著作権法のそもそもの由来は、芸術家を支援するパトロンの凋落後、出版社が著作物の複製から得られる利益を保証するために設けられたそうです。
http://tatuya.niu.ne.jp/copyright/column/02.html
本を書いて、「これを1回読んだらいくら」という勘定は現実的に不可能だったので、
「複製の数が、著作物の使用の数にそれなりに対応する」という想定で、無断複製を違法とし、複製に対する対価で収益を保証するという方法が取られてきました。
けれど、Webの時代になって、印刷機器への投資コストなしで著作物を配布できるようになっています。本に留まらず、映画・音楽・絵・写真などの著作物はデータとして作成できるようになったので、複製は容易です。いくらDRM(Degital Rights Management)で保護したとしても、抜け道は多数あります。
まったく新しい時代が来ているようにも思えますが、この変化は、著作物が、
既に広く使われているモデルに当てはまるだけなんですよね。
「複製が容易」、「誰もが見られる」。 これってまさにテレビ。
著作者は、出版社からではなく、現在のテレビと同様、広告ビジネスで生活の糧を得るように変化します。むしろ、そうしないと芸術家として生きていけなくなります。
視聴率の変わりに、著作物のダウンロード数が、著作物の評価の大まかな指標になります。
Web上での評判も、この用途に使えるでしょう。
あるいは、出版者の変わりに、米国で大流行しているTiVoのような番組配信サービス業者がパトロンになるのか。
ただTiVoと同様の形態だとCMはスキップされてしまうので、いくら公衆発信したものをHDDにためているだけとはいえ、著作者側がこれを良しとしないという、衝突があるでしょう。
それでも、CMのビジネスモデルはまだまだ有効なことには変わりがありません。公衆送信できるメディアの力はすごいですから。今の番組の間をぶつ切りする形や、本に挿入する形では、あっさり回避されてしまいますから、うまい形態を見つけることが、著作者側に求められています。
著作者本人がこんなこと考えながら、作品を配布するというのも面白いですし、うまく宣伝を盛り込む手法を編み出すのが今後の出版社の新しい仕事になるのでしょう。
でも、こんなことを考えていると、著作者に資金を与えて、良い芸術作品を世に送り出したパトロンという存在には夢やロマンがあって素敵です。
自分の楽しみのために、芸術にお金を注ぐ。
また、芸術を楽しむために、お金を稼ぐ。
昨今、違法コピーだ、Winnyは著作権侵害だとか騒いでいるときに、欠けているのはこのパトロンの心意気ですよね。コピーが容易な時代なのだから、違法コピーをする人を防ぐのは容易ではありません。けれど、芸術家が作品を世に出すとき、違法コピーを楽しむ人を相手にはしていないはずです。そんな人を相手に対価を取ろうとする行為は、ばかばかしいものです。
Webの時代は、コピーに対して対価を求めるのではなく、自分の著作物によって知名度や評価を得ることが大切な時代です。そして、その知名度によって、その人を支援したいというパトロンの心意気を持った人が増えることを望みます。
これを経済にあてはめると、知名度は会社の信用に対応しますが、パトロンは投資家で、利益は得られた作品なんですよね。…うーん。パトロンが廃れたのがよくわかります。道楽できる人以外には無理。お金を出してばかりだもの(笑) 今後に備えて、著作物周辺で対価を得られる仕組みを作らないといけないですね。
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