 失敗学

NHK知るを楽しむ NHK教育テレビ 月~木曜日 午後10:25~10:50を見ました。

六本木ヒルズの回転ドアで子供が挟まれて死ぬという事件以来、回転ドアは危険なものという認識を持っていたのですが、そもそもヨーロッパなどでは回転ドアは軽く作られていて、挟まれたとしても大事故に至らないという 「本質安全」性が満たされているそうです。

回転ドアは軽く作らないと危ない、という職人さんが持つ知識はあったようです。ただ、日本に輸入され、見た目をよくするために回転ドアに装飾を加えていくうちに、ドアは3倍以上の重量になっていたそうです。重くなるほど完全静止までの距離も長くなってしまうのを、センサーを増やすことで、安全性を確保しようという「制御安全」の方針がとられました。

結果として、センサーが探知できない部分があったり、人が挟まるのを探知してからドアが静止するまでの距離が設計者の想定以上のものとなり、事故につながりました。

この「失敗」を教訓に、「本質安全」を持った上で、多重に「制御安全」のセンサーを使った回転ドアが開発されているようです。「失敗学」というのも、失敗の経験をいかに活用するか、また、失敗を活かすためにはどのように失敗の知識を蓄積しなければならないかを追求する学問だとか。


試行錯誤という言葉があるように、日常の中でも膨大な数の失敗をしています。その失敗は経験として個人には蓄積されていきますが、それを他と共有すること、情報学の立場ならデータとして表現し人に伝えるという作業は、仕事の効率化や質を高めるという意味で、どの分野においても役に立つでしょう。 とりあえず失敗をとりかかりとしているけれども、この応用分野はもっと広いものだと思います。

野球選手なら、バッティングのときの体の感覚がそう。イチローがテレビで言っていたけれど、自分が良いと思うバッティングの感覚があるけれど、言葉にするのが難しいので、ここを守っていれば大丈夫、というポイントを探す努力をしているそうです。それでも、気づかないうちに理想とずれていくことがあるとか。失敗と正確に分類できない情報もありそうです。

データベース屋さんにとっては、これは永遠のテーマですね。人の知識をデータにする。その収集方法から情報のプレゼンテーションを自動化する方法まで、興味は尽きません。

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