NHK「知るを楽しむ・失敗学」の第3回目です。今回のテーマは、「予測できるはずの失敗」
ベビーカーが電車のドアに挟まって引きずられてしまう。閉まろうとする防火シャッターの下をくぐろうとして挟まってしまう子供。プールの排水溝に吸い込まれてしまう。
人のように大きいものが挟まる場合は、当然、探知できるようになっています。でも、ベビーカーの前輪の軸の細い部分だけが挟まると、センサーが探知できずに引きずられる。 防火シャッターはゆっくり下がるので、手で止められると思いがちだけど、実は、シャッターはとても重く、一度下がりだしたら止める手段がないということ。プールの排水溝は、人がいないところで水を排出しなければいけないことを失念していたこと。それが、排水溝の蓋を管理しないという実態、事故につながったという事実。
どれも、知っているべきことを知らない、ということが招く事故。駆け込み乗車をしないとか、排水溝で遊ばないとか、ルールとしては知っているはず。でも、それがどうしてかという部分に、考えが回らない状況が生まれるようです。
僕が自動車免許を取るときに感じたことなのですが、交通ルールの持つ意味などは、小学生のうちからでも教えた方がいい。「止まれ」と書いてある道路や標識は何を意味しているか。死角から車が出てくる場所なんですよね。
あれをしちゃだめ、これをしちゃだめ、と頭ごなしに禁じることは簡単だけれど、本来なら「どうしてそういうルールがあるのか」という知識の共有をはからないと、ルールを定める目的、すなわち、個々を守るという機能が、十分に働かないことがあるといういい例。(直接的には関係ないけど、東京都教育委員会が君が代を強制したり、反抗したりというのは、知識の共有化が図られていないいい例でしょうね。靖国参拝の是非とかも。)
もうひとつ、驚きがあったのは、中越地震の時の上越新幹線の脱線事故について。メディアの報道では新幹線の安全神話が崩れたという見出しが多かったようですが、あれは事故というより、大惨事を事前の対策により防げた珍しい成功例だということ。死者・怪我人0人というのは、偶然や奇跡だけがもたらした結果ではなかったようです。そういう趣旨でネットを調べると、なんとも心あたたまるお話も見つかりました。
けれど、うまくやればこのように効果的なのに「予測できるはずの失敗」を防ぐというのは、なんと難しいことか、とも同時に思います。それは、人は怠惰で流されやすい生き物だから。日々の生活や、あのときああしておけば良かったという後悔なんて、往々にして予測できるものです。ただ、先のことについてあれこれ予測することは億劫なものです。それでも、失敗をしつつも、先を考えすぎずに生きていく楽観さ加減が、良い方向につながることもあります。
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