2006年6月15日木曜日

Impossible is Nothing

Addidasのスローガン、"IMPOSSIBLE IS NOTHING"は、とっても気になるフレーズです。

これって、日本語の「不可能は無い」という意味そのものです。何のクッションも入らずに、この日本語のニュアンスがそのまま英語になっている珍しい例だと思うのです。

確かに、同じようなことを英語で言うとき、"Nothing is impossible"の方が良く使われると思います。Impossible is nothingというのは倒置だとか、文法的に間違っているのでは?などとmixiのとあるコミュニティでも物議をかもしています

でも、文法中心の中高の英語学習から離れた身としては、文法的にどうかなんていうのはもはや問題ではなく、英語にもっと慣れ親しんだ人にはどういう意味に聞こえるのだろうということの方が気になります。そこで検索していると、どうやら同じようなことを考えている人があちこちにいて、英語のネィティヴスピーカーの次のようなコメントを発見:

That slogan Impossible is Nothing doesn't mean the same thing as, "Nothing is impossible." When we say something is "nothing", we mean that it's very easy, so I understand the slogan to mean, "People say that's impossible, but for me it's a piece of cake!" We say, for example, "That job is nothing!" meaning that it's extremely easy. "I can't jump over that fence. It's nothing." "It's nothing to beat that team."

So, I think the slogan is clever. It basically means, "Sure I can do the impossible. It's nothing!"



要するに、"Impossible is nothing"は「人は不可能だというけれど、僕にとってはたやすいことさ!」と聞こえるそうです。日本語で「不可能は無い」なんて言う人は、相当の自信家だという印象がありますが、その機微が英語としても伝わっているのです。


そういえば、日本の中・高校の時って、試験のときに和訳するという作業がとっても嫌いでした。読んで意味がわかることと、それを別の言語に翻訳することの間には、この例でもわかるように、意外と壁があるのです。「不可能はない」を"Nothing is impossible"と言うと、見落としているニュアンスがある。そのような感覚を無視して、「直訳しろ、意訳はだめだ」、とか言うのです、日本の英語教師って。だから、直訳という言葉を使う人は無神経なのかなと思ってしまいます。

日本人は英語ができないというけれど、それって単に経験が少ないだけなんだと思います。こういうことをどう表現するか、というストックの絶対数が足りない。読むにしても、聞くにしても、書くにしても。でも、それを補ってくれる教師が少ないのが日本の不幸。

今は、インターネットを使えば、読み物も手に入るし、ニュースも聞けるし、インターネットの方がよっぽどいい英語の先生になる時代です。でも、日本って普通に暮らしていると1日のうちで英語を全く聞かないなんてことがあるので、言語のストックが貯まりにくいんですよね。

日本だと、情報系で優秀な人でも、日本語のみの生活に閉じこもっていたりするけれど、コンピュータの世界のde factoはもう何十年も英語だし、もう少し英語を使う人が増えてもいいのに、と思う今日この頃。

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