あけましておめでとうございます。
今年のお正月は、妻子が実家に帰って過ごしているので、一人で元旦を迎えました。つかの間ですが、子育てから解放されたこの機会に、近所にあるけれど一度も初詣にいったことがなかった湯島天神にお参りにいきました。
天神さまには15分前ほどに行ったのですが(近所なので歩いていきます)、既に100mほどの長打の列ができていました。ここまでは例年混雑している様子を傍目で見て知っていることなので、ちゃんと防寒具と暇つぶし用のウォークマンを持参して、対策はばっちりです。寒い夜なので、子連れだと風邪を引かせてしまいそうで、子供が小さいうちは難しそうですね。
40分くらいしてようやく境内に。杓子で手・口をすすいでから祈祷することを期待していたのですが、どうも混雑回避のために、お賽銭を投じればそれでよしと考えているらしいお巡りさん(警備員?)が多数。口をすすぐ場所は閉鎖されており、お巡りさんも「左右の方が開いてますよ!」と、祭壇がまったく見えない位置のお賽銭箱の前に人を誘導する始末。
ああ、これはもう初詣というより、なにか違うイベントになのだと感じました。そもそも、湯島天神に祭られているのは菅原道真様なのに、みんながみんな本当に学問成就をお願いしにきているというわけではなく、新年のイベントだからということで来ている様子。「恋みくじ」とかあるし。
近所に住んでいると、祭日と普段とのギャップに驚かされるものです。巫女さんが大増員されているし、破魔矢売り場も普段より相当増えていました。冷めているつもりはないのですが、こういう場所で売られているおみくじや縁起物って、ちゃんと作っている会社があるんですよね。念力をこめたわけでもなく、普通の働き手さんが大量生産しているのです。品物の上でわさわさと棒を振って、厄払いくらいはしているかもしれませんが。
そんなことを考えながら、いざお賽銭を投げて、お祈り。ただ、困ったことに、何をお祈りしていいのかわからなくて、冷や汗。道真様なので、学問成就かなと思いましたが、自分の学業の成果を人様にお願いしても仕方がなさそう。では、学問を続けられる環境維持をお願いするかと思いましたが、それも神様に頼むことではない気がしました。そういう場所を整えるのも研究者としては、自分でやるべきことなんですよね。
ろくにお祈りもできず、後がつかえているので、とりあえずその場は離れましたが、よくよく考えると、自分のことではなく、家族のことをお祈りすればよかったのかなと思いました。何かしてと頼むのではなく、皆を暖かく見守ってください、とかね。
子供にお土産でも、と思ったのですが、商業主義が隠せないところで千円札を費やすよりは、おいしいものでも食べようという気分に。破魔矢を買っても、ちゃんと飾って置く場所がないだろうし、きっと原価は1割程度でしょう。
東京天神うどんさんで、このときだけメニューに現れる期間限定のおそばを頂いて、満足できた元旦でした。初詣に来る人も、たくさんお賽銭やお布施を払う人も、形はどうであれ、充実した気持ちで新年を迎えられればいいのだと思います。とりあえず、お金持ちでもない今の僕には、千円でおいしいおそばが食べられる方が価値は高いです(笑)
そのときどきの満足も大切にしつつ、長い期間の満足も考えて、一歩一歩進むことができる一年でありますように。
2 件のコメント:
あけましておめでとうございます。
今年は学校帰りの千代田線の中で新年を迎えましたが、
いつもはガラガラの終電がカップルでいっぱいで、しかも
みな湯島で降りていきます。うーむ......。
リンク先の湯島天神に「平成19年正月の巫女さん募集は
締切致しました。」と出ていますね。バイトを募集して
いたのかな。
本年もよろしくお願いいたします。
> mesoさん
東大周辺って祭日になると様変わりするスポットってほかにもあるんですよね。上野公園とか。そういう場所は平日の人が少ないときにゆっくりたのしむのが好きです。
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