この件について書いてあったとある人の日記にコメントしたのですが、Bloggerではトラックバックはできない(自分でpingを送ればいいだけなんだけど…)ので、コピペ。
まず、「戦犯」の扱いについては、櫻井よしこさんのページ↓を参考にしたほうが歴史的経緯がわかるかと(^-^;;
http://blog.yoshiko-sakurai.jp/archives/cat42/index.html
東京裁判のむちゃくちゃさ加減を無視して「A級」という言葉を使い続ける中国・日本のメディアもどうかと思いますし。
一方、
http://king-of-china.seesaa.net/article/6388370.html
にある、渡辺恒雄さんの意見のような、実感のこもった訴えもあります。戦争を引き起こした人を弔うなんて、もってのほか、というように。
問題は、日本人の中で、戦争やその指導者、そして、当時の「やらなければやられる」という、列強が侵略を続けていた近隣諸国の情勢をどう認識し、自分達の中でどのように解決していくか、という作業がいまだなされていないこと。
靖国に宗教色があるのは、訪れてみれば明白で、むしろ、宗教上の目的でないと言い張るところが、困ったものかと。
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