2006年8月17日木曜日

東大生はカフェが好き

そうなんです。本郷周辺のカフェでは、昼などのピーク時以外、本やノートPCを開いている人は十中八九東大生だと思います。

ファミレスでは、勉強目的での利用は、迷惑なのでしょうが、スタバなど、禁煙が当然の最近のカフェでは、そういう人を許容している雰囲気があって、回転率も悪くはない様子なのです。むしろ、リピーターをつかんでいると思わせるくらい。

集中しやすい環境って人によって違うと思うのだけれど、カフェが他の場所と比べて好まれる理由を挙げてみます。

・生活の拠点であってはいけない (自宅の外という多少の不自由さが必要)

・大学の図書館のように、周りが必死に勉強しているところでもいけない (同じように勉強している人がいると、プレッシャーがかかるし、気をつかってしまう)

・周りが多少ざわざわしている方が、「入り」やすい。(たぶん、上と同じ理由で、周りが好きなことをしている環境の方が気楽なのです)

・きれいで落ち着く (国立大学の教室や研究室は、私立と比べて相当汚いところが多いです)

・カフェインの効果 (そのうち中毒になります)

・禁煙であること(必須です)

集中する目的や、至福のひとときを楽しむ人が多いので、あまり大勢でカフェに押し寄せて騒いでいると迷惑かと思います。カフェなのに大声で大志を語るグループとかもいるらしい…。きっとサークルとか、ゼミの学生を引き連れた先生とかですね。これだから東大の男どもは(自分もそうなので恐縮なのですが…)と思われること請け合いです。夢は立派でも、人を不快にさせていることに気付かない人では…という気分なのでしょう。


自宅で研究をしているときも、上の環境に近づけてみようと努力はするのです。部屋を片付けて、コーヒーを用意して(自宅で用意すれば砂糖使わずに済むし、コストも安い)…。でも、そこが自宅であるという一点で集中できないことがあります。ネットにつながるので、ブログを書いてしまったり。調子が出ないとすぐモニターの前から離れてしまったり…。敢えて不自由な環境に身を置くというのは、集中するために欠かせないみたいです。

そうすると、世俗を振り切って、カフェで1時間でも集中できた方が、半日家で作業してちっとも進まないときより気が楽だったりします。

プログラムを組んだり、文章を書いたり、いつのまにか、作家や芸術家のように一人でする仕事中心の生活を送っています。一人の仕事をしていると、人の中で仕事ができる環境に憧れることが多いですが、対人関係のストレスなどの大変さもあるだろうから、どっちがいいかは、自分の適応能力次第。

それはさておき、一人でする仕事って、集中に「入る」ための、disciplineが必要なんです(この意味のdisciplineのうまい日本語訳が思い浮かばない…)。あるときはできたものが、あるときにできなくなる。カフェを使うと、それが実行しやすくなるという不思議。まだまだ探求の余地はありそうです。

当然、僕にもお気に入りのカフェ(空いていてキレイ)はあるのですが、場所は内緒です。時間帯によっては本当にガラガラなので、つぶれやしないかとハラハラさせられるところではありますが、それでも秘密です。カフェでの時間はそれくらい大事なのです。

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