2009年5月4日月曜日

もしもピアノが弾けたなら

なんだかとても残念な話。
文化祭で、出し物の都合でピアノ奏者が必要に。ピアノ未経験の女子生徒が立候補。彼女をバックアップするためにクラス一丸となって準備に奔走する。
けれど、後に同窓会で、他にピアノが弾ける子がいたことがわかって、たいそうショックを受け卒倒しそうになりました、ということです。

この「弾けることを隠す」という気持ちは、なんとなくわかります。僕自身も高校時代、能ある鷹は爪を隠す、とまでは言わないけれど、同じ雰囲気を感じたためか、楽器が弾けることを大っぴらにはしていなかったように思います。現に、高校時代の友人の中には、僕が楽器を弾くことを今更ながらに知って驚いた人もいます。

それでも、上の話のような事態にならなかったのは、他にもピアノが上手な子がいて、その子は率先して人前に出るタイプだったので、特に困らなかったというだけ。

自分自身を鑑みて、元の話の彼が「弾ける」と言い出さなかった理由はいくつか思い付きます。

「自信がなかったから」 うん。これはありそう。まだプロじゃないだろうし。

「自分がいなかったらどうするんだろう?」という興味。学校のクラスはなにかとピアノ演奏をする子が必ず一人はいるようになっていて、どうしてそれが成り立つのかいつも不思議に思っていました。もし、誰もピアノが弾けなかったら、この状況をどうやって乗り切るのか、とても興味があります。別段、皆を困らせたいわけではないのだろうけど。

「ピアノが弾けるのだから」と言われることへの嫌悪感。ピアノが弾けるというだけで、弾く役になることが既に決まってしまっているというのは、その人の演奏能力を身に付けるための練習時間や努力にタダ乗りしているようなもので、フェアではないと強く感じます。あわよくばタダ乗りしようとしていたのを棚に上げて、皆で努力していた間、隠していたのは何事だ、というのではあんまりです。


一方、音楽ができることを隠していたために、悔しい思いをしたこともあります。野球部の地区予選の応援にクラス全員で行ったときのこと。相手高の吹奏楽の応援がまぁとにもかくにも下手なわけです。けれど、僕は野球を見ることそのものが好きだったので、下手な演奏なぞ気にも留めていませんでした。

すると、隣にいた例のピアノが上手な子が一言。

「(演奏の下手さに)気付かないのって幸せだよね」

と言うのです。このときばかりは、はらわたが煮えくりかえりました。その見下した態度はなんだ。音楽ができるのがそんなに偉いのか、と。(隠しているこっちもこっちなので、おあいこなのですが)

とまぁ要するに、最後の可能性として、そのピアノが弾ける子の

「性格が悪かった」

だけなのかもしれません。元も子もないですね。お後がよろしいようで。

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