特に修士・博士課程では、人間関係も狭くなりがちで、研究がうまくいくかどうか、それに伴う将来への不安など、極度のストレスにさらされます。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とはよく言ったもので、一度そのような辛い経験を経たはず人でも、十分な理解者となりえないことはよくありますし、家庭や人間関係など、置かれている立場が違うと、似たような問題でも、悩みの様相は変わってきます。
基本的に、大学は自らの意思で勉強する人をサポートする場所です。勉強の邪魔もしない代わりに、自分からアクションを起こさないと何もしてくれない場所、と考えた方が良いと思います。その例を挙げると、何もしなくても授業を受けられた高校までとは違い、大学では自ら履修届を提出する必要があり、自分自身で物事を判断する責任が求められています。日本に限らず、アメリカの大学でも状況は同じで、
困ったことがあったらメールでも、その辺で会ったときでもとにかく教授をとっつかまえて相談する
これが一番大切です。大切なことなのでもう一回言います。何か研究のことで困ったことがあったら、教授に相談する癖をつけてください。アメリカの大学院は、こちらからサインを出さない限り、基本的には本当に何もしてくれないし、ほったらかされる*1ので、とにかくアクションを起こすことをおすすめします。アクションさえ起こせば、たいがいのことはなんとかなります。
*1:何か困ったら助けてと言わずに放置して問題が悪化した場合、問題解決能力が無いとみなされる ラボについて - Ockham’s Razor for Engineers
けれど、それぞれの事情を把握しているわけではないし、誰かに相談することで問題が解決するなどとはとても言えません。それでも、相談することで悩みを理解してもらえたり、あるいはもっとふさわしい相談相手に出会える可能性がある。ただその一点のみにおいて大事なメッセージだと思えるので、もう一度言います。
「一人で悩んでいませんか?」
(追記)
相談所に限らず、家族、友人、恋人、教師、先輩、後輩。周りに相談相手が見つからなければネットにメッセージを投げてみるのも手だと思います。匿名で日記を書いてみる、日本がだめなら海外の人に聞いてみる。百人に叩かれても、たった一つのコメントで救われることもあります。
もう一つ。水村さんのエッセイ「日本語で読むということ」の冒頭にあったエピソードを紹介します。
Dan Gottliebという心理学者がいます。彼は事故で首の骨が折れ、胸より下が麻痺状態になってしまいました。今まで何不自由なく歩いていたものが、一瞬で、一生一人で手洗いにもいけない体になってしまったのです。家族、友人が去り、集中治療室で首を固定され夜一人横たわる彼の目に映るものは、集中治療室の冷たい天井の光のみ。仰向けに寝ているうちに、彼の心の内には自殺願望が膨れ上がってきました。
「もう死んだ方がましだ……」
と思ったそのとき、横から、女の人が話かけてきました。
「先生は心理学のお医者さまでしょう? 死んだ方がましだって、そう思ったりすることって、よくあるんでしょうか。」
その女の人は病院の看護師でした。彼の症状などはおかまいなしにつらつらと悩みを話す彼女。そんな彼女が去ったあと、彼は心理学者としての自信を取り戻し「こんなサマになっても生きていける」と思ったそうです。やがて彼は復帰し、ラジオで人気の悩み相談の番組を持つようにまでなりました。
なんとか彼を励まそうとする家族や友人の善意あふれる言葉は、ちっとも彼の心には届かなかったのに、どう考えても自分より不幸な相手に向かって、心理学者ならきっとなんとかしてくれると、つらつらと悩みを打ち明ける彼女。そんな善意のかけらもない彼女の身勝手さがかえって彼を救った、という話です。
自分を救ってくれるのは、なにも、親身に相談を聞いてくれる人だけではないという、なんとも不思議な話ですよね。
(このエピソードは僕が短く直したものですが、水村さんの文章の方がはるかに情景あふれるものとなっているので、大変申し訳ないです)
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