2006年2月9日木曜日

ys: 「 なにか間違ってはいないか? 『待機児童ゼロ作戦』で急速に進む子育ての外注化 」

取材や調査の結果から、政治の問題点を鋭い視点で追求するところにに好感を持てた櫻井よしこさんなのですが、今回の記事にはがっかりさせられました。

「長時間施設に預けることは感心できないのだ」
という意見には同感です。 子供の教育問題は、親に対して親としての教育がなされていないことに起因するという話にも理を感じます。だから、昔の日本の親の子育てへの懐古心から、彼女は以下のような疑問をぶつけています。

東京都はそれでも、「待機児童ゼロ作戦」 を掲げる。ゼロ歳児まで含めて、すべての子どもを保育園に預ける作戦だ。働く女性たちを支援する目的ではあっても、なにか基本的に間違ってはいないだろう か? むろん、行政は住民の心や要望を反映する。こうした施策の背後には、「子どもが3歳になるまでは母親は仕事を持たずに家にいるのが望ましい」という 考えを支持する母親たちが、この10年間に88%から25%に激減した社会の実情がある。

でも、3歳になっても保育園に預けられる保証すら、今の東京都にはないのです。子供が3歳になりました、さぁ、保育園に手助けしてもらって、仕事を再開しよう、なんて虫のいい話はできません。 詳しくは調査していませんが、僕の知る2つ区の方針では、0~2歳まで保育園で預かった子は、優先的に次の3歳児保育も受けられます。ただでさえ、園の許容枠を超えて入園させている事情から、途中から入園させるのは非常に難しいのです。区役所や保育所に電話しても、非常に冷たくあしらわれてしまいます。 実際、僕は来年度保育園に入園させる保証を得るために、引越しせざるを得ない状況になりました。

子どもを産むからには、愛情と手間をかけて心身ともに健全な子どもに育てることが、親としてのなによりの喜びである、という素朴な原点を、社会全体で再認識したいものだ。

愛情をかけて育てることは、確かにこの上ない幸せです。 ただ、この価値観を浸透させ、企業や社会の子育てに対する姿勢を改めさせるのには、時間がかかります。

現代は核家族化が進行しています。でも、核家族は子育てが一番しにくい形態だと思います。 一人が働き、一人が子供とべったり。 育児のストレスがたまりやすいのにキャリアも積めない、社会からどんどん切り離されていきます。もちろん育児に専念する人の輪もありますが、働く人のコミュニティとは別物です。もし、キャリアも積めないまま、稼ぎ手が不慮の事故でいなくなったらどうするのか。 働く人のコミュニティから切り離された状態で、社会保障の乏しい日雇い労働者になる以外の道が開けるとはとても思えません。

社会保障が不安だからこそ、保育は今必要なんです。けれど、東京都は「待機児童ゼロ作戦」を掲げていても、保育園を待機児童をゼロにできるほど増設しているわけではありません。

櫻井さんの主張そのものは間違っていないと思いますが、この意見を向けるべき本当の相手は、育児を施設にまる投げしている母親ではないと感じます。(本文中では母親となっているが、ここは父親も含むべき)

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