2006年12月29日金曜日

[Mac] ParallelsでMacとWinの共存

Boot CampでMacのPCにWindowsをインストールできるというのは知っていたのですが、今日、Macを起動しつつ、仮想OSとして別パーティションにインストールされているWindowsを実行できると聞いて、早速試してみました。

使ったソフトウェアはParallels Desktop for Mac Update Beta2のベータ版 Build 3094です。

Boot Campを使ってnaitiveにWindowsを実行する場合と、Parallelsから仮想OSとしてWindowsを実行するという2種類の使い方ができると、普段はMacをベースに使い、Windowsのアプリケーションが必要なときに仮想OSを立ち上げる。どうしてもWinで速度が必要なときにはnaitiveに実行する、なんてことができると素敵です。

本当にできるのかどうか、以下は試してみた結果です。

重要なのはWindows XP SP2のアクティベーションが本当に1回で済むかどうか、です。
Build 3094以前では、2回アクティベーションが必要になったり、と結構厄介な問題があったようです。
この問題が回避されているといいのですが…。

以下実行手順です。最新のMac miniのマシンで試しました。

Macから、Boot Campユーティリティで、Windows用のドライバCDを作成。

指示に従って、Windows用のパーティションを作る。50GBを確保(OfficeとかVisual Studioくらいしか使わない予定なのでこれくらいで多分十分)。32GBを超えて設定すると、警告がでるが、後でNTFSにフォーマットして使う予定なので問題なし。

またまた指示に従って、Windows XP (SP2が組み込まれているCDでないとだめだとか。要注意)のCDを入れる。再起動されてインストールが始まる。インストールするディスクパーティションはC:を選ぶ。

「Parallelsから一度アクティベーションをしろ」、という指示があったのだけれど、どうやら使っていたWindowsのインストールCDが、MSDNサブスクリプションから届いた、無制限にインストールできるボリュームライセンスだったせいか、ネットワーク認証がなされず拍子抜け。

Windowsのセットアップが終わって起動したら、先ほど作ったドライバCDを入れてドライバのインストールが完了するのを待つ。

その後、再起動時Optionキー(Alt?)を押しっぱなしにして、Macから起動する方を選ぶ。

Parallelsを実行。仮想OSを作成するときに、customを選択して、Use Boot Campを選ぶ。メモリのサイズは、マシンに積んであるものの半分量に設定した。すると、勝手に、Windowsがウィンドウ内で起動して、起動オプションでParallels Setupという項目が選ばれ、デバイスの認識やドライバのインストールなどが始まる。そして勝手に再起動。また、Parallels Setupが選ばれ、しばらくParallels内の画面が真っ黒になってあせる。が、無事にWindowsがMac上で起動。

Mac側のインターネット接続にWindowsからブリッジが作られているので、Windows側ではネットワークの設定はいらなかった。

普通にWindowsが動いている。特に重いこともない。冷や冷やインストールしたのに、うまくいきすぎで拍子抜けです。Windowsパーティションから起動もできて普通に動いている…。

普通にOSのデュアルブート環境を構築する以上の快適さですね。

これで、Windowsで培った資産を生かしつつMacユーザーになれます。わーい。

2006年12月27日水曜日

[ドラマ] 松本清張『波の塔』

TBS「松本清張ドラマスペシャル『波の塔』」を見ました。よくできていたドラマだと思います。いままでちゃらんぽらんな役まわりが多かった小泉幸太郎が主役。ルックスはいいのに、いまひとつ頼りないというように。でも、この役で随分成長したなぁと思います。新米検事という設定も、彼の初々しさとうまく重なって良かったのかもしれません。

原作の「波の塔」は、樹海での自殺が流行するきっかけになった作品ということです。そういう紹介の仕方はどうかとも思いますが、不倫に陥ってしまうところまでは良いとして、どうして、どこにも行き場のない愛になるのか、その結果が樹海へ…というのが、現代に生きる僕にはどうしても共感できなかった。

ドラマの前半を見逃してしまったので、伏線となる部分を捉えていないせいなのかとも思いましたが、ドラマに登場する津川さんのこのコメントを読んで、ようやく相手役の頼子が樹海に入った心境を、僕がつかめなかった理由がわかりました。

「現代人には、恋愛の障害が少ない」 だから、「彼女が死のうとする理由が希薄になっている」

なるほど。携帯電話があるから連絡が取れないことでのすれ違いがない。離婚や不倫に対する抵抗感というのも、今と昔では違うと思うところがある。相手が酷い人なら離婚しても構わないという気風は、今の時代には確かにある。

恋愛ドラマって障害がある方が燃えるんですよね。大ブームを巻き起こした韓国ドラマ「冬のソナタ」では、今ではありえないだろうってくらい、毎回毎回、すれ違いや障害だらけで、昔の日本のドラマを見るようなノスタルジーに浸れるところが、古い展開だけれどもかえって新鮮に感じたものです。

障害が少ないことは悪いことではないと思っていたけれど、携帯電話がなかった頃、恋人に会うのにも、事前の約束が必要だったこととか、電話をしてもなかなかつながらない、そんなときのせつない気持ちを経験する機会はどんどん失われているんですね。

ドラマも現代風に作られているので、もちろん携帯電話は登場します。けれど、障害を減らしていた携帯電話が不通になったとき、突然、いままで見えなかった障害が立ちはだかります。うーん。これって、結局、障害で恋愛を盛り上げるという規定路線のままなのかな。今度は障害が少なくなった現代風の恋愛、そしてそこに生じるせつなさを見てみたい気もしてきます。よい小説をご存知の方は、ぜひ教えてください。

2006年12月21日木曜日

[Mac] キーリピートを速くする方法

Macを使い始めて、やや不便だと思っていたのは、preferenceから設定できるキーボードのrepeat rateがそれほど速くない、という点。

マニュアルで設定できないかと思い、repeat rateを変更したらどのシステムファイルが影響を受けるか調べていたら、~/Library/Preferences/.GlobalPreference.plistというファイルにその設定がある模様。で、中身をみるとテキストとバイナリが混じっていて、キーボードの設定を更新するたびに複数箇所のデータが変更されるので、手で書き換えるのは難しそう。

そこで、調べてみると、コンソールで

> defaults write NSGlobalDomain KeyRepeat 0

などとするとKeyRepeatの間隔を最速にできるみたいです。(preferences panalでは、2が最小)

> defaults write NSGlobalDomain InitialKeyRepeat 1

で、repeatが始まるまでの待ち時間を1/60秒単位で設定できるらしい。(preference panelでは15が最小値)

設定をシステムに反映させるためには、一度ログアウトしなくてはいけないそうです。

でも、Windowsで、秀Capsを使うのに比べるとさほど速くならないなぁ。

(追記 2008年10月8日)
[Macのキーリピートを加速] こちらのやり方がおすすめです。

2006年12月20日水曜日

燃え尽き

博士論文を書き終えて、予想通り燃え尽きました。
先週の金曜日に論文を提出して、土日をあけて、月・火と調子が出ず、今日の午前中もどうも元気がありません。

もちろん審査に備えて準備するとか、他の論文の原稿を仕上げるなど、やるべきことはまだ残っているのですが、どうにも気力が足りない。

1年を通して研究していると、こういう気分の時期は何回か訪れるものなのですが、気力をうまく取り戻す方法をまだ身に着けてないのです。

ここは、思い切ってリフレッシュしてみることにします。

2006年12月6日水曜日

さてさて

博士論文の締め切りまであと8日。地獄の一週間が始まります。

むしろ理論を洗練させていた今までが地獄だった気もする。あとは、もうイメージができている話や実験結果が書かれた論文をつなげるだけなので、英語といえども苦ではない(はず)です。

書き上げた後で燃え尽きないように、次の目標に向けて英気を養いつつ頑張ります。

2006年12月1日金曜日

うれしいけれど複雑

今年の9月に出した論文が採択されました。わーい。

一応、うれしいのだけれど、実は、この研究、3年以上も前に作った内容の一部なのです。
本当はもっといろんな内容が絡んでいて、大きな目標があるテーマなのだけれど、全体としてそこまでたどり着いていないので、お蔵入りしていたというもの。

けれど博士の審査もあるし、眠らせておくのはもったいないということで、
9月の締め切り3週間前に急遽復活させました。

1本の論文に収まるように、切りのいいトピックを1つ抜き出して、今作っているシステムとは整合性がなくなってしまったので、プログラムは再実装して、実験も現在のマシンでやりなおしました。3年も違うとかなり処理速度が変わるものです。論文自体も、8割方書き直し。先生に校正してもらう時間もなし。かなりやっつけ仕事でした。

通らないと困っていたのだけど、よく通ったなぁと思います。
もちろん、通ると思っているから出すのだけれど、例年以上の400本もの投稿があって激戦になると聞いたときは冷や汗ものでした。

日の目をみることができた研究ですが、本当に日の目を見るのかどうかは、引用してくれる人がいるかどうか。投稿数も増えたことですし、会議自体のインパクトも大きくなるとよいなぁと思います。

2006年11月18日土曜日

[ひざ暖板] 足元の冷えにお悩みの方に


「ひざ暖板」を購入しました。

別に、リンク先の通販生活の回し者ではないのですが、窓際にデスクを置いているせいで、冬が近づくにつれ足元が冷えるようになり、前シーズンの冬は、デスクでの作業がとてもつらかったのです。足元が冷えると、体調を崩して風邪をひくこともありましたし。

かといって、温風方式のヒーターや、エアコンで部屋を暖めると、暖かい空気は冷たい空気より軽いので、なかなか足元には降りてこなかったりします。その、部屋が十分温まる前に乾燥してしまって、喉や肌に良くないのです。

そこで、今年は本格的に冷え込む前に、このひざ暖板を導入。じわじわと暖かくてとてもよい感じ。熱過ぎることもないし、空気が乾くこともないので快適です。

2006年11月15日水曜日

Red Sox win Matsuzaka bid

Boston Red Sox News

驚き。$51,111,111.11 (5111万ドル!)を松坂君との交渉権だけに支払うなんて。確か、Yankeesの年俸の総額がおよそ2億ドルなので、その4分の1。これだけで、他4球団の全選手分の年俸を超えるというし。

でも、これだけの金額を支払う価値はあるのかなと思ってしまいます。去年、Yankeesの松井の契約延長の際(これでも、4年総額5200万ドルだったかな?)、GMのCashmanが、松井には、intangible effect(言い表せないような<経済>効果)があると言っていたのが印象的です。

Bostonのファンが日本にも増えるだろうし、放映権料でも稼げるし、現に日本もアメリカでも大ニュースになったし、イチロー、松井が安定して活躍して、日本でもMLBへの関心の土台ができたところで、このインパクトですから、宣伝としてもとてつもない効果があるでしょう。僕自身も、今まで見たことがなかったboston.comなんてサイトも調べてしまいました。MetsとかDodgersとか、Rockiesとか、日本人選手がいながら、まだまだ日本での知名度が足りないチームもありますし。。。。

アンケート結果だと、アメリカの人はそうは思っていないようだけれど、松坂君は実力的には既に間違いなくトッププレーヤーなのでは?

[TeX] 論文執筆のサイクル短縮

いろいろためしてみたけれど、どうやら、TeXで論文を作成するときは、PDF形式でpreviewするのが最速のようです(Windows環境において)。

こんな発見があったのも、今まで使っていたMikTexのYap(DVI viewer)が、最新版のものでは過去のものより処理が遅くなってしまって、版を確認するのに時間がかかるようになってしまったから。

texを書いてはdvi形式で確認していたところを、代わりにPDFを生成するようにしたら、かなり快適になりました。キー1つでtexをコンパイルして、PDFを一発表示できます。

ポイントは、
  • pdflatexで、texからpdfの生成
  • pdflatexはeps形式の画像ファイルを扱えないので、epstopdfを使うか、distill(角藤さん作成)でコマンドラインからAcrobat Distillerを呼び出して、eps->pdfへの変換をする
    • というか、画像は最初からPDF形式で作ればいい
    • eps、pdfの画像形式を両刀で使えるようにするには、\includegraphics{filename} と書けば、latexのときはfilename.epsが、pdflatexのときはfilename.pdfが読まれます。
  • Acrobat Readerは、ファイルを開くとロックしてしまうので、pdfopen, pdfcloseコマンドでpdfファイルの開け閉めをする
  • pdflatex, bibtex, pdflatex, pdflatexというサイクルを1度実行したら、次回は、pdflatex一回で済ませる
  • これらの作業をまとめて行うMakefileを書く
    • PDFを閉じる - pdflatex - PDFを開く
  • 以前見ていたページに戻るために、Acrobat Readerの方で、以前表示したページを開く、という設定にする
  • Emacsを使っているなら、smart-compile.elなどを活用して、makeコマンドを簡単に呼び出せるようにする。
    • TexnicCenterなどを使うともっと簡単に、使用するコマンドの定義ができるでしょう。

tex file -> latex -> dvipdfm -> PDF fileという流れ(10秒以上はかかるかも)よりは、もちろん高速。2秒くらいでPDFを表示できます(数十ページの文章なら)。ただし、dvipidfmを使ったほうがコンパクトなPDFができます。

これでWISYWIG(What You See is What You Get)でないTeXの欠点が補えます。dvioutやyapは、画像の表示が遅いし、gsviewはPDFも表示できるけれど、viewew自体があまり使いやすくないのです。

長年の悩みの種がようやく解決して、とっても快適になりました。おすすめの方法です。

2006年11月9日木曜日

Major League Baseball : 2006 This Year in Baseball Awards

今年のPlay of the yearの候補が発表されました。
Major League Baseball : 2006 This Year in Baseball Awards

前回は井口選手のプレイを紹介
しましたが、候補を眺めてみると、他にもすごいプレイがちらほら。中でも、

・Barry Zitoの背中越しキャッチ
・イチローから城島へのレーザービーム&ホームでの大衝突
・Gary Matthewsの360度回転キャッチ(去年のイチローのプレーと似ています。こちらは2005年のPlay of the Yearでした)

と、井口選手のプレイを合わせた4つが凄い。

ダイビングキャッチは、一見凄いプレイに見えるけれど、イチローや田口みたいに、本当に守備が上手な選手だと、捕球前の加速次第で、ダイビング無しですませてしまうので、簡単に取ってしまったように見えるんですよね。

2006年11月7日火曜日

[MLB] 岩村なのに…今江?


面白い。MLBに向けて岩村選手のポスティングが始まったのですが、その紹介写真がこれ。どうみても今江選手なのですが…。

外国人の顔って慣れないうちは、見分けがつかなかったりしますよね。
間違える気持ちはわかります。

2006年11月6日月曜日

上手なプレゼンテーションとは

今学期は、久々に大学の講義に参加してみています。

講義の形態は、学生が毎回発表するというもの。
修士1年の学生さんが多いせいか、覇気が足りない。。。

課題を与えられたら、与えられた文献しか読んでこない人とか、それすら読みこなせていないというのがちらほら。自分が発表したときは資料探しから始まって、何百ページもある資料にいくつも目を通して、基本を学んで、実験評価もして、と相当時間を費やして望んだのに、他の人からそれくらいの気概が感じられなくて、悲しい限り。(東大生なんだから1週間もあれば英語で100ページくらい読んできてよ! というのが本音)

もちろん、プレゼンテーション技術が未熟なこともあるのだけれど、それ以前に、一つのトピックをわかりやすく紹介するには、そのトピックだけでなくて、トピックを含むもっと広い分野の知識が必要という認識がまだない様子。

それだから、プレゼンを聞いていると、この研究はなぜ重要なのか? という視点を欠いたまま(発表している本人も理解していない様子で)発表を続けられてしまうので、聞いている方は、すぐ迷子になってしまいます。

問題は、発表する側の視野が局所的なこと。いくら研究の子細を丁寧に伝えたとしても、それだけでは、他にもっといい方法があるのでは? と疑問に思ってしまうし、様々な研究の流れの中で、いま発表している内容はどういう位置づけにあるものなのか、ということもわからない。そのような大局的な視点がないプレゼンテーションは、同じ問題意識をもった人たち(例えば研究室の仲間とか)にしか価値がありません。

大局的な視点を身につけるには、たくさん学ぶこと。これに尽きます。よく書かれた論文や教科書は、そのような大局的な知識を効率よく与えてくれます。既に学んでいる人から、そのような知見を引き出せると、次のステップへ進む重要な足がかりとなのですが、どうも数ある授業の課題の1つとしか捉えていない発表者から、そのような知見を得ることは難しいようです。

自信を持って発表できないのは、やはり勉強が不足していることが一番の原因。すべてを完全に理解している必要はありませんが、少なくとも、何がわかっていて、何がわかっていないかを理解することは必要。そのレベルまで達している人とそうでない人とでは、自ずとプレゼンテーションの出来も変わってくるものです。

PLAY OF THE YEAR CANDIDATE

今年のMLBで、イチオシのプレイはこれ。White Soxの井口選手。本当に空中で投げています。This Year in Baseball のplay of the year の候補に挙がるが今から楽しみ。

日本シリーズが終わると興が冷めてしまう日本の野球と違って、MLBは、シーズン終了後も、MVPなどの賞を順次発表したり、Free Agentの選手の移籍など話題満載で、興味をひきつけてくれます。

2006年10月30日月曜日

[Comic] 正義の味方

正義の味方(聖 千秋) (1~3巻)が面白いです。久々にコミックで大笑いしました。

みのさんの「朝ズバ!」より痛快かもしれない。最近のニュースは、いじめによる自殺とそれを認めない校長の話ばかり(それも複数の学校)で、みのさんにズバッと言ってもらっても、暗くなってしまいます。「正義の味方」は「悪をもって悪を制す」という内容で、勧善懲悪調ではないところが楽しすぎます。

そういえば、「のだめカンタービレ」のドラマも、コミック同様に面白く出来上がっていて楽しめます。キャスティングとかは微妙に原作と違うかなぁという気もしますが、それでも見ていてテンポが良くて楽しい。コミックからアニメやドラマになると、仕上がりが劣るものが多いのに、うまくできている珍しい例です。

2006年10月27日金曜日

SONY Blu-ray プレーヤー

とうとうブルーレイ対応のHDDレコーダーがでましたね。オープン価格なのですが、30万で買える模様。ディスクの単価も1枚25Gで1700円。

こういう新技術ものの初期製品って価格設定が高くなりがちなのに、かなり価格を抑えてきた感じがします。現行のHDDプレーヤーって10万前後ですからね。2時間ドラマですら満足に焼けないDVDの世界からの進歩。1枚あたり100G以上までもっていけるというから期待大です。

MDだって最初は1枚1700円くらいしたことを覚えています。今では100円。

HD-DVDの方は半年以上前に製品化されているんですけどね。既存の技術を生かせるので、価格もお手ごろ。

企画争いはどっちが買っても良いです。記録メディアの操作は、まだまだ不便なことには変わりがありません。次の世代があります。

文京区 地域通貨 「文(mon)」

文京区の地域通貨「文(mon)」というものが今年10月から使えるようになっているようなのですが、今日、上のリンク先のページに出ているお店(東大のご近所さんです)には、早速、

「文の取り扱いは終了させていただきました」

という張り紙。900円=1000文という固定レート。交換手数料がかからない上、もし1000円の商品を1000文で買えるという類のものなら(そんな説明はどこにも書いていないけれど…)、お店側は強制1割引で販売しなくてはならない。使う方も、取り扱いをやめるお店が増えたら、無価値のお金になってしまうから、「文」には交換したがらない。

地域通貨には利子がないから良いとか、それに対する山形氏のコメントなんかもあるけど、結局、地域通貨を取り扱っているお店の宣伝なのね、と思いました。

各お店が1割引と宣伝するのとほとんど同じなんだけど、その類の広告は見飽きているので、地域通貨にかこつけて人目を引こうという戦略。実は、地域通貨が流通してしまうと、逆に広告効果が薄くなってしまうという罠がありますね。

2006年10月11日水曜日

Côte d`Or のチョコレート

最近のお気に入りは、Côte d`Or(コートドール)のチョコレートバー。 

チョコレートダイエットブームの煽りを受けて、コンビニなどでは、カカオ○○%含有と銘打ったチョコレートが幅を効かせてしまっているのですが、その類のものって決まって美味しくないので、悲しい限り。

そうすると、長年続いているスタンダードな明治の板チョコなどが、日本人好みの味になっていて、普通に美味しくてよいのですが、それでも、たまに、もっと濃くて甘美なものがほしくなることがあります。

ジャン・ポール・エヴァンとか、ピエール・マルコリーニのチョコレートは大人の味で美味しいけれど、ちょっと気楽に買える値段でもない。そういうときに、コートドールのチョコレートバーはお勧めです。ベルギーの老舗の店なのですが、輸入品を多く扱っているスーパー(デパ地下とかQueen's Isetanとか成城石井など)に置いてあるので、手に入りやすいと思います。値段も板チョコ2枚で370円くらいと手頃。関税分でちょっと高くなっているだけでしょう。味も、カカオの苦味に、うまく甘みを合わせてくれているので、苦いばかりでチョコ本来の美味しさが楽しめないカカオ○○%という類のチョコレートより、断然美味しいと思います。

2006年9月29日金曜日

所信表明

たまたま家に居たので、新首相の所信表明を聞いてみました。

それにしても、国会はどうしてこうも品がないのでしょうか。「そうだ、そうだ!」と大声で相づちをうったり、野次を飛ばしたり…。 投票で選ばれるわけだから、見た目だったり、それなりに立派な人が国会議員になるのだと思いたいのですが、サクラ役とはいえ、あまりにも下品です。 女性議員も、なぜ変に目出つピンク・黄色・黄緑のパステルカラーばかり着ているのか。 どうも、国会という場所には一般人が知り得ない不思議な文化が存在するようです。


話の中にあった、新卒一括採用の慣習をなくすというのは、ありなんでしょうね。バイトのような時間の切り売り以外で、いつでも仕事につける自由さがあると、確かに働きやすいもの。でも、自分で仕事を作るという発想とはやっぱり違うなぁ。 イノベーションを重視するなら、大事なのは起業促進の方だと思うのですが。

2006年9月17日日曜日

子育てハッピーアドバイス



「子育てハッピーアドバイス」はいい本です。全部で3冊あるのですが、一気に読んでしまいました。

僕も、子供が言うことを聞かないとよく叱ってしまうので、どうにかならないものかと悩んでいましたが、親を楽にしてくれる本だと思います。

いい子にするには、親がしっかりしつけないといけない、とはよく言われますが、あれこれしなさいと怒る前に、大切なことってあるんですよね。子供の「甘え」を大事にするとか(甘やかしとはちょっと違うの)、子供に自分の考えてることに自信をつけさせるとか。

例えば、靴を一人で上手に履けなくて、「手伝って~」と言うときは「甘え」のサインなので、甘えさせてあげましょう。でも、親がなんでも子供のお世話をしてしまうのは、「甘やかし」。「甘え」を通じて、ちゃんと親子のやりとりをするの。

わがままを言われたときの扱いも困りますよね。お店でおやつを欲しい~とごねて泣き出したり…。あまり要求を突っぱねすぎても、子供が自分の感情を殺すようになってしまうし、なんでも認めてしまうのも、甘やかしになって、際限がなくなってしまう。

でも、こういうのに、どう対応すればいいかはやっぱり難しいんだって。 むしろ、どこまで認めていいか悩む親なら、ちゃんと子供に向き合っているから安心だとか。

あと、子供をしつけようとしてうまくいかないときは、子供ってそういうものなんだ、と、いい意味であきらめてみることも大事みたい。あれはだめ、これはだめと言ってばかりだと、子供は自分自身の評価をどんどん下げてしまうんだって。わがまま言ったり、自己主張ができるというのも、成長の証。

読んでみると、衝撃の子育て法!とかそういう類のものではなくて、納得できることばかりなんだけど、実際の自分に照らし合わせてみると、あれ、意外と実践できていないと思うところが多くて。。

あと、専業主婦(夫)って、とってもストレスが貯まる仕事なんです。まる1日、家事をしながら子供の世話をしてみるとよ~くわかりますので、仕事ばかりであまり子供やパートナーと向き合っていない方は、お試しあれ。他人の子供だと、楽しさ半分というところもあるのですが、自分の子供だと、やっぱり親が全部のトラブルに対応しないといけなかったりと、ストレスが貯まるものです。大変さを共有して、夫婦で負担を分かち合えるといいですよね。

最後のところって、本当は、夫婦だけでなくて、社会全体で共有できるといいことなんだと思っています。小さい頃、親が自分をどのように育ててくれたかなんて、意外と覚えていないものですから。だから、子供がいない人にも是非読んで欲しい本です。 子育てだけでなくて、普通の人とよりよい人間関係を築くのにも役立つと思いますよ。

2006年9月16日土曜日

Mariners: 城島が3番に

これをシーズン中盤で試して欲しかった。Seattle MarinersのHargrove監督。打線がうまくいっていなくても、打順は不動。監督として何もやっていないと思われても仕方がないでしょう。

じっくり腰を据えさせることで、信頼を勝ち取る選手もいるのでしょうが、クリーンナップに据えられた先週がことごとく不調で、他の選手にはチャンスすらまわしてあげない(ペタジーニとか)。今年は(も)ファンをがっかりさせすぎです。球場もがらがらみたいですね。なんともはや。

打順は不動といっても、シーズン当初は2番だったロペスは、もう下位に回されてしまっているし、結局一貫性がないのです。早いうちにあれこれ試さないで、シーズン終了間際に試すからストレスが貯まります。

もうマリナーズにはいないEverettはチャンスで殆ど打てなかったのに、打線は常に城島より前の5番か6番で固定。チャンスが回ってきた回数(ESPN)をみると、いかにバランスが悪いかわかるというか。シーズン中に主力以外はちっとも試さないで、終わりの方であれこれ試すから、印象は最悪です。

ファンが見ている感覚と、監督の采配時期が、数ヶ月遅れているんですよね。 去年までの成績だけを頼りに選手を見ていて、適正を見ようとしていないような気がします。。ベタンコートの3番だって、数試合しか試さないで何がわかったというのだろう…。

2006年9月14日木曜日

15万行のプログラミング

ものは試しに、今自分が作っているシステムのコード行数をカウントしてみました。

C++で7万行超えている…。

えーと、1日に1000行もプログラミングするのなんて、無理ですよね。既存のコードの修正もあるので、のらりくらりと1日200行くらい追加されると見積もって、350日分。ちょうど1年分。 うーん。たいしたこと有るような、たいしたこと無いような。

一番古いファイルは何かと見てみると、2003年4月28日。CVSから、Subversionを使ってソースコードを管理するように変えたのがこのあたりなのかも。

違うプロジェクトで作ったJavaのコード行数を見てみると、8万行ありました。計15万行。これで2年分ですね。

書いたコードを廃棄することなんてよくやるから、単純にコードを書いた量だけだったらもっとあるんでしょう。

ちなみに、BerkeleyDBのソースコードはおよそ19万行、xerces-cは30万行でした。sqliteは7万行ですね。PostgreSQLは70万行だとか。 まぁ、CのコードはC++と比べて大きくなりがち。

これだけ書いていて、自分の作ったシステムがまだつぎはぎだらけなのは、研究結果が優先になってしまうことで、機能優先ではないというところかな。 機能優先にするなら起業しないと金銭的にやっていけない。

年間10万行書くには、1日当たり、400行ですね(休日等を除いて1年を250日として計算)。調子がいいとできるんだろうけど。3時間経ってもバグ取りで10行しか進まないということがありますから…。企業のプログラマだと、これくらい書くと聞いたことがあります。仕様を先に決めてしまうから書きやすいのかもしれないけれど。

あと、経験とともにコード数って短くなるのです。コードを短くするための自作ライブラリも増えるし、人の作ったライブラリの使い方を習得して、ますますコードが簡潔になったり。だから、コードの行数って技術力を表すものではないんだけれど、コード量と実際の書き方をちらっと見ると、プログラミングの経験値は推し量ることができます。

まぁ、これだけ書いたんだから、自分のシステムもそろそろ世の中にちゃんと送り出してあげないと。

2006年9月13日水曜日

Godzilla Returns

久々にたっぷり感動しました。松井の再スタートの試合。

4ヶ月ぶりの試合なのに4-4。打席ごとに、ファンの暖かい声援。でも、それだけでなくて、本当に活躍してしまうのだから、なにか特別なものを持っている気がします。開幕戦はいつも絶好調だし、AL Championship Seriesで、Red Sox相手に5打点を2試合もたたき出したりするのは記憶に新しいです。そういえば、日本でMLBが開幕したときに、東京ドームでも凱旋HRを打ってましたね。

今日の試合は、まぁ、blooperと書かれるように2本は詰まった当たりだったのだけれど、ゴロにならないということはバットをうまく振れているということでしょうか。松井の実績からすると、4-4と打っても不思議はないのですが、本当に大舞台(彼にとっての)でやってしまうところが驚きです。

ジーターがあきれるように笑っていたのが印象的でした。Google Newsでいくつか記事をあさってみたのですが、上記リンクのMLB.comの記事と似たものが多いですね。New York Timesの記事が他と違うことが書いてあって、面白いかも。試合中の雰囲気も伝わるし。

The Yankees Are Fireing on All Cylinders.
Matsui and Sheffield: Future Is All in the Wrist


なかでも、Mike Mussinaの次のコメントが秀逸。
“I hope they don’t expect him to get four hits every night,” said Mike Mussina, last night’s winning pitcher. “That might be a little much.” Mussina paused before adding, “Maybe three.”

(「これで、松井が毎日4本打ってくれるなんて思わないで欲しいね。…まぁ、3本ならw」)

もうみんな期待しちゃっています。ゴジラが戻ってきました。

2006年9月12日火曜日

Windows Vistaはすごい

上記リンクの記事を読んでみて、Windows VistaってXPと比べて確実に進化してる~というのを感じました。スタンバイからの復帰が2秒というのは驚き。期待のMeiryoフォントはあまり文字を並べたときのバランスがよくないような気もしますが、MSゴシックよりは綺麗。

Windows Meeting Spaceって、NetMeetingの改良版かな? 動作が綺麗になっているといいんだけど。
ファイルも共有できるようだから、pair programmingなんてのも簡単になりそう。

ファイルのヴァージョン管理もなされる模様。ファイルを上書きしても、以前の状態が復元できるという機能。まぁ、使用頻度は低いのだけれど、これがあるのとないのでは、作業するときの安心感が違います。

公式ページを覗いてみたら、USBメモリとかを増設メモリとして使えるんだって。今、フラッシュメモリは1GB、1万以下くらいの相場だから、これはありがたい話。フラッシュメモリは、HDDと比較すると、ヘッドを動かすシークタイムが無い上、データが連続に並んでいなくても読み込み速度は一定(だと思うのだけれど)だから、スワップ領域(Windowsでは仮想メモリ)へのデータ退避が相当高速になる。これはすごいことで、だって、メモリ容量ぎりぎりでアプリケーション開くと、動作が途端に重くなるとか、経験したことあるよね? そういうのが、USBメモリを指すだけで回避できるようになるの。

すごいよ、Vista。(まぁ、それぞれの機能のできが良くなくてこける危険性はあるけど)。Web2.0といって、Webアプリケーション(Googleなど) V.S. デスクトップアプリケーション(MS)の構図を主張している人がいっぱいいるけど、ちっぽけなものです。やっぱりOS作れるところが俄然強い。

OSを作るというのはすごい仕事なのです。MacがIntel Core Duoを搭載したとかで喜んでいるのなんて、小さい小さい。一般の人がやれWindowsだ、これMacだとか評価するときって、十中八九見た目の話なの。Macの方が見た目がいい、Windowsはダサい、みたいな。それはそうなんだけど(笑)、OSとしてどっちができがいいかというと、どう考えてもWindowsに軍配があがる。画像描画の速さとか、安定性とかね(昔のWindowsはひどかったけど)。AppleのSteve JobsはMac用の魅力的なアプリケーションは紹介するけど、それってOSの機能じゃないの。iLifeとかiPodとか。

ここから先はOSを作るようなプログラマについての話。ちょっと難しめかも。

今週の週刊ダイヤモンドは、職業別給料比較でした。その中に、「プログラマは単純作業だから、30代までにシステムエンジニアに転機を計らないと先がない」みたいなことが書いてありました。僕はこれに断然反対。Webアプリケーション開発ならいざしらず、OSのように土台に近いシステムを作るとか、innovationになるようなソフトウェアを書くのって、単純作業なんかじゃないんだよ。ハードウェアの知識はいるし、OSの仕組みも知らないで、効率のよいプログラムなんて書けっこない。コーディングの上でオブジェクト指向(デザインパターンとか)やプログラミングスタイル、XP(eXtreme Programming)なんて宗教論争が盛んな方法論もあるけど、それらは所詮方法論。画家でいうなら、絵の具の使い方のようなもの。

本当のプログラマーっていうのは芸術家です。使ってみて初めて便利さがわかるようなプログラムを作る仕事。きっとこの記事を書いた人は、コンピュータにもうわかりきった仕事を反復してやらせるためのプログラムを書く仕事がプログラマーだ、という認識なんだろうな。 しかも去年もまったく同じ記述を見ました(涙)。週刊ダイヤモンドは記事の使い回しが多いようです。言われた通りの絵とか文章しかかかない芸術家なんて、付加価値を生むものは作れないでしょ。それだけのこと。

まぁ、世の中一般のプログラマの仕事というのはそういう単純なもの、ということを言っているだけなのかもしれない。確かに、技術的にみたら、Joelさんも話題にしていたけれど、コンパイラを作れるプログラマが世の中にどれだけいるかというと、僕は、東大でも、情報科学科のコースで学んだ人以外には思い浮かばないです。本1冊程度の知識でできることだけれど、わりと皆やろうとしない。コンパイラってC++とかJavaのとか、難しいものを想像するかもしれないけれど、要するに人間の入力を受け取って、プログラムにしたりデータにしたり、コンピュータがわかる形に変換するだけのもの。

コンパイラが自分で作れるようになると、楽しいですよ~。GoogleのWeb Toolkitなんてのもその例。SQLのように、データベースを操作する言語なんてのも自分で作れます。 standardがあるときに、そういう新しい言語を作るなんてことはしなくてもいいのですが、目的にあったものがないときに、新しいものを生み出す力があると、随分可能性が広がります。僕が自分で開発しているデータベースシステムだって新しい言語が必要だし、rubyなんてプログラミング言語も、プログラムを簡単に書きたいっていうニーズから生まれたもの。で、そう思った人にコンパイラを書く力があったという、その組み合わせが重要。


ここから先はデータベース屋さんとしてフラッシュメモリなどについて思うことなので、興味ない人は飛ばして。

フラッシュメモリがもっと大容量化すると、データベースでいうclustered indexが重要でなくなってくる。メモリに比べると速度が劣ることは変わらないから、ページ単位の読み書きという概念までは無くならないのだろうけれど。 でも、この変化は重要。 PostgreSQLみたいに、ヒープにデータを追記していって、データをディスク上でソートしてないようなへぼな構造でも(vacuumしないと性能がでないやつ)、性能には関係ないってことだから。 ディスク上(ここでいうのは、フラッシュメモリ上)でデータが分散して配置されていようと、連続して配置されていようと読み出し速度が変わらないということは、追記型のデータベースの利用価値も高まります。すごい。HDDに縛られていたデータベース界からのパラダイムシフトが間近。

2006年9月3日日曜日

ヘッドホン考

僕がウォークマン用のヘッドホンに求める条件

  • 長時間使用しても、疲れにくい
  • 電車の中でも低音が聞こえる
  • 音楽を聴きながらでも、周囲の音(特に車の音)が聞こえる
  • 装着感が良いこと

これくらいかな。音質が良い方がもちろんいいんだけど、上の条件の方が毎日使う上では重要なんです。

とりあえず、よく使うソニーの製品を例に説明。
まずは、耳かけ式ヘッドホン。これはコードも巻き取れて持ち歩きに便利な画期的な製品です。ただ、構造的に耳にフィットさせるのが難しいから、耳に届かない音が出てきます。 手で耳を覆うようにヘッドホンを押さえてあげると、音質は悪くないことに気がつきます。
電車に入ると壊滅的。隙間がある分、騒音の方が耳に入ってきてしまいます。




電車にわりと強いのは、インナーイアー(耳栓)タイプ。新発売の、EX-90SLはドライバユニットが大きいので、今までの耳栓タイプのものとは、一線を画しているとか。

耳にしっかり音が届くという意味では、悪くないのですが、なにせ耳栓です。 このタイプのヘッドホンをつけて歩道を歩くだけでも僕は恐怖を感じます。車のエンジン音がまったく聞こえませんから。 自転車に乗りながら…なんてのは自殺行為でしょう。

その意味では、耳掛け式の方は音質を犠牲にするものの、かなり安全です。


双方の欠点を補っているものは、ネックバンド型。耳栓型ほど遮蔽性はないので、街中でも安心して使用できますし、両側から耳を挟むので、音の聞こえ方も悪くはありません。 左の、MD-G94NCは、ノイズキャンセリング機能があるので、電車の中でもベースの低音が聞けるという楽しみがあります。

ただ、悲しいことに、このヘッドホン、音質があまり良くないし、音量も出ないし、なにより見た目がいまいちです。でも、上記の条件をすべて満たしているヘッドホンはこれだけなので、仕方がなく、現在、僕はこれを使っています。 もう一つの欠点は、ノイズキャンセリング用に周囲の音を取り込むマイク穴があるのですが、そこが風に吹かれると、ゴーゴー響いてしまって、かえってうるさくなってしまいます。このせいで自転車に乗りながらノイズキャンセリング機能は使えないのですが、ある意味事故防止の安全弁になっているので、欠点ともいえず。 まぁ、テレビ局の音声さんが、どうして、毛のフサフサしているマイクを使っているのか、理由がよくわかりました。


最後の砦は、オーバーヘッド式のもの。なんか、街中でこの仰々しいものを付けていると負けた気分になりそうなので、僕はまだ使えません。ケーブルも長くて、うっとおしいだろうし。

ちなみに、左はモニタ用ヘッドホンシリーズなのですが、ヤマハのエレクトーンに付属している安いヘッドホンではわからない音の立体感がわかるので、エレクトーンなど電子楽器を弾く人にはお勧めです。

このタイプの欠点というか、これに限らず、耳をすっぽり覆うタイプのヘッドホンは、どうしても長時間使用すると、長電話をしたあとのように、耳が熱くなって痛くなってしまいます。 自宅で使う分にも、長くは使えないのが悲しいところ。


最近見た強者は、左の、ヘッドホンにiPodを差し込むという代物。 かなり目立ちます。びっくりして、一体なんなんだろうと、そのヘッドホンを付けていた女の人を、しばらくじーっと見つめてしまいました(ごめんなさい)。

調べてみると、mTuneというヘッドホンらしいです。やっぱり外でも高音質、携帯性を求める人というのはいるのだなぁと実感しました。ケーブルがないのも良いですね。
うーん。でも、やっぱり、これ付けて歩いている人がいると、びっくりするよなぁ。

そういえば、 耳栓とまでは行かないヘッドホンもありましたね。 このタイプも、周囲の音は聞こえるので安全だと思います。でも、高校の時にこのタイプをよく使っていて(というか当時はこれくらいしかウォークマン用のヘッドホンの種類がなかった)、耳が痛くなることが多かったので、最近は試していません。

最近気になるヘッドホンは、BOSEのTriPort。装着感も音質も良さそうだし。ただ、折りたためないから、持ち歩くのには不便? オーバーヘッドだから髪型も崩しそうだし。 あと、値段が2万超えと高めです。

並べてみても、どれも帯に短し襷に長しなんですよね。音質と見た目の良くなった MDR-G94NCがあれば、最高なんでしょうが。

2006年9月2日土曜日

BlueTooth ヘッドホン: VGP-BRM1D

VGP-BRM1D -Sony Style

こういうのって、ポータブルオーディオ本体と一体化して欲しいと思います。
ヘッドホンケーブルから解放される日が来るのが待ち遠しい…。

2006年8月23日水曜日

[MLB] 松井稼 Major復帰

と思って喜んでいたら、スタメンじゃない! 代打起用?
というか、監督は彼を使う気があるのでしょうか…。

残り1ヶ月、代打で実力を証明しろと言われても、さすがに、ねぇ。

実際、NY YankeesのBobby Abreuは移籍後、1週間で実力を証明しましたが…、Yankees打線は周りもよく打つから、四球を稼ぐ、ヒットでつなげるなど、catalyst(触媒)の役割を果たすだけで合格点なのです。

ここは、メッツの頃から3年連続で続いているように、初打席初HRを期待(笑)

2006年8月22日火曜日

[Music] TRIX: "ART "

こちらは作曲者本人のliner notesです → tubunori

フュージョングループ、TRIXのアルバムはこれで3作目。スクエアとかカシオペアのように、日本のフュージョン路線まっしぐらなので、お気に入りです。エレクトーンプレイヤーの窪田宏もメンバーというのも好きな理由かな。

で、リーダーの熊谷氏が主に曲を作っているのですが、アルバムに必ず問題作を入れてくれます。「サムライ」「くりくり」に続いて、今度は「毛根ファンク」。1度聞くと頭から離れません。これらの曲のおかげでCDのインパクトが強すぎです。

歌詞はあれなんですけど…(フュージョンなのに歌詞…?)、曲はかっこいいのです。そのギャップがまた。

ここで視聴できるみたいですね。毛根ファンクは覚悟して聞いてくださいな。。。

Create Your Own Tumbler


StarbucsのCreate Your Own Tumblerに、以前紹介した台紙を印刷して入れてみました。

スタバにはあまり行かないので、お店で使う機会はそうないのですが、おうちで飲み物を楽しむのに重宝しています。

もっといろいろデザインしてみたいなぁ。

[NHK知るを楽しむ] 予測できるはずの失敗

NHK「知るを楽しむ・失敗学」の第3回目です。今回のテーマは、「予測できるはずの失敗」

ベビーカーが電車のドアに挟まって引きずられてしまう。閉まろうとする防火シャッターの下をくぐろうとして挟まってしまう子供。プールの排水溝に吸い込まれてしまう。

人のように大きいものが挟まる場合は、当然、探知できるようになっています。でも、ベビーカーの前輪の軸の細い部分だけが挟まると、センサーが探知できずに引きずられる。 防火シャッターはゆっくり下がるので、手で止められると思いがちだけど、実は、シャッターはとても重く、一度下がりだしたら止める手段がないということ。プールの排水溝は、人がいないところで水を排出しなければいけないことを失念していたこと。それが、排水溝の蓋を管理しないという実態、事故につながったという事実。

どれも、知っているべきことを知らない、ということが招く事故。駆け込み乗車をしないとか、排水溝で遊ばないとか、ルールとしては知っているはず。でも、それがどうしてかという部分に、考えが回らない状況が生まれるようです。

僕が自動車免許を取るときに感じたことなのですが、交通ルールの持つ意味などは、小学生のうちからでも教えた方がいい。「止まれ」と書いてある道路や標識は何を意味しているか。死角から車が出てくる場所なんですよね。

あれをしちゃだめ、これをしちゃだめ、と頭ごなしに禁じることは簡単だけれど、本来なら「どうしてそういうルールがあるのか」という知識の共有をはからないと、ルールを定める目的、すなわち、個々を守るという機能が、十分に働かないことがあるといういい例。(直接的には関係ないけど、東京都教育委員会が君が代を強制したり、反抗したりというのは、知識の共有化が図られていないいい例でしょうね。靖国参拝の是非とかも。)


もうひとつ、驚きがあったのは、中越地震の時の上越新幹線の脱線事故について。メディアの報道では新幹線の安全神話が崩れたという見出しが多かったようですが、あれは事故というより、大惨事を事前の対策により防げた珍しい成功例だということ。死者・怪我人0人というのは、偶然や奇跡だけがもたらした結果ではなかったようです。そういう趣旨でネットを調べると、なんとも心あたたまるお話も見つかりました。


けれど、うまくやればこのように効果的なのに「予測できるはずの失敗」を防ぐというのは、なんと難しいことか、とも同時に思います。それは、人は怠惰で流されやすい生き物だから。日々の生活や、あのときああしておけば良かったという後悔なんて、往々にして予測できるものです。ただ、先のことについてあれこれ予測することは億劫なものです。それでも、失敗をしつつも、先を考えすぎずに生きていく楽観さ加減が、良い方向につながることもあります。

2006年8月21日月曜日

[Book] C++ Coding Standards

後で買って読んでみようと思います。

世の中C++を使える人はどんどん減っているだろうし、Javaを使う方が遙かにコーディングしやすいことは事実なのですが、OS関係、DBなど、速度が要求されるシステム開発用には未だにC++以上のものがありません(と僕は思ってるけど本当かな?)

2006年8月19日土曜日

Create Your Own Tumbler



タンブラーはどうやら、白背景だと味気ないようです。しかも、円筒なので、丸めると180℃の範囲しか見えないので、デザインも視覚の範囲を考える必要あり、と奥が深い。

見栄えがするように配色を変えてみました。PDFはこちら (seabreeze2006_blue.pdf)

2006年8月18日金曜日

[Seattle Mariners] 1995 Refuse to Lose

NY Yankeesの松井が怪我のリハビリ中なので、今年は、イチローや城島のいるSeattle Marinersのウオッチャーをしているのですが、まぁ、とにかくここ数年のマリナーズは弱い。試合を見ていると、悲しくなってくるほど打線がつながらないので、途中で見るのを止めてしまうことが多いし、その後逆転勝ちするなんてこともありません。

投手陣が試合を崩すことが多いのですが、それでも、MLBのチームの中ではERA(Earned Run Avarage:防御率)は中堅程度。なんといっても、OBP(On base percentage:出塁率)が低すぎです。四球を好まないイチローの.375がチーム最高というのはおかしい。それを裏付けるようにチームの四球の数もMLBの中では最低クラス。イチローは常に打率が平均以上なので、OBPも高めになるのは普通なのですが、YankeesのJason Giambiとか、GiantsのBarry Bondsのように、打率が.250台と低くても、OBPが4割を超えたりする強打者もいるのです。そのタイプであるべき、Riche SexonとかAdrian Beltreがそうなっていない。

それでも2人が戦犯というわけでは決してなくて、皆、総じて得点圏での打率や出塁率が低いのです。対照的に、今年のWhite Soxは、長距離打者でなくても、得点圏で出塁率が4割超の選手が多く(井口も含む)、実際に試合を見ていても気持ちのいいことが多いです。

まぁ、Marinersより打てなくても、Oakland Athleticsのように投手陣(あるいは守備)が良く失点が少ないから勝てるというチームもあるので、チームの好不調の原因を探るのは難しいところです。

前置きが長くなりましたが、タイトルの記事によると、8月の時点で12.5ゲーム差が付いていても、Marinersは1995年に逆転地区優勝したことがあるそうです。今年のMarinersは若手選手の発掘という意味では大成功しているし、あと少し何かがかみ合えば、勝てるようになるのかも、と期待。

ただし、その条件は「あきらめないこと」。そして、「まだ、あきらめていない」という意識がチームに行き渡ること。

去年のYankeesでは、この意識がプレイからもよく伝わってきました。最終的に2位のRed Soxとはゲーム差0。直接対決の優劣でYankeesが地区優勝。1試合の重みが伝わるシーズンでした。

2006年8月17日木曜日

Starbucsのタンブラー


Starbucks Coffeeで売っているタンブラー

自分の好きなデザインを使えるということで、30分程度でお手軽に作ってみました。印刷用PDFはこちら。seabreeze2006.pdf

最近、とても熱いので涼しげな配色にしました。もっと丁寧に作りたいところだけれど、時間が惜しいのでこれくらいで。

御自由にお使いください。

東大生はカフェが好き

そうなんです。本郷周辺のカフェでは、昼などのピーク時以外、本やノートPCを開いている人は十中八九東大生だと思います。

ファミレスでは、勉強目的での利用は、迷惑なのでしょうが、スタバなど、禁煙が当然の最近のカフェでは、そういう人を許容している雰囲気があって、回転率も悪くはない様子なのです。むしろ、リピーターをつかんでいると思わせるくらい。

集中しやすい環境って人によって違うと思うのだけれど、カフェが他の場所と比べて好まれる理由を挙げてみます。

・生活の拠点であってはいけない (自宅の外という多少の不自由さが必要)

・大学の図書館のように、周りが必死に勉強しているところでもいけない (同じように勉強している人がいると、プレッシャーがかかるし、気をつかってしまう)

・周りが多少ざわざわしている方が、「入り」やすい。(たぶん、上と同じ理由で、周りが好きなことをしている環境の方が気楽なのです)

・きれいで落ち着く (国立大学の教室や研究室は、私立と比べて相当汚いところが多いです)

・カフェインの効果 (そのうち中毒になります)

・禁煙であること(必須です)

集中する目的や、至福のひとときを楽しむ人が多いので、あまり大勢でカフェに押し寄せて騒いでいると迷惑かと思います。カフェなのに大声で大志を語るグループとかもいるらしい…。きっとサークルとか、ゼミの学生を引き連れた先生とかですね。これだから東大の男どもは(自分もそうなので恐縮なのですが…)と思われること請け合いです。夢は立派でも、人を不快にさせていることに気付かない人では…という気分なのでしょう。


自宅で研究をしているときも、上の環境に近づけてみようと努力はするのです。部屋を片付けて、コーヒーを用意して(自宅で用意すれば砂糖使わずに済むし、コストも安い)…。でも、そこが自宅であるという一点で集中できないことがあります。ネットにつながるので、ブログを書いてしまったり。調子が出ないとすぐモニターの前から離れてしまったり…。敢えて不自由な環境に身を置くというのは、集中するために欠かせないみたいです。

そうすると、世俗を振り切って、カフェで1時間でも集中できた方が、半日家で作業してちっとも進まないときより気が楽だったりします。

プログラムを組んだり、文章を書いたり、いつのまにか、作家や芸術家のように一人でする仕事中心の生活を送っています。一人の仕事をしていると、人の中で仕事ができる環境に憧れることが多いですが、対人関係のストレスなどの大変さもあるだろうから、どっちがいいかは、自分の適応能力次第。

それはさておき、一人でする仕事って、集中に「入る」ための、disciplineが必要なんです(この意味のdisciplineのうまい日本語訳が思い浮かばない…)。あるときはできたものが、あるときにできなくなる。カフェを使うと、それが実行しやすくなるという不思議。まだまだ探求の余地はありそうです。

当然、僕にもお気に入りのカフェ(空いていてキレイ)はあるのですが、場所は内緒です。時間帯によっては本当にガラガラなので、つぶれやしないかとハラハラさせられるところではありますが、それでも秘密です。カフェでの時間はそれくらい大事なのです。

2006年8月16日水曜日

NHK-FM: 青春アドベンチャー

NHK-FMで平日に毎晩放送されているラジオドラマです。10年以上前に良く聞いていたのですが…まだ続いていたとは驚きです。

1つの小説を題材に10話ずつ。夜寝る前に、布団に入りながら聞くのですが、とても幸せな時間でした。このラジオドラマをきっかけにして原作を読んで好きになった作家さんなどもいます。マイクル・クライトンの原著なんかも、ここで聞いて、挑戦したような記憶があります。調べてみたら、1993年! 中学生くらいですね。そのときに英語なんてちゃんと読めたのだろうか…不思議。でも、ロストワールド(1995)は映画化前に新刊で読んでいました。続編だ!と思って喜んで買った覚えがあります。うまく理解できないところは、本屋さんに出かけて翻訳本を眺めてみたり…。


どうやら青春アドベンチャーは1993年頃によく聞いていたようです。マイクル・クライトンの「ジュラシックパーク」なんて、確か日本で映画が公開される前に放送していたし、「五番目のサリー」、赤川次郎の「ふたり」も面白かったような。

今日、この日記を書いているのは谷山浩子さんの「悲しみの時計少女」を思い出したから。映画 The Sixth Senseを見たら、この話を思い出したのです。驚くべきことに話に仕掛けられているトリックが同じなんです。Sixth Senseの構成も当時(2000年頃)としては目新しく衝撃的だったようなのですが、日本にはそれよりもっと前にあったのですよ!思わずニヤリとしてしまいます。

でも、15分という短い幸福の時間は10話分しか続きません。ですので、ラジオドラマは終わってしまうと寂しさがかなり残ります。次の話の初回があまり好きではないと、がっかりして、それ以降は飛ばしてしまったり…。

村山由佳さんの「天使の卵」もラジオドラマ化してたんですね。聞き逃したので残念。「ウォッチャーズ」「あの夜が知っている」「アナスタシア・シンドローム」とかは、スリラーでハラハラしながら聞いていました。そのあとで、「くたばれ!ビジネスボーグ」とか、「笑う20世紀」みたいなコメディも悪くなかった気がします。

当時インターネットが普及していたら、聞き逃すなんてこともなかったのかな。 でも、Podcastのように手軽なものでなく、ラジオに集中して決まった時間に聞くという、あのわくわくする雰囲気は忘れられません。しかも、当時、自宅には、古くて大きいのだけれど、立派なラジオがありました。当時はやりのラジカセのような無機質なものでなかったことも、楽しめた原因かな。


でも、それ以来、大学に入ってから、小説をゆっくり読むことが本当に少なくなりました。もったいないなぁと思います。教科書とかコンピューターの技術本のひどい翻訳ものを多く読むようなった時期です。洋書にしても、当時は小説以外のもは購入しにくかったですね。価格が高めだし、店頭にならんでいることもない。理・工学系のものばかり読んでいるうちに、文学的な美しさに触れる機会からはどんどん遠ざかっていきました。

それでも、僕が小説に触れる出発点だった青春アドベンチャーは続いている。 文学の中で生きている人がこんなにもたくさんいることに驚きを感じます。今は論文を書いている最中なので、技術的なものにしろ、文章を「職人的に書く」ことが、どんなに大変なことかを実感している時期です。素人だけれど、いっぱしの作家並にスランプはあるし。文学に生きている人たちをみると、いい物に触れ、書く経験を積むことをしてこなかった自分が少し悲しくなってきます。マイクルクライトンもいい作家にはなるには「たくさん書くこと」とコメントしています。

コンピューター屋さんでも、書くことはとても大事なのです。自分の作ったコードを多くの人に使ってもらうためには、やはり文章を書かないといけません。それも、面白く読めるように。 研究者としても、書くことは必要な能力。書くことで、理論が整理できて美しいコーディングにつながったり、大きくアイデアが変わることを実感したりします。 論文は本来、業績とか自分のためではなく、人のために書くべきものなのだけれど、書いて残すということは、研究の理解者を増やすという意味で、実は自分を助けることにもつながります。


まとめると、僕にとっての収穫は、
「物語は至福の時間を与えてくれる」ことを思い出せたこと。
「書き続けること」以外に上達の道はない、ということ。

最後は「継続は力なり」と同じですね。音楽などでもそう。僕の持論は「いいもの(あるいは成果)はオフラインで生まれる」。インターネットばかり眺めていても、もの知りにはなれるけれど、望むようには成長できないという感覚。

2006年8月13日日曜日

The Village

映画「The Village」をDVDで見ました。

感想は「面白かった」。怖い映画なのに、「面白い」というのは変なのですが、映画を見た後の満足度が高かったので、こういう表現になります。監督はM. Night Shyamalan。同じ監督の作品「The Sign」も見ていたので、恐怖の対象(宇宙人とか怪物とか)は映像として出てくるのだろうなぁと、思っていたら、今回もやはりそうでした。見えているときも、見えてないときも怖いです。でも、ホラー映画のような怖さとはちょっと違います。

決してお金がかかっている作品ではないのです。でも、見る人に感じさせたいものがはっきりとしているため、見終わった後の気分がとても良いです。Star Warsとか、Harry Potterのような娯楽大作も大好きなのですが、いつも、映像の凄さは印象に残るものの、後に残るものが空虚な気がしてしまいます。「あ~終わった」という感じ。感想が、あの映像はどう撮ったんだろうとか、ストーリーよりも技術に偏りがちです。

The Villageのテーマは無垢であることの美しさとか、愛などでしょうか。The Signは家族愛だったと思います。娯楽作品にありがちな「正義は勝つ」のような押しつけがましいテーマでもなく、見る人それぞれが、映画を見た後で様々に思いを巡らすことができるような、そんなテーマです。

この監督の作品のThe Sixth Senseも面白いらしいです。今度見てみよう。

2006年8月12日土曜日

ダヴィンチ・コード

映画は駄作らしいと聞いていたのですが、原作の前半を読んだ限りの感想ではスリリングな展開で、ルーブル美術館の内部とか、寺院とか、映像化したものにとても興味が沸いていたので、映画の方も見てきました。

一応話を十分楽しめるように、先に原作を読みきりました。でも、英語のペーパーバックで592ページ。日本語訳の文庫本で上・中・下の3冊分という超大作です。ただでさえ英語を読むのは日本語ほどには速くできないのに、このボリューム。原作では、物語の視点がキャラクターごとにちょくちょく変わったり、キリスト教関連の見慣れない言葉が並ぶので、もう大変でした。それでも、最後まで読ませるだけの魅力はあるので、良い作品なのだと思います。

でも、この作品、ダヴィンチの作品に秘められた秘密を売りにしていますが、ダヴィンチの絵に隠された秘密なんてものは、結局はダヴィンチが真実を描いたかどうか、そもそも彼が真実を知っていたかどうかすらわからないので、あまり衝撃的ではありません。それよりも、話の中で最初に殺されるソニエールの残した謎の方がはるかに複雑で、難解なのです。その謎をキリストにまつわる歴史的な事実から紐解いていくという、その過程が楽しい作品。

それを強く伝えるためには、ソニエールの暗号好きな性格や、それを孫娘のソフィーに教育する過程があって、暗号解読が得意になったソフィー、解読に必要な宗教的知識を提供するラングドン教授のコンビが活きていたのに…。

映画では、ソフィーは扱いが低く、暗号をちっとも解いてくれません。ラングドンも、謎解きをあきらめるのが早いと思えば、オラクル(神の啓示)があったように暗号をすんなり解いてしまったり。。。暗号の数自体も時間の都合上、原作より少なくなっているのだけれど、どんな暗号が書いてあるかよく見えないし、内容を覚えきれないうちに、話がどんどん進んでいきます。話を知っていてもついていけない…。これではカンヌ国際映画祭でブーイングが起こるのもうなずけます。悪役も本当に悪意をもったただの悪役になっているし。彼らが犯罪に手を染める過程や心理を描ききっていないので、深みのない善悪の対決になってしまいました。

ずいぶん昔にジュラシックパークの続編「ロストワールド」の原作を読んでから、映画を見たときも、映画の方が話が大衆向けにチープになっていて、がっかりさせられたのを覚えています。最後にT-Rexがアメリカに上陸しなくてもいいんです。あの話は(涙)

それでも、どうしても文章だけでは想像できなかったルーブル美術館の雰囲気とかガラス張りの外観などが見られて大満足。Sirasの苦行の激しさも想像以上のものでした。教会の内部の造りとかも楽しめました。

ヒロインのソフィー役の人は「アメリ」の主役の人だったんですね。「アメリ」も見たくなりました。トムハンクスも、もうちょっと若かったら、ソフィーと恋に落ちるシーンはカットされなかっただろうに。明らかに髪が薄くなっているのが災いしています(笑) 数年前までは、恋愛映画にでていても違和感がなかったのに。 あと、ジャン・レノがでてくる映画では必ずといっていいほどがっかりします。彼の心理描写の演技は下手。「ミッションインポッシブル」の犯人役のときも最低でした…。

原作を読まずに映画を見た人のブログでは、歴史とか宗教の知識がないから理解できなかったという感想をよく見かけます。でもその本当の原因は、製作者側が、タイトルどおり、ダヴィンチのメッセージ中心の映画となるように、原作の面白い部分を摩り替えてしまったので、歴史の話をする部分と謎解きの過程が結びつきにくく、おかしな話になってしまったのだと思います。 

最後に、戸田奈津子さんの字幕にはもううんざりです。key stoneを「要石」と訳したり。「キーストーン」でいいじゃない。「宇宙戦争」でも最後の重要なメッセージでとんでもない誤訳があって、なぜ宇宙人が全滅したかわからなくなっています。もう少し、原作に愛着をもった人に字幕の仕事をさせてあげればいいと思うのですが。意訳とか、セリフの時間にあわせた字幕を作るのはいいのです。英語のジョークなんて正確には訳せないし。けれど、物語の雰囲気を壊す訳は良くないと思います。ティービックも高貴な人の役なのに、最後の最後で安直な人にしてしまっていたし。

2006年8月8日火曜日

オザワ洋菓子店のいちごシャンデ



オザワ洋菓子店の「いちごシャンデ」はお勧めです。いちごにクリームがのって、チョコレートでコーティングされています。クッキーが台座になっているので、買ってその場で食べていく人もいるとか。

個々の味はきっと普通なのです。でも、妙味はこの組み合わせ。苺の甘みと酸味に、チョコレートが絡んでくると、とっても幸せな気分になれます。

2006年8月7日月曜日

NHK知るを楽しむより: 失敗学

NHK知るを楽しむ NHK教育テレビ 月~木曜日 午後10:25~10:50を見ました。

六本木ヒルズの回転ドアで子供が挟まれて死ぬという事件以来、回転ドアは危険なものという認識を持っていたのですが、そもそもヨーロッパなどでは回転ドアは軽く作られていて、挟まれたとしても大事故に至らないという 「本質安全」性が満たされているそうです。

回転ドアは軽く作らないと危ない、という職人さんが持つ知識はあったようです。ただ、日本に輸入され、見た目をよくするために回転ドアに装飾を加えていくうちに、ドアは3倍以上の重量になっていたそうです。重くなるほど完全静止までの距離も長くなってしまうのを、センサーを増やすことで、安全性を確保しようという「制御安全」の方針がとられました。

結果として、センサーが探知できない部分があったり、人が挟まるのを探知してからドアが静止するまでの距離が設計者の想定以上のものとなり、事故につながりました。

この「失敗」を教訓に、「本質安全」を持った上で、多重に「制御安全」のセンサーを使った回転ドアが開発されているようです。「失敗学」というのも、失敗の経験をいかに活用するか、また、失敗を活かすためにはどのように失敗の知識を蓄積しなければならないかを追求する学問だとか。


試行錯誤という言葉があるように、日常の中でも膨大な数の失敗をしています。その失敗は経験として個人には蓄積されていきますが、それを他と共有すること、情報学の立場ならデータとして表現し人に伝えるという作業は、仕事の効率化や質を高めるという意味で、どの分野においても役に立つでしょう。 とりあえず失敗をとりかかりとしているけれども、この応用分野はもっと広いものだと思います。

野球選手なら、バッティングのときの体の感覚がそう。イチローがテレビで言っていたけれど、自分が良いと思うバッティングの感覚があるけれど、言葉にするのが難しいので、ここを守っていれば大丈夫、というポイントを探す努力をしているそうです。それでも、気づかないうちに理想とずれていくことがあるとか。失敗と正確に分類できない情報もありそうです。

データベース屋さんにとっては、これは永遠のテーマですね。人の知識をデータにする。その収集方法から情報のプレゼンテーションを自動化する方法まで、興味は尽きません。

2006年7月22日土曜日

「天使の梯子」

気になったので、早速買ってきて読んでしまいました。

「天使の卵」は衝撃的な作品です。それゆえに、読んだ後、心にぽっかり穴が空いた状態になってしまいます。でも、その10年後のお話である「天使の梯子」は、そのときにできた心の隙間をやさしく埋めてくれる作品になっています。

10年という時間が経っても、辛い思いでの記憶は捨てきれるものではありません。思い出したくないことであっても、何かの拍子に記憶の「箱」から引き出されてしまう。生きていくために必要なのは、そういう記憶を忘れ去ることでも、乗り越えることでもなくて、ただ、新たなスタートラインに立つことなんだ、というメッセージが、この作品には込められているような気がします。

2006年7月21日金曜日

「天使の卵」 映画化

村山由佳さんの「天使の卵」は、僕が高校生のときに読んでとても衝撃を受けた作品です。

原作の解説はこちら

もう10年以上にもなるのですが、テレビドラマや映画を含めても、この作品ほど深い感銘を受けた作品は未だにありません。

不思議なことに、村山由佳さんは、この年代の男の子の心理をよく掴んでいるのです。彼女を守る正義のヒーローになりたいとか、偶然の再会に思いが止められなくなるとか、その他にも色々、心の迷いまでも的確に掴んだ心理描写があったと記憶しています。当時、僕も、主人公と同じくらいの年齢だったことや、よく絵を描いていたことも共通していたので、より一層、感情移入できたのかもしれません。

本当はもっと内容について書きたいのですが、書いてしまうと未読の人に悪いので書けません。ぜひ原作を読んでみてください。映画の方も小西真奈美というキャスティングはぴったりだと思うのですが、小説ほどの感動は生み出すのは難しいのではと、感じています。

映画化の情報ついでに、「天使の梯子」という続編も出ていることを知りました。「天使の卵」の10年後に出版、内容も、10年後とは…。読んでみたくなりました。村山由佳さんインタビュー

2006年7月3日月曜日

シカゴから帰国

シカゴから帰国しました。

滞在中は、jet lagが続いていて日中は常に眠けが断続的に襲ってくるという状態。けれど、日本に戻って来てからはすんなり適応できました。日本時間が抜けきれなかった様子。

とりあえず、覚え書き。
  • データベースの教科書に出てくるような人の話が沢山聞けた
  • アメリカ人はカフェインを気にしている
  • UNOの深鍋ピザはおいしいが食べきれない
  • 朝食はベーグル&クリームチーズばかり
  • 日程も最終日のWorkshopにまでなると、参加者が減る上、出てくる人もみんな疲労しきっている。
  • 会議に参加すると、研究の方向性の確認ができ、とても触発されます

2006年6月27日火曜日

時差ぼけ

シカゴに到着後、早速時差ぼけになりました。

現在午前4時(日本時間18時)ですが、眠れません。
まぁ、当然と言えば当然の時間。

2006年6月26日月曜日

SIGMOD/WebDB 2006 に行ってきます

今日からシカゴに行ってきます。

子供がまだまだ手のかかる時期に、海外の 学会に行くのは大変です。普通なら、意気込んで行くところですが、後ろ髪引かれる思いがします。

それにしても、毎度のことなのですが、SIGMODとその他ワークショップに他の日本人発表者が見あたらない…。DB研究者はいっぱいいるはずなのに、僕みたいに英語慣れしていないひよっこ一人では、かなり寂しいのです。 プレゼンはしっかり頑張らないと。

できれば今度は、SIGMODの方に論文を通して発表したいです。
何せDB分野の最高峰ですから。挑み甲斐があります。

2006年6月21日水曜日

AirMac Express


アップル - AirMac Expressを使っています。

iTunesの音楽をPCから無線で飛ばして、自分の好きなスピーカーで再生できるという代物。

でも、それだけではなく、無線LAN用のルーターとしても機能するし、既存のネットワーク環境を延長するブリッジにもなります。もしすでに無線LANの環境があるなら、クライアントモードに設定すれば、コンセントに挿して好きなスピーカーにつなぐだけで、音楽を持ち運べます。サイズも小さいので使い勝手がとても良いです。おすすめ。

2006年6月17日土曜日

タイピングを速くする方法

タイピング速度向上の秘訣はいくつかあると思いますが、いい方法を1つ発見。

それは、

「ハノンを練習したあとに、タイピングをする」

ハノンはピアノのトレーニングのための楽譜です。ハノンで練習をすると指や手首がとっても疲れます。指の力がつくのはもちろんですが、指が疲れた状態なので、最小限の動きや力加減でタッチする感覚も同時に身についていきます。

この感覚が、キーボードのタイピングにはぴったりなのです。

2006年6月16日金曜日

ガリダリシュッポン!

おかあさんといっしょの今月の歌はなかなか楽しいです。

うちのゆいくんもなかなか歌詞は覚えられないようで、
「ガリガリシュッポン ウキウキワクワク~」
と歌っています。歌詞は違うけれど、これはこれで楽しいのでそのまま歌わせています。

巷では、しょうこお姉さんのスプーの絵が話題になって、この番組の俄ファンが増えたのだと思いますが、お姉さんの絵よりも、この番組のクオリティの高さに目を向けて欲しいです。他局の同様の番組だとどうしても見劣りしてしまいます。

話題に載せられて、例のスプーの絵の画像や動画をあちこちにばら撒いている人がいるけど、人を笑って楽しむなんて大人気ないことしてないで、それよりも、もっと楽しくて面白いものをNHKは作っているってことの方に気づいて欲しいですね。

「おかあさんといっしょ」だけではなく、人形劇による楽団「クインテット」、不思議だけど身近なからくりを見せる「ピタゴラスイッチ」などなど。大人が見ても面白い番組がたくさんあるのです。ひろみちお兄さんの「おかあさんといっしょ あそび大好き」も、行楽地にまで行かなくても、身近なところで楽しい遊びができることを見せてくれます。

ぜひ、お試しあれ。

2006年6月15日木曜日

Impossible is Nothing

Addidasのスローガン、"IMPOSSIBLE IS NOTHING"は、とっても気になるフレーズです。

これって、日本語の「不可能は無い」という意味そのものです。何のクッションも入らずに、この日本語のニュアンスがそのまま英語になっている珍しい例だと思うのです。

確かに、同じようなことを英語で言うとき、"Nothing is impossible"の方が良く使われると思います。Impossible is nothingというのは倒置だとか、文法的に間違っているのでは?などとmixiのとあるコミュニティでも物議をかもしています

でも、文法中心の中高の英語学習から離れた身としては、文法的にどうかなんていうのはもはや問題ではなく、英語にもっと慣れ親しんだ人にはどういう意味に聞こえるのだろうということの方が気になります。そこで検索していると、どうやら同じようなことを考えている人があちこちにいて、英語のネィティヴスピーカーの次のようなコメントを発見:

That slogan Impossible is Nothing doesn't mean the same thing as, "Nothing is impossible." When we say something is "nothing", we mean that it's very easy, so I understand the slogan to mean, "People say that's impossible, but for me it's a piece of cake!" We say, for example, "That job is nothing!" meaning that it's extremely easy. "I can't jump over that fence. It's nothing." "It's nothing to beat that team."

So, I think the slogan is clever. It basically means, "Sure I can do the impossible. It's nothing!"



要するに、"Impossible is nothing"は「人は不可能だというけれど、僕にとってはたやすいことさ!」と聞こえるそうです。日本語で「不可能は無い」なんて言う人は、相当の自信家だという印象がありますが、その機微が英語としても伝わっているのです。


そういえば、日本の中・高校の時って、試験のときに和訳するという作業がとっても嫌いでした。読んで意味がわかることと、それを別の言語に翻訳することの間には、この例でもわかるように、意外と壁があるのです。「不可能はない」を"Nothing is impossible"と言うと、見落としているニュアンスがある。そのような感覚を無視して、「直訳しろ、意訳はだめだ」、とか言うのです、日本の英語教師って。だから、直訳という言葉を使う人は無神経なのかなと思ってしまいます。

日本人は英語ができないというけれど、それって単に経験が少ないだけなんだと思います。こういうことをどう表現するか、というストックの絶対数が足りない。読むにしても、聞くにしても、書くにしても。でも、それを補ってくれる教師が少ないのが日本の不幸。

今は、インターネットを使えば、読み物も手に入るし、ニュースも聞けるし、インターネットの方がよっぽどいい英語の先生になる時代です。でも、日本って普通に暮らしていると1日のうちで英語を全く聞かないなんてことがあるので、言語のストックが貯まりにくいんですよね。

日本だと、情報系で優秀な人でも、日本語のみの生活に閉じこもっていたりするけれど、コンピュータの世界のde factoはもう何十年も英語だし、もう少し英語を使う人が増えてもいいのに、と思う今日この頃。

2006年6月14日水曜日

時間コストの見積もり

ある仕事をするのにどれくらいの時間が必要か、というのを見積もることは、かなり難しいです。

  • 論文を1ページ書くのに必要な時間。
  • 1つの目的のためのコードを作成して、その動作を確認するのに必要な時間。
  • 本や雑誌を読むのに必要な時間。
  • 機器の設定をするのに必要な時間。

細かく見ていくと、1つの作業のなかでも、いろいろな動作が混じっていることに気づきます。参考文献を探すのにネットで情報収集、他にも面白そうな分野に遭遇し、さらに検索を進めてみる。論文を印刷する時間、ツールの使い方を覚えたり、気分転換にお茶をしたり。ブログを書いている時間もそう。ノートに仕事のロードマップなどをまとめたり。

どの程度のデータのストックがあると、次の仕事の見積もりに役立てることができるのか。程度の大小や、どの仕事をしているかの分類も含めて、どのようにデータを収集して管理するかも、面白い問題だし、プログラム作りの目標としても面白いプロジェクト。ストップウォッチを使って、どんな種類の仕事をしていたかを、補完機能を使いながら入力。精度が要求されることではないし、入力すること自体がストレスになってはいけないので、インターフェースにも工夫が必要。曖昧な時間の入力に対応すること、とか。後で入力を補えるようにするとか。ネットワークと断絶しているときにでも、ローカルに蓄積された時間データを、データベースと同期させるとか、単純なことだけど、考えるべきことはたくさんあります。

企業では既にこういうシステムが稼動しているところが多いとおもうのだけれど。

収集したデータを利用して、Excelのピボットテーブルのようなもので集計できると、さらに楽しい。プロジェクトの各項目(development, testing, debuggingなど)に費やした時間を見てみたい。仕事(タスク)に毎回毎回いろいろな分類(プロジェクトのコンポーネント名とか、勉強とか、読書、執筆などなど)
を与えると思うのだけれど、それらのontologyを構築できるようにすると、もっと楽しい。

こういう問題こそ、XML DBの出番。

2006年6月13日火曜日

World Cup

仕事をしたり、プログラミングをしながら横目で眺めていました。

それほどサッカー好きではないので、前回のWorld Cupの時に目立っていた宮本とか久保とか、欧州に行ってテレビによく出てくる選手しか知りません。

運よく先取点をとって、がんばっているなぁと関心していたところ、
後半目を離した隙に、あっという間に3点。
明日は日本中がイライラしているか落胆しているのだろうなぁ、と。

# mixiでは、早くも日記で怒りをぶつけている人がいて辟易してしまいましたが。ああいう場所で失態を演じると、即座に非国民扱い。恐ろしい

昔はサッカーをよくやっていたので、45分だけでも体力的に厳しいことは知っています。映像だけだとわからないけど、かなり炎天下だったとか。頑張りすぎてしまうと、熱中症にもなるでしょうし、精神的にも張り詰めていないととても45分&45分は持ちません。

それを踏まえて、90分を戦い抜く体力の温存の仕方とか、相手に走らせる戦略を取っていることは十分伺えて、日本のプロのレベルの高さに関心していました。

ただ、ディフェンスでは、壁を厚くし、十分な人数がいるにもかかわらず、縦に突破されることが多かったのが気になっていました。中盤では敢えて仕掛けずに、厚いディフェンスでボールを拾う狙いだったのでしょうか。あまり、見たことがない陣形だったけど、少なくとも失点するまでは機能していたようだし、そういうものなのかなぁ、と。

実際、その厚いけれど強引な突破に弱いディフェンスを突かれて失敗したようですが、あの世界最高の舞台という環境、残り時間わずかのところで追いつかれたというショックは、如何ほどかと。最初に1点取られていた方がましだったのではないかと思えるほどの衝撃です。

以前にサッカーの試合をフルに見たのは、2002年のW杯だったりするので、そのときの日本の細かなパスワークでボールを進める戦術が印象的でした。今回は、安易にボールを相手に渡してしまうことが多いような気がしています。ゴールキックとか、相手に背が高い選手が多いのに、そんなに高いボール上げてどうするんだろう…、とか。素朴な疑問もたくさん。

1-0という状況では「耐えればいける!」、「勝てそうだ」という心境になるのだと思いますが、そういうときに、余裕を持ってボールは保持できているけど、決め手のパスで失敗が多いとか、ディフェンスが1枚抜かれると脆い、というように、うまく機能していない部分をプレーしながら修正できるかどうかって、難しいですね。

2006年6月12日月曜日

Matsui risk worth it for Rockies

Major League Baseball : News : Baseball Perspectives

松井稼がRockiesに移籍して良かったと思います。適材適所。
Rockiesには走れる選手がいないようだし、SSと2Bのどちらも守れるようになっているというのは
Rockiesにとっては、プラスの材料しかないのでしょう。

Metsにいるときは、Valentinにまでポジションを奪われている始末。
ValentinはHR狙いの大振りヒッターなので、今は好調でも、きっと打率は上がらないでしょうが、チームが全体的に好調なので、脅威を与えるバッターがいる方がMetsにとっては好ましいのかと。最近の松井は、コンパクトに振りすぎて、投げる方から見ると怖くないバッターでした。

定位置を確保できない状況で成績を残すのは、やはり難しいです。
(日本における立場では松井秀喜と遜色なかったペタジーニが、打線不振のマリナーズですら代打に甘んじているあたりが…)

彼が3Aから上がってくるのが楽しみです。

2006年6月4日日曜日

Leo's Chronicle: Ruby on Rails 30分 Hacking

Leo's Chronicle: Ruby on Rails 30分 Hacking の日時、会場が決まりました。

Seminar: Ruby on Rails 30 分 Hacking
日時 平成 18 年 6月6日(火)午後 4 時 30 分~
場所 東京大学本郷キャンパス 理学部 7 号館 102 室

どのような人が集まってくるのかな。まぁ、頑張ります。

2006年6月2日金曜日

Picasa for Linux

Official Google Blog: Picture this: Picasa for Linux

とっても快適に使える写真管理ソフトPicasaのLinux版が公開されているようです。

でも、それよりも、WINEというソフトウェアの存在の方が驚き。WindowsアプリケーションをLinuxで動作させるためのlayer(program loader)なのですが、プロジェクトは1993年(!)から続いているようです。

VMWareで仮想OSを走らせるのも手ですが、これでExcelやPowerPointなどをLinuxで動作させられるようなので、楽しいですね。

2006年5月31日水曜日

Ruby on Rails 30分 Hacking

お題はもちろん「キューピー3分クッキング」のもじりです。
次回の情報科学を学んでいる人向けのなんでもセミナーで発表&デモを行う予定です。時間・場所等の詳細は追って紹介します。

「Ruby on Rails 30分 Hacking」

概要
Ruby on RailsはWebアプリケーション開発のためのノウハウが集積されているフレームワーク&ライブラリです。今回は、RailsやWebアプリケーション開発の基礎について説明し、実際にRailsを用いて、30分間で、wikiを実装するデモを行います。ファイル添付機能付き、さらに、AJAXを使ったwikiのdynamic
preview機能などにも挑戦します。

RubyやSQLを使用しますが、これらについて知らなくても、理解の上で支障はないかと思います。
3分~15分くらいの短い時間でも、DBを使った簡単なWebアプリケーションは作れるのですが、それだと、情報系の人を唸らせるところまではいかないと思い、30分にしました。キューピーの10倍です。

キューピー3分クッキングの舞台裏の紹介番組を見たことがありますが、あの番組は本当に生放送で、料理人一人ではなく、実は多数のスタッフの人が、見えないところで、調理、盛りつけ等を手伝っているのです。

それに比べれば、今回は本当に1人でデモをするので、30分なら妥当な線かと。Java+Struts+JSP+JDBCでWebアプリケーションの開発をしようものなら、こんな時間では設定すら終わりません。

既に30分で実装を終わらせることはできるのですが、見ている人にわかりやすいようにデモをするには、もうちょっと練習が必要そう。乞うご期待。

2006年5月30日火曜日

ys: 「 理想と現実の狭間の教育基本法 」

ys: 「 理想と現実の狭間の教育基本法 」 より引用。

「愛国心ではなく、日本を愛する心の涵養としたのは、そうすれば、日本人と日本国を作りあげてきた祖先の生き方も伝統も文化文明も、全て包含される からです。聖徳太子以来の日本、大化の改新で太子の理想を具現化した日本、古事記や日本書紀に記されている日本国の足跡、そこから窺える日本人の価値観全 てを愛する心という意味で『日本を愛する心』としました」

聖徳太子、大化の改新、奈良時代に編纂された古事記と日本書紀を縦軸として貫くのはまさに旧き良き日本の価値観である。そこには、神道も仏教も含め た宗教への畏敬、天皇を戴く皇室の尊重、皇室を支えてきた男系男子による皇統の継続、善き道徳心、上も下も睦(むつ)びて和の精神を尊重することなどが、 当然含まれる。


この件で、皇室の男子系等を尊重すべきとまでいくのは拡大解釈だと思いますが、それはそれとして、民主党の教育基本法の改正案と、その意図に関してまとめてあるこの記事には一見の価値があります。


このような教育基本法のあり方だと、歴史を学ぶことの意義も見えてきます。特に、国際交流の敷居が低くなった現代人にとって、自国の歴史や価値観がどう変遷したかを学ぶことは、他国籍の人とコミュニケーションを図る上でも重要なことがらだからです。 別に戦うわけではありませんが、孫子の兵法にもあるではありませんか。「彼を知り己を知らば百戦してあやうからず」、と。

# 外交で日本が完全に負けているのは、己も他も知らないからに尽きます。

現代の日本人の心に根付くものは、古来よりの宗教であったり、武士道であったりしますが、そのような日本人の価値観・美徳を、歴史の授業を通して学べなかったことが悔いに残ります。そもそも高校までの歴史の授業がそのようなものを学ぶ場ではないとしたら、これから学べばいいだけのことですが。

今の日本を「愛せ」ではいけません。その部分だけを取り出すと軍国主義という印象がぬぐえないのです。一方、日本を愛する心を「涵養」するというのは、素敵な目標だと感じます。国を愛せるようになるためには、国を愛すべき姿に変えていくという過程も大切ですから。人々の政治や経済への関心を高めたり、公職に就く人には税金を貪る姿勢を自戒させるような精神を養わないといけません。

GyaOの苦しみの理由

【レポート】GyaOの苦しみ - 独自コンテンツの死角と活路 (MYCOMジャーナル)

GyaOの上の記事は、経済批評にありがちな、実態を見ずに、数値や与えられたデータだけから判断している記事ですね。木を見て森を見ずの逆。独自コンテンツでテレビ局に対抗しようとしているのに力量不足だという内容なのですが、コンテンツの内容として、GyaOには新旧のアニメなどが豊富であるし、面白い映画も置いてあるのでとても魅力的だと思います。独自コンテンツがなくても、過去の映像のアーカイブはこんなにも魅力的なのかと思わされるくらいです。ビデオやDVDのレンタル店にいく気分ですね。

それと同時に、ポルノ的なコンテンツも多いから、うかつにGyaOは開けないという事情はさておき、視聴し始めてわかることは、強制的に広告を見させられる時間が長いということ。広告再生中に画面も非表示にできないし、大きさも自由には変えられない(ブラウザを強制的に全画面表示にする方式は特に最低です)

今は、HDDディスクレコーダーなどで、広告をスキップしてTVを見られる時代です。ロケーションフリーテレビを使えば、自宅に取りためた映像をネット越しに見られるところまで来ています。コンピュータを経由して映像を見るからには、テレビを越える快適さが大事です。まず、そもそも映像的にはパソコンのディスプレイ(液晶)は、表示速度、色の補完性能に関してブラウン管のテレビにはるかに劣ります。

その質の悪さだけでも辛いのに、広告を見なくては番組が視聴できないという不便が視聴者に課せられます。時代錯誤もいいところです。テレビと同じビジネスモデルがネットの世界で通用するはずがありません。広告を番組視聴中に見せる、番組と連動させて商品ページにつなげるなどの工夫が必要です。上の記事では、安い費用で番組を制作していることを非難していますが、ここは逆にメリットになるともいえます。中小企業でも、高い広告費や、制作費を使わずに、独自コンテンツを映像という形で情報発信できる場ができているということです。

広告なしで映像を配信する有料のサービスもあるのでしょう。けれど、そこまでの誘導の仕方もスムーズではありません。無料コンテンツを見るのも苦痛であるし、誘導の下手さ加減でかなりの顧客を逃していると考えられます。無料を売りにしているのに、有料サービスを前面に出せないという事情もあるのでしょう。そもそも完全無料という謳い文句は、顧客を集めるため、知名度をあげるために見栄を切っているだけとも考えられます。

GyaOは、新しいメディアを使っているのに、何一つ新しい機能や満足感を与えてくれません。一度使ったことがある人なら、誰もが感じていることでしょう。GyaOの収益が悪い理由は、視聴者にとって不便だからという一言につきます。今のままでは広告用のメディアとしても魅力的ではありません。木を見て森を見ずという以前に、木すらも見ずに記事を書くのはいかがなものかと。MYCOMはタイムリーな情報は提供してくれるけれど、記者の質が低いからか記事が面白くないのです。

2006年5月29日月曜日

ブラウザがデータベースを持つ日

Ian Murdock’s Weblog » The thin(ish) client revolution
上のブログを読んで触発されたので、一言。

Googleが提供するWebアプリケーションの魅力から、あらゆるデータがローカルからネットワークへ移行する、Web2.0の時代が来ると巷では騒がれています。 でも、どんな時代がくるか予測するのはさほど難しいことではないと思います。

今のインターネットブラウザの問題であり、なおかつユーザーやWebアプリケーション開発者の双方にとって不便なのは、現代のブラウザがページの移動時にstateless(ページのデータなど、状態を保持しない)という点。AJAXという技術で、ブラウザがキャッシュしているデータを部分的に変更しながら、状態を保持できるようになったこと。でも、これはアイデア的にも思想的にも新しい技術ではありません。現に、Flashは、当初からこのような通信の仕方を想定して作られています。 AJAXを技術屋さんの目から見ると、よくぞ使い難いJavaScriptで、HTTPのstatelessという欠点をカバーしてくれた!という程度の気分のもので、革新的なものではありません。

大学にWebサービス(事務処理関係)を納入している質の低いシステム開発会社だと、こういう技術すらも使えていなかったりするので、困り者なのですが。。。(高いお金を払って出来の悪いシステムを発注する大学にも、見る目のある人がいない。この手のシステムの開発には若いWeb世代の人を監視役に入れないとだめだよ。)

GoogleなどのWeb企業が開発を支援するFirefoxと、MicrosoftのIEの新versionの開発が進められていますが、両者の当面の目標は、程度の差はあれ、ブラウザが仮想マシン(OS)として動くようになることでしょう。Web上で閲覧したメールなどの情報をローカルにおいておくことができるようになるだけで、Web2.0における「ネットワークが断絶されると何もできない」という最大の困難は解決されてしまいます。

ポイントはリモート(サーバー側)とクライアント(ブラウザ側)でのデータの同期のとり方。そして、暗号化を行う手法。技術的にはどちらも既存のもの。でも、それらのつながりとしてのDBMS(DataBase Management System)がまだできていないのです。

Web2.0でMicrosoftがGoogleに敗北して停滞するなんてとんでもない。ブラウザがデータベース機能を持ち、デスクトップアプリケーション並のGUIを作成できるようになったとき、データの通信部分のみがHTTP(Web)という事実だけが残って、Webアプリケーション開発と言っても、再び、自前のDBとともに、Officeなど強固な製品を持つMicrosoftの土壌に戻ることでしょう。

Officeの信頼性や使いやすさを保ったままWeb経由でWikiを編集できると考えるだけでも、大きな進歩です。そして、それを実行するだけの力をMicrosoftは既に持っています。

リンク先のIan Murdockの記事にあるように、誰が、open sourceのLinuxをfat client(高機能ブラウザ)の世界に導くことができるか、というのも争点。

けれど、DBとブラウザをつなぐのが一番技術的に、かつ概念的に難しいところだと僕は考えます。Relational Databaseでそれが実現できるなら、当に実践されているはずです。でも、その気配が見られないところから推察できるように、ITの世の中はそんなに単純ではないようです。

自身の作るDBMSや周辺のアイデアがDBとブラウザの結びつきを促進するきっかけになればと思って、日々研究しています。もう一息。

2006年5月24日水曜日

[Research] 久々に業績

久々に、論文がacceptされました。1年ぶりくらい。ただのWorkshopだけど、program committeeの面々が学会の最前線で活躍している人ばかりだし、倍率が4倍と意外に競争が厳しかったので、素直にうれしい。

この論文が通っていないと、Bioinformaticsの業績と、今の研究テーマ(XML database)を綺麗につなげられなくて、かなり苦しかったのです。収入を犠牲に研究に時間を投資しているのに、Ph. Dを取れない恐怖に怯える毎日。

子供と一緒に家にいると、プログラミングや執筆作業がまったくと言っていいほど進められないのです。だから、ひとつ仕事を論文の形にまとめるだけでも、至難の業。Joel on Softwareという本に、プログラミングを10分中断されるだけで、仕事の効率ががた落ちするという話がありますが、まさに、その状況が毎日繰り返されます。時間が取れたとしても、人間なので、気分が乗らず、仕事がはかどらないときもよくあります。 アイデアがひらめいたら、すぐ仕事にかかれるわけではないことが何よりつらいです。論文を出して落とされる以前に、論文を締切日までに書ききれない日々が続いてたのです。

博士課程は精神力との戦い。社会保障もないし、年齢はそれなりに経ているのに、いたるところで身分的には学生として低い扱いをうけます。たとえ、僕と違って、独り身で時間たっぷり研究する時間がある人でも、自己管理(motivationの維持、成果への集中)が難しいこともあるでしょう。

まだまだ、Ph. Dが取れると決まったわけではないし(というか、まだかなり危ないライン…)、状況が改善されたわけでもないのですが、俄然、次の1本を書く意欲が湧いてきました。世の中に認められるということは、motivationを維持するのにとっても重要ですね。

2006年5月17日水曜日

ラーメンが食べたい

ダイエット中には厳禁だけれど、ラーメンが無性に食べたくなるがあります。

そこで、上野のラーメン屋さんを紹介。

一蘭
スープも飲みやすいし、唐辛子の秘伝のタレとの組み合わせが絶妙です。ただ、客を大量にさばく体制のためか、経験の浅い人もスタッフに混じるようで、麺の水切りが下手なアルバイトさんにあたると、味がぼんやりしてしまって「あれっ?」と思うこともあり。 座席ごとに敷居があって、一人だととても入りやすい店だけれど、子連れでいくには荷物を置く場所狭かったり。。。

光麺
クリーミーな熟成光麺はなかなか。炭火焼チャーシューは、昔はおいしかったのですが、最近は、炭火の香りがついた肉!という感じになってしまって残念。でも、その日の気分に合わせて、あっさり系(元祖)とこってり系(熟成)を選べるのがいいですね。

山頭火
本店の旭川は、塩ラーメンのみです。山頭火といえば塩。だから、旭川は醤油、札幌は味噌と言われるように、旭川ラーメンの中では山頭火はかなり異端児です。 上野店のとろ肉ラーメンはおいしいのですが、脂がくどくなってくるので、2人以上で分けて食べるのがおすすめ。

一風堂
とんこつラーメンの完成度としては、一蘭に及ばないかもしれないけれど、ごまやにんにくなど、一蘭にはないトッピングでラーメンの味に変化をつけて楽しめます。

麺屋武骨
いつも行列の割には、ここのラーメンをそれほどおいしいと思ったことがありません。。。味は悪くないと思うのですが、健康に悪そうな味なのです。チャーシューの切り方、麺の水切は豪快で見ごたえがあります。まさに「武骨」。

上野 大勝軒
池袋の有名店ののれんわけのようです。つけめんが主役。甘酸っぱいスープに、ボリュームたっぷりの麺。これならお手ごろ価格なのですが、お店がさほどきれいでもないことと、どうしても、つけ麺という形態では、ラーメンの「熱さ」を楽しめなくて、僕はあまり好きではありません。本店とは味が違うのかな?

御徒町近辺では、

青葉
魚介系と鶏ガラ系のダブルスープにとっても期待していたのですが、どうしてこの程度のインパクトしかない味でそれほど有名になれるのか不思議です。東京のあっさり系のラーメンは、わりとおいしいとそうでない味が紙一重になる気がします。

ちゃぶ屋味噌専門
みそラーメンとしてはおいしいしお店の雰囲気も良いです。けれど、味にインパクトが足りない…。札幌のすみれのスープに、この店の面とトッピングだといい組み合わせの気もします。すみれは麺が太すぎてスープとよく絡まないのです。まぁ、ちゃぶ屋なら元祖の塩を食べてみたい気もしますが、ここは味噌専門なんですよね。残念。

六角家
お店がとにかく汚いし、ラードやらにんにくで臭い!ラーメンが来るのを待つ間に気分が悪くなってしまいました。味としては、ラードを多用する旭川の蜂屋とやや似ているのですが、蜂屋ではこんな匂いに悩まされることはなく、むしろおいしそうな匂いがただよってくる印象だったのですが。。。


湯島に来ると、

大喜
ここも有名店でいつも行列。あっさり系で、おいしいので、何回か来たくなるような味です。開店10分前くらいに行くと、すんなり入れるのではないでしょうか。

本郷通りには、
初代けいすけ風天破天とラーメン屋さんが並んで激戦区の様相がありますが、その中では初代けいすけの黒いスープが他店にくらべて際立っているかも。でも、瀬佐味亭の坦々麺がこの界隈では一番のような気がします。


このあたり(文京区、台東区)では、一蘭などとんこつ系がおいしいのですが、まだ醤油ラーメンでおいしいものには出会っていません。旭川の蜂屋くらいやみつきになるスープのお店が欲しいのですが。

2006年5月11日木曜日

pukiwiki-mode.el

アイデア集/pukiwiki-mode - Meadow memo

今まで、Firefox-mozex-Meadowの組み合わせで頑張っていたけれど、
pukiwiki-mode.elで、Meadowから直接PukiWikiを編集する方が簡単だ。

もっと早く知っていれば…

2006年5月10日水曜日

久々にmixi巡回

懐かしい人にmixiで会えたので、調子にのって小・中・高の知人を検索。でも、同期のはずなのに、本人かどうかは結局わからないことが多いなぁ。

思う存分徘徊したので、あと1ヶ月くらいはmixiにログインしなくてもいいかも。
rubyでRSSリーダーのようにデータを自動で集積できるコードを書くと楽しいかな…。

2006年5月9日火曜日

[Open Source] もはやGPLはmustの存在ではない

自分の書いたソースコードについてどのライセンスを適用すればいいか、考えが整理されてきたので、オープンソースや、フリーソフトウェアについてまとめてみることにしよう。

GNU GPLはviral(伝染する)ライセンスであるから良くない、という主張は、オープンソース開発の本質を得ていない。Emacsの開発者でもあり、GPLの生みの親でもあるStallmanがこの方法を取ったのは、プログラムをproprietary(独占、転じてclosedの意)、つまり、特定の個人や企業の所有物とされたくないという考えが大本にあって、それを実現(強制)するための手段がGPLという形になっているだけだ。

他人の書いたコードに依存しないプログラムを書くことは、膨大な労力を要するものだ。開発者の知性や時間を、真に新しいプログラムを生み出す方向に向けるためには、過去に作られたプログラム、つまり知識や道具を誰もが利用できる形にし、それらをつなぎあわせることで不必要な作業を省き、創造する力を助長してあげなくてはならない。ソースコードが企業の利益のために隠されてしまって、創造が止まってしまうことを避けたいという信念がGPLの中にはある。

ここで、非公開でもうまくいく、とMicrosoftの例を挙げるのはかなり極端な話だ。確かに彼らは、Windows用のAPIを公開して内部実装を非公開にしているが、そのclosedな実装であっても、プログラマは利益を損なうどころか、APIの恩恵を享受して、プログラミングを快適にしてもらっている。でも、勘違いしてはいけない。彼らのビジネスモデルは、WindowsというOSを売ることであり、そのためには、Windowsの価値を向上させる必要がある。価値を向上するには、Windows上で動く品質の良いソフトウェアが多く誕生しなくてはならないのだ。そのために、他人任せではなく、熱心に次々とWindowsの機能を生かすためのコードを自社開発している。ただそれだけの話だ。

でも、コンピュータという創造力を無限に引き出すようなものの前では、Microsoft一社だけでその開発をすべてまかなえるほど、人間の新しいものを生み出す知性や創造力は限られてはいないということだ。確かにMicrosoftの貢献は大きい。Officeのように優秀で安定していて実用的なアプリケーションはとても便利だ。でも、品質のいい製品をマーケティングまで考えて開発するのは時間がかかるし、それもMicrosoftが超巨大企業になったからこそできることだ。でも、カレンダーのようなWebアプリケーションなど、今すぐ使いたいものを開発する小回りの良さでは、小さなグループで開発を進めるGoogleに完全に出し抜かれてしまっている。もし、Microsoftや他の企業がソースコードのすべてを独占し、オープンソースのコードやOSが存在しなかったらGoogleが台頭することなんてできなかっただろうし、我々がWebアプリケーションの便利さを知ることすらできなかったかもしれない。

この例だけでも、GPLが世に与えた影響は大きい。けれど、GPLを自分のコードに適用しようとすると頭の痛い問題を抱えることになる。著作権保持以外は商用利用もソースコード非公開でバイナリ配布など何でもありのBSDライセンスと同様に、ソースコードの利用に関して制限の緩いApache Software License (ASL) version 2.0が適用されたプログラムであっても、GPLライセンスのコードと組み合わせた場合、ともに配布することはできなくなってしまう。それはASLには、特許に関連する訴訟を起こした場合、ライセンスに書かれている権利を失効させる条項が含まれているからだ。ASLの権利を失うということは、ASLのソフトウェアを配布できないということを意味する。

GPLはソフトウェア開発を阻害するような特許訴訟を起こした人物にさえも判決が確定するまで、ソースコードを配布する自由を守ろうとしているし、ASLは、プログラマや企業の心の平穏を保つため、そのような特許訴訟に対しての対抗策を講じている。けれど、ここや、ここの話を見る限り、両者は対決をしているわけではないし、問題点は特許に関する条項のみであるから、歩み寄りの方向に向かうのであろう。GPLのページで、GPLと他のライセンスが適用されたコードを同時に配布できるか(compatibility)について、 こと細かに述べられているが、compatibilityの問題はさほど重要でもない。要するに、いろんな独自ライセンスのproliferation(増殖)のために、GPLの親であるFree Software Foundation(FSF)が、GPLの制約の維持に苦慮しているということだ。


でも、GPLを自分のコードに適用することを考えると、そのコードを書いたことに対する自分への金銭的な見返りが何もなくなってしまうことがとても恐ろしい。GPL製品を使う企業は、製品そのもののソースコードは公開しなくてはならないから、製品そのものを売ることはできないけれどその周辺(サポートビジネスなど)で対価を得ることはできる(バザール型)という。でも、そもそも個人プログラマがそんなビジネスを一からはじめるのは、とても大変だし、かなり長い道のりだ。かといって、ASLのように、非公開でコードがどんどん拡張されて利用されることが認められる場合には、自分のプログラムが何の断りもなしに金儲けに利用されてしまうのではないかと思ってしまう。ただ、GPLと違い、ASLの場合は、自分も非公開にしてお金を稼ぐことはできる。

たとえば、データの通信ライブラリを自分が作ったとして、それを他人が利用してWeb通販などのビジネスを始めたとする。Web通販部分は、自分の作ったものとは別個のものだから、そこにまで自分の権利が及ぶと考えるのは傲慢だと純粋に感じる。もし通販部分のソースコードを公開してしまえば、通販部分の開発費を他人のために投げ捨てる事態になってしまう。データ通信部分がGPLだと、まさにこの状況になる。差別化を計れる機能を実装しても、自分自身ですら商用に利用できなくなってしまう。まぁ、著作者ならGPL以外を適用すればいいのだが、GPL製品に囲まれてしまうと、すべての著作者やcontributorをたどってGPL以外の適用を認めるように依頼しなくてはならない。開発者の意思としては、BSDライセンスのように緩いものを適用するだけでよかったとしても、コミュニティの中で開発するためにGPLを選択した例も多いはずだが、その意思を確認することはほぼ不可能だ。

GPLはGPLのコミュニティ内で活動しているとき以外は、どうも自分の手足を縛るようなものの気がしてならない。創造性を助長するというよりは、窮屈さや将来への不安を感じてしまうものなのだ。ただ、変化するソースコードを公開したままにするcopyleftというのは決して悪いアイデアではない。

そうすると、Sun MicrosystemsがOpen Soralisに適用しているCDDL (Common Development and Distribution License)というライセンスがとても魅力的になる。mozilla.orgのFirefoxなどに適用されているMPLと同様に、ソースコードはファイル単位でライセンスが付与されるなど、ライセンスの適用対象が明確。それゆえ、違うライセンスが付与されたファイルとともに配布することができる(配布物全体に影響が及ぶGPLコードとともに配布することは無理だが)。ファイルを更改して配布した人には、ソースコードの公開義務(copyleft)を課すことができる。バイナリ形式で配布するときには、違うライセンスを付けてもいい、など。

Sun関連の人のblog(これとか、これとかこれ)を読むと、CDDLができた経緯や意図がわかって、さらに面白いかもしれない。

CDDLは、MPLがmozilla.org専用のものであるのに対し、commonと銘打たれていることからわかるように、MPLを汎用化したライセンスとなっている。GPLが他のライセンスとのcompatibilityで苦労した轍を再び踏まないようにしたいのであろう。プログラマが開発中に法律的な条項の解釈で悩むのは、やはり好ましくない。

CDDLを使いつつも、GPLコミュニティの中で自分のプログラムが生きていけるようにするには、mozilla.orgと同様に、GPLとCDDLのデュアルライセンスを検討するといい。GPL単独での利用で困難なのは、開発メンバーが多岐に亘った場合に、条件の緩いライセンスへの変更の意思を確認することである。最初から、開発者にGPLとCDDLの双方の条項に同意してもらえれば、Firefoxの成功例のように、企業、個人、非営利団体の垣根を越えて、オープンソースソフトウェアとして安心して開発を続けられるものになるはずだ。

ただし、デュアルライセンスという形態では、GPLプログラムとの共存が完全ではない。一度GPLプログラムを取り込むと、デュアルライセンスという形式はとれずGPLライセンスのプログラムとなる道しか選べないからだ。 LinuxのようなGPLで固められたOS用に移植することは可能だが、そうするとGPL専用、CDDL/GPL兼用の2つのbranchができてしまうことは想像に難くない。開発者は、GPL製品を利用することはできるが、それを利用してできたコードを、CDDL/GPLのデュアルライセンスの形に戻すことはできない。

面倒な問題は山積みだが、ライセンスを考える上でのポイントは、プログラマの心の平穏と、創造性を助けるもの、開発コミュニティの形成を促すライセンスであるかどうか、だ。CDDLはOpenSoralisで多数のプロジェクトが生まれているように、企業や個人を含めた開発コミュニティを作りやすくすることを目的としている。

GPLとのcompatibilityの問題のように、ライセンスにこの不具合があるからだめだとかという議論は、概して不毛であるし、いいものを作るというソフトウェアライセンスにこめられた本当の目的からは外れてしまう。LinuxのようにGPLによって得られた産物のインパクトの大きさから、GPLに反するライセンスを安易に卑下する意見が巷でよく見られるのだが、GPLの威力は、GPLのcopyleftの性質によるものなのか、それとも、GPLの適用範囲がそれを利用するものすべてに拡大していくことによるものなのか、を区別して判断しなくてはいけない。けれど、そのどちらについても、FirefoxやEclipse、Apache Software Foundation、PostgreSQLなどの成功例によって、copyleftが必ずしも必須ではないこと、ライセンスの適用範囲を広げなくても、いいものは出来上がることが示唆されている。もしかしたら、それらはGPLによってオープンソース開発の土台ができたことによって成功した例なのかもしれない。けれど、はっきりと言えることは、もはやGPLはmustの存在ではない、ということだ。

そうすると、一個人プログラマとしての僕にとって重要な指標は、自分が自分のソースコード(とそれを利用したアプリケーション)を自由に(商用・非公開を含めて)利用でき、改良が僕の知らないところで行われないという点だ。これらを満たす選択肢としては、CDDLが今のところ最良のものとなる。GPL非依存のライブラリも増えてきたこともあり、GPL製品に頼らなくても、コードを開発する土台がある今なら、GPLへ回帰する選択肢だけは残したまま、つまりCDDL/GPLというデュアルライセンスの形態をとり、GPL非依存のライブラリやツールを構築していくというのが、今の僕の結論だ。

2006年4月25日火曜日

WebSVN

WebSVNを設定してみたところ文字化け発生。

putenv('LANG=ja_JP.UTF-8');

をconfig.iniに追加しておくとsvnlook実行時の環境がUTF-8になるので、大丈夫なようです。

2006年4月7日金曜日

Firefox with Google Toolbar



インターネットのブラウザとして、最近はFirefoxを使っています。上記リンクのGoogle Toolbarにも機能が増えていて、RSSもブックマークサイト(Bloglinesとか)に1-click登録できるようになっているんですね。便利。カーソルを合わせるだけで、辞書も引けるようになっているし。

上の画像は、ボタンを詰め詰めにしてみた例です。レイアウトも自由に調整できるところがすごいと思います。

でも、Firefoxの日本でのシェアは10%くらいだとか。基本的に英語圏の人たちが作っているものだから、仕方がないですね。

2006年3月28日火曜日

[大前研一] ロウアーミドルの衝撃

今のところ中流どころか、ロウアーミドル(lower middle中流の下)の気分にすらなれないので、衝撃を受けないし、「中流崩壊」にある話も等の昔から気づいていたので、最近話題になるのがおかしいと思いますが、これらの本で衝撃を受ける人もいるでしょう。

日本人に根付く「一億総中流」の意識とか、それに派生する「平等」という意識はとっても嫌なものです。本当の意味の平等とは、選挙権とか教育を受ける権利とか「法の下での平等」くらいでないと、訳がわからないものになりがちです。実際、政治家も混乱しています。

民主党の前原代表が言っていました。教育の機会平等が失われていると主張する文脈で、「親の所得と学力に相関関係がある」 => 「いい大学に入れない」=>「いい会社に入れない」=> 「所得が低くなる」、「このことについて小泉首相はどうお考えですか?」。 小泉さんから何を引き出したいかもわからない、とてもお粗末な質問の仕方なのですが、それよりも、いい大学 => いい会社 => 40代で給料のピークが来てしまった => 甘い起業の誘惑に手をだして失敗(士族の商法のように) という方々がたくさん出てきているのに、その甘い認識では、小泉さんに「学歴がすべてではない」と交わされてしまうのも無理はありません。

話はそれますが、「学歴が低くても政治家にはなれる」と豪語できる小泉さんの神経が不思議です。法律を作る能力のない人、世界だけでなく日本の歴史すら知らない人ばかりが政治家になるのがいいとは思えません。マスコミは「庶民」の感覚を持った人を褒めちぎりますが、そのような無能な人が政治家になるばかりで、大胆な政策は取れず(庶民の感覚だけでは無理です。知に裏打ちされた政策でないと他を説得できません)、結局、損をするのは、増税され年金の割が低い低所得の国民。役人は効率の悪い仕事、不要な施設拡充(世界最高水準の電子化といいながら、結局は窓口に行かなくては何もできない住基ネットや各種届出)で、税金をむさぼっている状態だというのに。

教育の機会均等って、親の仕事に従事しなければならない子の学習時間まで保護するようなものでもないでしょう。修学旅行の資金を出せない家庭に支援をとか、そういう話でもないのでは。中学や高校の3年間より、数日の修学旅行の方が印象に残ってしまうような学校の現場の方がおかしい。これも、学校内では「皆平等」に修学旅行まで行かなければならないという偽善が根底にあります。

そもそも、東大ブランドが通用するのって、日本だけですし、東大を出ても英語を話せない人はたくさんいますから、国際的な評価は相当低いものです。「いい大学」に入る機会が失われているというなら、「いい大学」を増やしてあげればいい。なぜ、それができないかというと、大学が東京にお伺いを立てないと新しい学部も作れないような中央集権型になっているから。

大前さんの本には、この辺りの問題への答えとなる魅力的な提案がいくつもあります。
まず、所得税をやめて、資産課税にする(アメリカの方式ですね)。
せっかく稼いでもそれに応じてたくさん税金をとられるのでは、稼ぐ意欲もなくなるというものです。
(配偶者の103万円ラインもこの例。これを超えると税法上の扶養家族になれないんですよね。なんともばかばかしい話です。)

サラリーマンの方は源泉徴収されているから、さらに税金に無頓着・無関心の人が多い。でも、公務員とか第一次産業従事者に比べて、税金が高いわりに保護が少ないのもサラリーマン。でも、無関心ゆえに、不平等な税金の使い道に怒りの声を上げようともしない。

そして、道州制による地方分権。日本を現行の都道府県よりもっと大きな単位で分割して、それぞれに自治性を持たせること。いい大学、地方独特の産業を育成するには、中央政府のスリム化ではなく、分権こそが必要だという論点には、納得できるものがあります。このままでは、中央政府の東京中心の視点に他の地域が引きずり回されて共倒れするような気配が漂っていますから。予算をとるためだけに、烏合の衆を集めて目新しい名前の学科の創設を申請するようでは、長期的な発展が見込めません。

ロウアーミドルが多くなっても、それに気づく人が増え、ハングリー精神が生まれるならいいのです。でも、それを挽回しようと、勉強もせずに安易に株や資産運用に飛びついてお金を増やそうとするのはいただけないです。株などによるキャピタルゲインは所詮取引で得るもの。取引そのものは、中身のあるものを創り出すわけではないのです。企業を育てるような中身のある投資は、自分自身がちゃんと資金を持つようにならないとできません(機会が廻ってこない)。

この本を読むまで全然知らなかったけれど、大前さんって東京都知事選に立候補してたようです。でも、そのとき当選したのはあの青島さん。それで現職は石原慎太郎。結局、選挙って著名人が勝つようです。石原さんは強気の外交ができるから、都知事なんかではなく政府側にまわって欲しい人なのですが。東京都から、対中国発言している様子をみると、とてもむなしく響きます。

改革といっても、自ら企画して大なたを振るえる人がまだ要職に付いていないのが悲しい。それなのに、知名度にだまされやすく、本質を持った人を国民が支持できる状態になっていないというところが、ますます悲しい。小泉さんは旧派閥を壊すという大きな成果をあげたけれども、彼自身、有意義な政策は練りだしていないのです。

プランを練れる人が実権についたときに、どれほどスピーディに世の中がいい方向に変わるのかを見てみたいのです。ここ数年間の様子を見る限り、これまでの人では、些細な方向(テーマとして大きく取り扱われてはいるけれど)に足をつっこんでばかりで、大事なところ(国民の利益に結びつくようなところ。食費が安くなるとか、給与が上がるとか)に結びつくところへの議論がなかなか進んでくれないのでがっかりなのです。

イルカとクジラ

20数年間ずっとイルカとクジラは、違う生物だと思っていました…。

衝撃。

2006年3月27日月曜日

洗練すること

こちらのビデオを見てください。

ボール3つなので、ジャグリングの技術的にはそれほど高くないはずなのですが、曲に合わせた連続技を駆使することで、ここまで魅力的にできるのかと感心させられてしまいます。

なんでもかんでも難しくするのではなく、洗練することによって魅せることができるとは。
目から鱗です。

2006年3月26日日曜日

[プロ野球] リアルタイムに更新されるデータベースはないの?

日本が時代遅れだと思うとき。
野球選手のその日の成績がその日のうちにネットでわからないこと。

MLBでは、全試合、タイムラグが少ない状態で、リアルタイムに更新される試合状況や、選手の成績の変化が無料で見られます。RISP(得点圏打率:[hitting with] Runnners in scoring position)をみると、clutch hitterなのかどうか、よくわかります。毎日の打撃成績も即座に見られます。良く知らない選手がでてきても、過去の成績データから、どんなタイプか把握できたりします。

日本のプロ野球中継のテレビ放送を見る限り、細かくデータを紹介しているので、きっと選手成績のデータベースというものは存在しているのだろうけれど、それが公になっていません。

どうも、半自動で試合後数日たってから更新されていると思われる日本野球機構オフィシャルサイトも、知りたいときに情報が手に入らないのでまったく面白くありません。また、ここでは過去の成績もわかりません。

あまりファンをつかむ努力を大がかりにやってないと思うのです。今日はあの選手頑張ったのかなと考えるときに、成績を見てもヒット数、打点・打率しか書いてないし、その情報すら各チームの公式ページにも載っていないことがあります。これでは、ファンは離れていきますよね。毎日試合を見に行ける人なんて、少数だろうし。ひいきにしている選手が活躍してもスポーツニュースで扱われないことがあったり。そういうときに、試合の映像アーカイブもない。

選手データのデータベース作成は、全球団の協力が不可欠。成績が管理できているということは、どこかが全球団の協力を取り付けていて必ず記録を付けているはず、だけど、その成績を管理しているところが、ファンをつかむためのビジネスチャンスを安々逃しています。

球場に行く人だけがファンじゃないんだから。。。まったく。
MLBのデータの充実さを見ると、日本の野球から気持ちが離れているのはごくごく自然。

WBCの影響で、多くの俄ファンが出てくるだろうけれど、すぐ気持ちが離れていくと思います。WBC決勝はたまたま日本の祭日だったから良かったけれど、普段は昼間の試合なんて見られませんから。


(後記)
NBP BISというデータベースがある模様。それで、携帯サイトではリアルタイム発信している。あ~あ、こんなちっちゃな利益のために(もちろん、携帯サイト市場はそれなりに大きいのでしょうが)、日本球界の本当の利益を損ねているなんて。公式記録を新聞社や球団にちまちま売る既得権益にしがみついている人がいるのでしょう。こうなると、サイトに成績が反映されるのが遅れているのも、明らかに意図的なものですね。

2006年3月25日土曜日

歩きタバコと日本のモラル

こんなところに書いても何の足しにもならないだろうけれど、一言。

「歩きタバコは不快だからやめて」

世の中には嫌煙家とか愛煙家がいるようです。でも、「タバコは健康を害する」、「いやデータが怪しい」、という応酬を見ていると不毛だと感じます。職場などで四六時中副流煙にさらされ健康リスクを負っている人以外には、健康に悪いかどうかなんてどうでもいいことです。どちらの方向に証明されたとしても、「服に匂いがつく」、「嫌悪感を覚える匂い」は解決されていないのですから。

日本のタバコの税率は6割。これは、海外では8割のとこが多く、日本はかなり安い国なのだそうです。でも、この税金、歩きタバコ抑止という目的にほとんど使っていないことは明らか。目的税として徴収してはいないし、むしろ国や地方自治体にとって貴重な財源になっているはずです。

タバコ税は健康に悪いから増税してもいいなんて安易な論調を振りかざしているから、養老孟司のような愛煙家の意見の方に説得力が出てしまいます。タバコも文化で嗜好品であるのに、不当に抑圧されている、という主張のようです。この主張を変に間に受けて、税金を払ってやっているからタバコを吸ってもいい、なんて言う人もでてきます。

「タバコは健康に悪い」=> 「増税してもいい」
という論理は、本当に「タバコは健康に悪い」かどうかを疑わせるだけで簡単に崩れます。ヘビースモーカーでも元気なおじいちゃんだっているし…。

「増税すると喫煙者(特に未成年)への抑止力になる」
いままで6割(約2兆円)も徴収していて、効果的に抑止できていないし、他国で成功したことが、日本で当てはまるとは限りません。学校の職員室が禁煙でないところなんてざらにあるでしょう。「大人だから吸ってもいい」なんて論理は通用しません。それを使うと「大人でも他人の迷惑を考えられない」という論理を導けてしまいます。

マナーの悪い人に怒るのは当然。でも、高割合の税金を徴収していながら、啓蒙活動を十分に実施していない役所のほうがおかしい。

たばこの匂いへの反応を喫煙者と非喫煙者でわけると、おそらく喫煙者の方が嗅覚が鈍感になっていて嫌悪感も薄いこと。衣類への匂いの付着なんて、すでに実証されているはずです。

何か建前があると増税しやすいのですが、なぜか国民の目の代わりの監視役として重要なメディアは、増税されて得られたものがどのように使われているかまでは着目しない。

千代田区の歩きタバコ禁止条例も、区内の通りでは一応功を奏したようですが、千代田区の境を一歩出た橋の上で喫煙を始める人がとても多いそうです。

どうして歩きタバコを禁止にしたかわかっていない人ばかり。日本は他人の迷惑を考えられないというモラルの低い国なのです。会社の中ならば、これは社内のモラルです。こういうモラルの問題こそ、首相のようなリーダーの鶴の一声で変えられるようなものだと思うのですが。。。

改革、改革と威勢のいいことはいいますが、靖国や常任理事国などの外交にしろ、財政改革にしろ、一般受けすることを前面に出しても、真の政治意図は明確にしない(あるいは持っていない)というのが小泉さんなので無理でしょうが(苦笑)

山猫軒のビーフカレー @本郷

カレーが無性に食べたくなって、前々から行こうと思っていた山猫軒に行ってみました。

注文したのはビーフカリー、1050円。
さらっとしたカレーに塊のお肉が入っていて、贅沢な感じ。

上野の有名店、デリーに行ったときは、やっぱり辛さが強くて汁っぽい本場風のカレーは苦手だと思いました。(辛いのは好きなのですが、スパイスを楽しむ以前に辛さがきつくて…とても味わえないのです)老舗、新宿中村屋もインドカレーを再現した味で、日本のカレールーになじんでいる僕は苦手です。

でも、山猫軒のカレーは、インドカレーのようにさらっとしているけれど、口に含むと味に深みがあって、辛さもほどほどで味わいやすくて満足できました。


ちなみに、ひと昔前は、新宿中村屋のカレーを食べることが、学生の間でのステータスだったそうです。他のカレー屋さんより10倍くらい高かったとか。東京にいると、おいしそうなお店はたくさんあるのだけれど、実際入ってみると値段相応に満足できるものって少ない気がします。サービスも味も悪いのに土地柄のせいで高くなっているだけのお店に当たることが多いのです。自宅でご飯食べたほうがよっぽどおいしいとなると、お店で食べる醍醐味が失われてしまいます。自宅でできない手間隙を目当てにしているのに。

かといって、本当においしそうなものを出しているお店は手が出ないほど高い。 中村屋のカレー(1300円くらい)が今はそれほど高くない印象になっていることからすると、周りの店が高くなりすぎているのでしょうか。流通事情がよくなって安くできるようになったのかもしれませんが。

八百屋と肉屋で買い物して自分好みのチキンカレーを作っても10皿分1000円以内だし、奮発して牛肉にしても2000円以下で作れると思います。飲食店は原価の3倍が通常だから、ビーフカレーなら、1皿200円x3で600円。

そうすると1050円は高めの値段ですね。でも、作る手間を省け満足度も高かったので、これはこれでOK。

10倍がステータスになるなら6000円かな。コース料理が食べられそうな値段ですね。この値段のカレーなら、確かにステータスになるかも。自分が満足できるかどうかはさておき。

さて、大学生の人は飲み会にいくと、3000円~5000円は使うことでしょう。大手の居酒屋だと料理の味は最低限、お酒もさほどおいしくないのに、これだけの値段を使っているのです。みんなと楽しく話すための場所代が入ってるからそんなもの? でも、考えてみてください。帰りにはタバコの匂いが服に染み付いてしまっているだろうし、まわりもうるさくゆっくり話しもできないような場所なのに、その値段なんて。 金銭感覚がマヒしていると思います。

もっと、いいお店を探しましょう。お酒も量を飲まなくてもいいはずです。値段相応においしいものを食べて、おいしいお酒でほろ酔い気分になって、快適に帰路につける、そんなお店が増えることを願っています。

そして、そんなお店があったらぜひ教えてください。

2006年3月24日金曜日

元気のもと

早起きして、きちんとご飯を食べて、研究室に行って、仕事を開始。昼が近づくにつれ、日の光が心地よくなってきました。


幸せ。


こんなごく普通のことが、元気のもと。
仕事をしたりモチベーションを維持するのに、これ以上の準備はないかも。

先の不安を吹き飛ばして、冷静に一歩一歩今やれることをやる、という気持ちになります。



実は夜更かしして睡眠不足なので、けだるさはあるのですが、それでも心が落ち着きます。

食事を取って日の光を浴びることが、こんなに大切なことだと気付かされました。

2006年3月22日水曜日

[WBC] 長期的なモチベーション

日本のWBC優勝で、公式サイトでは、米国でも有名な王監督やイチローがよく取り上げられています。
それ以外の人の情報って彼らはあまり持ってないから、仕方がない面もあります。

けれど、僕には西岡くんが一番印象に残りました。

キューバ戦最終回でのプッシュバントとか、誤審でアウトにされてしまうくらい素早いタッチアップの走塁、Round2韓国戦で一矢を報いるのHRなどなど。どれも技術レベルが高いのです。彼のプッシュバントはテレビのハイライトではすっ飛ばされていることが多いのですが、試合の流れを変えた一打です。この手のプレイはちゃんと練習していないとできないはず。

こういう細かいところは記憶にも記事にも残りにくいので、メモしておきました。

MLBのニュースを読んでいると、Yankeesの松井はcleverとか、野球を良く知っていると評価されることが多いです。
日本の打者は、situationによって打ち方を変えることが身に付いているからなんでしょうね。
MVPを取るくらい成績を残していても、走者のいる肝心なところで三振が多い印象のあるA-Rod。
本当は、彼にもバントをさせるくらいでないと勝ちたいときに勝てないのでは。

昨年のWhite Soxがバントを確実に決める野球で成功していました。
けれど、日本ほど徹底されるわけでもないのでシーズン中はとても中途半端でした。
ポストシーズンに入って、絶対勝つという意識が出てからようやく皆がバントをするようになったのです。

USAチームが早期敗退したときは、ここまでの執念はなかったように感じます。

イチローは、マリナーズに戻ってから大変そう。
ここ数年高いモチベーションを維持できていないチームだから。
日本チームの面々が彼の練習への姿勢や熱意にいい影響を受けたと言っているのにも関わらず、
シーズンを通してイチローと一緒にいるマリナーズのメンバーはなぜあれほど弱かったのか。
言葉の壁があるから、あまりチームに彼の野球に対する姿勢が伝わらないのかも。

ふむ。こういう日記を書くのに時間を割いている時点で、イチローと違って、僕は必ずしも自分の目標のために生活しているわけではないようです。
こんなことを書くのも、イチローは野球のために生活を合わせているところがすごい、という話を聞いたから。

仕事へのモチベーション、それも長期的なモチベーションを高めるには、生活の中にも仕事への準備を取り入れることが大切。
これは、仕事のことばかり常に考えるということではなく、仕事に入りやすい環境を整えたり、気分転換を取り入れるなど、いろいろな要素があります。目標に集中するために家族のケアも大事。
ただ、これらを思いこみにもとづいてやっても続かないでしょう。実践による試行錯誤が必要です。

良いと思える方法を多く探し、それをライフワークにする。
いいものを見つけたときの喜び、なかなか見つからなくて苦しむ、でも、
そういうことを継続できることが、本当の才能なんだと思います。

ピアノの上達なども、弾くことを好きになることが第一。この「好き」というのがまさに長期的なモチベーションにつながるのですが、他のことに気を取られたりすることで、人間って驚くほど簡単にこういう気持ちを忘れることができます。

物事を「好き」という気持ち。
なんの努力もなしに手に入るものだし、これを維持するのに苦労しない人もいます。
そういう人は、大抵、モチベーションを維持するための外的な要因が整っている場所に飛び込んでいるのだと思います。

僕は、いろんな事を好きになれるためか、まだ1つのことへのモチベーションを維持するのに苦労しています。
もうちょっと試行錯誤しないと。

2006年3月17日金曜日

[WBC] またもや、Davidsonの誤審

もう、1度ならず2度までもこういう判定があるなんて。それも、決まってアメリカ寄りの判定。
映像をまだ見ていないのだけれど、ホームランが2塁打にされてしまった模様。

まさかアメリカがメキシコに負けるとは思わなかったけれど、
この試合が始まる前の状況は:
アメリカがメキシコに負けた場合、日本・アメリカ・メキシコが1勝2敗で並び、
メキシコ <- アメリカ <- 日本 <- メキシコ とhead to headの勝敗による優劣が循環するので、この3チーム同士の試合における9イニング辺りの失点数で順位が決まります。

日本の対アメリカ、メキシコ戦での総失点数は5(18回辺り)、
アメリカの総失点数はメキシコ戦が始まるまでは3(9回辺り)だったので、メキシコが2点以上取ってアメリカに勝たないと、日本の準決勝進出への道が閉ざされる状態でした。

そんな状況での1点の差というのはとても大きい。
結局、2塁打となったあとにタイムリーがでてメキシコに点が入ったので、日本にとってはよかったわけですが…。

問題の審判、Bob Davidson. 彼が結果的にアメリカの傷口を広げました。
最強チームのはずが、審判の誤審に2度まで助けられながらも、敗退。

日本側の溜飲はこれで下がるけれど、アメリカのfrustrationは溜まりそうです。
MLBには、実力があってもうまく使ってもらえない(マイナー生活が日本よるはるかに長い)ことが多いのに、高級取りのスター選手の集まりでも勝てないとなると、埋もれている選手達が報われません。

日本戦の後に見られた、アメリカ代表が審判の誤審を正当化するような腹立たしい発言は、さすがに今回は出ないでしょう。勝てばいいってものじゃない。負けたとしても、このWBCという場で、世界最高水準の報酬をもらってプレーしている選手としての誇りを見せてほしいです。fairnessを欠いた試合を彼らが認めているようではいけない。

2006年3月13日月曜日

日本 対 USA: ビデオ判定してほしい…

http://www.worldbaseballclassic.com/2006/multimedia/index.jsp?sid=wbc
このページにある、'Japan run nullified'というリンクのビデオを見てください。
(数日後にはリンクがなくなっているかもしれないので、その場合はmore archivesから探してくださいな)

とてもキャッチより先に3塁を離れたようには見えませんが…。
キャッチのタイミングに合わせて重心移動をして、キャッチの瞬間にスタートを切れているという高等技術のように見えます。

だから、ぱっと見には、キャッチより前に体は動いてスタートを切っているように見えます。けれど、足は離れていないという状態です。

僕はYankeesファンなので、Jeterのいるアメリカチームが勝っても別にそれはそれでいいのです。けれど、CNN SIなどのニュースを見ても、VTRではスタートが速いようには見えなかったと書いてあります。(上記のビデオでも..did not leave early.. -- That's plain safe right there. What's happened to the team Japan! -- Absolutely it is. と言っています)。そんな判定で試合結果が変わった(かもしれない)というのにはとても納得ができません。

2006年3月10日金曜日

XML Databaseは使ってはいけない

XMLデータベースの研究しているのになんですが、僕個人としては
XML形式でデータを管理することはお勧めしません。

XMLデータを手で記述するなんていう作業はもってのほかです。
XMLは一部を間違って操作するだけで、全体がよくわからないデータになります。

Gmailで動的データ通信に使われているAJAXという技術もあって、この最後のXはXMLのことなのですが、データのやりとりはXMLでいいけれど、データの操作はXMLでないほうがいいとさえ思っています。

けれど、これをお勧めできるようにする技術の研究をしています。

企業の方などで、XMLデータベースを導入しようとしている考えている方は、
それよりも、まずrelational databaseのことを学んでください。今のrelational databaseにできなくて、XMLにできることは、そう多くはありません。逆にXMLにできないことの方が多いくらいです。

けれどこれはSQLを学べということではないのです。データベースを操作する言語なんて、データを取り出せて、安全に更新できれば、なんでもいいのです。それと同じように、XMLを操作する言語も乱立していますが、どれを使おうとどうでもいいことなのです。

XMLを使っているけれど、XMLを操作している印象を持たせないようにすることが、僕の当面の目標です。

Web世代における著作物とパトロン

著作権法のそもそもの由来は、芸術家を支援するパトロンの凋落後、出版社が著作物の複製から得られる利益を保証するために設けられたそうです。
http://tatuya.niu.ne.jp/copyright/column/02.html

本を書いて、「これを1回読んだらいくら」という勘定は現実的に不可能だったので、
「複製の数が、著作物の使用の数にそれなりに対応する」という想定で、無断複製を違法とし、複製に対する対価で収益を保証するという方法が取られてきました。

けれど、Webの時代になって、印刷機器への投資コストなしで著作物を配布できるようになっています。本に留まらず、映画・音楽・絵・写真などの著作物はデータとして作成できるようになったので、複製は容易です。いくらDRM(Degital Rights Management)で保護したとしても、抜け道は多数あります。

まったく新しい時代が来ているようにも思えますが、この変化は、著作物が、
既に広く使われているモデルに当てはまるだけなんですよね。

「複製が容易」、「誰もが見られる」。 これってまさにテレビ。

著作者は、出版社からではなく、現在のテレビと同様、広告ビジネスで生活の糧を得るように変化します。むしろ、そうしないと芸術家として生きていけなくなります。
視聴率の変わりに、著作物のダウンロード数が、著作物の評価の大まかな指標になります。
Web上での評判も、この用途に使えるでしょう。

あるいは、出版者の変わりに、米国で大流行しているTiVoのような番組配信サービス業者がパトロンになるのか。
ただTiVoと同様の形態だとCMはスキップされてしまうので、いくら公衆発信したものをHDDにためているだけとはいえ、著作者側がこれを良しとしないという、衝突があるでしょう。

それでも、CMのビジネスモデルはまだまだ有効なことには変わりがありません。公衆送信できるメディアの力はすごいですから。今の番組の間をぶつ切りする形や、本に挿入する形では、あっさり回避されてしまいますから、うまい形態を見つけることが、著作者側に求められています。

著作者本人がこんなこと考えながら、作品を配布するというのも面白いですし、うまく宣伝を盛り込む手法を編み出すのが今後の出版社の新しい仕事になるのでしょう。

でも、こんなことを考えていると、著作者に資金を与えて、良い芸術作品を世に送り出したパトロンという存在には夢やロマンがあって素敵です。

自分の楽しみのために、芸術にお金を注ぐ。
また、芸術を楽しむために、お金を稼ぐ。

昨今、違法コピーだ、Winnyは著作権侵害だとか騒いでいるときに、欠けているのはこのパトロンの心意気ですよね。コピーが容易な時代なのだから、違法コピーをする人を防ぐのは容易ではありません。けれど、芸術家が作品を世に出すとき、違法コピーを楽しむ人を相手にはしていないはずです。そんな人を相手に対価を取ろうとする行為は、ばかばかしいものです。

Webの時代は、コピーに対して対価を求めるのではなく、自分の著作物によって知名度や評価を得ることが大切な時代です。そして、その知名度によって、その人を支援したいというパトロンの心意気を持った人が増えることを望みます。

これを経済にあてはめると、知名度は会社の信用に対応しますが、パトロンは投資家で、利益は得られた作品なんですよね。…うーん。パトロンが廃れたのがよくわかります。道楽できる人以外には無理。お金を出してばかりだもの(笑) 今後に備えて、著作物周辺で対価を得られる仕組みを作らないといけないですね。

警察庁長官、警察官のウィニー使用「認識甘い」

うわぁ。認識甘いのはこの長官の方ですって。

私物パソコンの代わりに、官費でパソコンを購入して支給すると発表した防衛庁も、それでは根本的な対策になっていないのに、それに気づいていないのか、わかった上で敢えてわかりやすい部分だけを発表をしているのか…。

ウィニー以外にも情報流出につながるソフトウェアなんて山ほどあるし、
(ネットワークにつながるものはみなそうでしょう)
ある程度経験のあるプログラマならその場で作ることもできます。

だから、国家や個人の安全に関わる機密情報は、物理的に遮断しないとだめ。
いくら警察官などの意識を徹底したところで、専門家でも気づかないような流出経路は出てくるのだから。

EFSのようにディスク上のデータを暗号化するものもありますが、それでも、データを使うために一度は、復号化しなくてはならないし、そこからネットワークに漏れる可能性は否定できません。ディスクをノートパソコンに搭載せず画面だけを転送する情報端末のようなやり方もありますが、作業画面そのものを転送されて盗み見されることだってある。

流出したことを感知できないことも問題だし、個人認証もまだそれほど手軽ではないことも問題。広く普及してアプリケーションも充実しているOSを使うメリットと危険性や、セキュアだけれど、開発が大変な独自OSとアプリケーションを使う選択には、トレードオフがもちろんあるのだけれど、どちらにしろ、完全にデータを守るということは難しい。企業内イントラネット用のセキュリティは随分昔から議論されているけれど、その技術はまだ個人レベルにまでは普及していないんだよね。

だから、情報の安全性に関しては、個々にパソコンとネットワークを提供するような現場では、100%の安全なんて保証できない、というのが正しい認識でしょう。

このことをわかった上で、「100%安全ではない」なんて言うと信用が得られない事情から、上のリンクのように短絡的な発言・発表をしている、というなら良しとしましょう。

でも、残念ながらそうではないと思います…。

ウィニーが悪いといっても、ベースにある技術は個人と個人の通信のコネクションを作るだけです。(もちろん、データが拡散してしまう性質はあるのですが。拡散するがゆえに流出が見つかりやすいという変なメリットもあったり…)。 通信のコネクションをつくるソフトなんてたくさんあります。ブラウザだってメールだって、通信のコネクションをつくってデータをやり取りすることに変わりはないのです。

流出したデータを本当に悪用できる人は、それを手に入れたことを公表したりはしないでしょう。実際の問題は、流出を検知すること自体が難しいこと。データの安全を確保する技術はまだ発展途上だということを認識することが、まず必要。

公的機関がリーダーシップを取って、そういう技術を開発していないといけないはずなのに。。。

2006年3月3日金曜日

トラックボールの魅力

僕も愛用しているTrackball Explorerが生産中止になってしまったようです。
残念(手元に2つあるので、特に問題はないのですが…)

他にも、KensingtonのExpert Mouseなどのトラックボールをかれこれ5年近く使用しています。
マウスを使うのは、Illustratorなどで線画を描いたり、マウス用のゲームで遊ぶときくらいなものです。

トラックボールの魅力は、
・手首を動かさずに操作できる
・カーソル移動が速くてスムーズ
・机に固定できるのでマウスほど置き場所(作業場所)を取らない

というところでしょうか。
Trackball Explorerは値段の割にはかなり使える製品です。ただ、ゴミがたまりやすく、まめに掃除をしないとボールが回転しにくくなるという欠陥があったため、生産終了は仕方がないかな、と思う面もあります。

まぁ、マウスで十分満足している人には、敢えてトラックボールの使用はお勧めしません。「知らぬが仏」と言いますし…。僕も最初はもの珍しさからトラックボールを使ってみただけなのです。

ちなみにトラックボールを使うと、机の上はこんな感じになります。

2006年3月2日木曜日

メッツの松井はレギュラーになれるか

2塁手でGolden Glove賞を4回獲得したBret Booneが引退を決意しました。
これで松井の活躍を願う日本人として、ほっと一息つけます。

New York Metsの2塁手候補は、Kaz 松井と、Anderson Hernandezの二人に絞られました。ヘルナンデスの方は、マイナーで好成績を残したとあって、若手有望株として、松井と正2塁手の座を争うことになるでしょう。この状況は互いに刺激があっていい方向に行くのではと思います。

良くなかったのは、Booneが引退を決める前までの状態。場所は違えど、Major, Minor、日本で実績を残している選手ばかりです。だれをレギュラーにしてもおかしくなく、人材をもてあましている状態でした。今シーズンに復活をかける松井やBooneにとって、打数を確保できないというのは、実力を証明しにくく、非常に嫌な状況だったでしょう。1週間単位で見れば、イチローですら打率1割以下になることがあるからです。少し打てないとすぐに交代させられ、ペースをつかめず、成績が出ない。悪循環です。巨人の清原もその例かと。

Dodgersに入団した中村紀洋(現オリックス)も最初が不調だったばかりに、マイナーに落とされ、そこで成績を出しているにも関わらず、全くメジャーに上げてもらえませんでした。本人がこれを「罰ゲーム」と表現する気持ちもわかります。2005年、彼以外の3塁手3人は揃いもそろってコンスタントに活躍できなかったのですから。マイナーとは言え中村の成績の方がインパクトがありました。Dodgersの監督Grady Littleの起用法が悪すぎ。自分の想定に入っていない選手は使えないのです。勝率5割を切って当然。

あと、メッツの松井の印象を悪くしている要因として、守備のエラーが多いことがよく言われますが、彼のrange factor(9イニング当たりの刺殺数と捕殺数の和)はメジャートップクラスなのです。つまり、それだけボールがよく飛んできて、きちんとさばいているということ。グラウンドのコンディショニングが「最低」とまで言われるようなシェイスタジアムでは、良くやっている方だと思われます。負け試合に痛恨のエラーをしてしまう彼の運が悪いとしか言いようがありません…。

参考記事

信用を勝ち取らないと試合に出させてもらえません。けれど、監督の選手へのシーズン当初の信用度とシーズン終了後の成績のデータを取ってみたとすると、きっとそこには相関関係が表れないと思います。昨シーズン後半のYankeesの先発陣は、シーズン当初にはベンチにすらいなかった人が占めていたのです。けれど、結果として彼らのおかげで地区優勝を果たしました。

彼らが起用されたのは、レギュラー陣が怪我でドロップアウトしたという台所事情も大きかったのですが…。やっぱり運が大事。あまり実力でつかみ取るもの、と考えない方が幸せかも。 「実力で、競争で」と建前上言われるけれど、シーズンを通して見ていると、そうでないことが多いのです。

clutch hitterは決定的な場面で打ってくれる頼りになる打者のこと。昨年のDavid Ortizはまさにそうでした。けれど、結局MVPを取ったのは、得点圏打率3割以下のA-Rod。2位に甘んじたOrtizは.348。HRは1本差、打点はOrtizの方が18点も上回っているにもかかわらず。

信用がない状態でレギュラーを勝ち取るには、clutch hitを打つしかないと思うのですが、その指標となる得点圏打率もあまりきちんとは評価されないんですよね。なんともはや。

2006年3月1日水曜日

ys: 「 何が原因なのか、日本のBSE 」

日本のBSE感染牛に関しては、ある特定の代用乳が因子となっている可能性があるにも関わらず表沙汰になっていないというのは、随分前から(2003年ころから)指摘されていました。 でも、僕もこの記事を見るまですっかりそのことを忘れてしまっていました。利害関係のある人達のメディア対策がうまく行き過ぎている例です。

米国産牛肉の安全性をこれでもかというくらい議論しているのに、肝心の国内のBSE感染の原因を探ろうとする動きにはつながりませんよね。
肉骨粉が原因だと思っていた人は、上の記事を読んで、これまでの輸入停止や全頭検査などの経緯を振り返ってみるといいかもしれません。

食品安全委員会でも代用乳の話はでてきていますが、表立って取り扱われてはいません。また、代用乳使用とBSE発生は関係ないと断じている農水省の統計的な結論も、このページの議論で覆されています。

2006年2月24日金曜日

Mesmerizing Arakawa

朝5時くらいに起きて妻と一緒にテレビで観ていました。

ショートプログラム1位のSasha Cohenが金メダルを取ってアメリカ勢の連覇が続いてしまうのは嫌でした。
何故って、別にCohenが嫌いというわけではなく、ソルトレーク五輪でアメリカのサラ・ヒューズが金を取ったとき、その異常なまでの喜び方にとても嫌な印象を受けていたからです。

日本人ではありえないくらい口が大きく開いて怪獣のように叫び続けていて…それは、もう衝撃でした。カルチャーショックというか。単純すぎるというか。アメリカ勢が優勝すると、またあれを見せられるのかと思うと、それくらいなら、Irina Slutskayaが前評判通り勝ってくれた方が良いという気分でした。

でも、Cohenが最初のジャンプで早々に転倒すると、前の走者までが失敗続きだったせいもあって、もうちょっと頑張ってもらいたい気持ちになりました。

その次の走者が荒川さん。それまでの選手に比べると完成度が明らかに違って4分の演技を長く感じさせない。他の選手は時間をもてあましていたり、スタミナ切れやミスが目立っていたのです。それだけに、彼女が次々と優雅に技を決めていくたびに、もう観ているほうがドキドキさせられ、さらに、得点には大きく結びつかないにも関わらずイナ・バウアーを本当にやった!(美しい演技を見せたいという彼女の取り組みは、NHKスペシャルで特集されていました。金メダルをとった荒川さんに着目していたところをみると、この番組には先見の明がありましたね)。そのとき既に観客席は、ほぼスタンディングオベーションの状態。イナバウアーと、連続ジャンプを組み合わせることで、明らかに他の選手と違う彼女らしさを見せ付けてくれました。

けれど、ドキドキしすぎて、もうよく覚えていません。

引き続いての村主(すぐり)さんも、転倒もなく充実した演技でした。けれど、目立った失敗がなかったのはこれまでの選手の中で荒川さんに続いてようやく2人目だったにも関わらず、なぜか点数が伸びない。3回転-2回転のジャンプが2回転-2回転になったせいか。昨年12月の全日本選手権では荒川さんを凌いで優勝したのに、とても不思議でした。スピンやステップがレベル4と判定されなかったのか…。こればっかりは、技の判定も含めたフルの採点表が公開されないと、素人目にはどの技の点数が足りなかったのか、まったくわからないです。

そして、ロシア勢でフィギュア全種目の金メダルを独占の可能性や、ソルトレークで敗北したときと同じ最終滑走というプレッシャーが重なったためか、Slutskayaに元気がなく、転倒、彼女だけができるダブルビールマンスピンも見られず…。残念でした。

荒川さんか村主さんがメダルを取れるとは思っていたけれど、かなり意外な展開です。あのスルツカヤの演技で、村主さんが負けたとは到底思えないのですが。。。だって、2回転倒した人が銀メダル、1回の人が銅メダル、一度も転んでないのに4位なんて。

魅せる演技では、荒川さんがダントツでした。こういう息を呑むような演技のことを英語では、mesmerizingと表現するそうです。次にやはり村主さん。彼女の涙をこらえた記者会見でもわかるように、観ている方も悔しさを共感できます。どうしてあんなに低い点なの? CohenとSlutskayaは、緊張しすぎで思うように動けていない様子が手に取るようにわかってしまったというのに。

もし完全な結果(技の判定含む)が手に入る場所をご存知の方はぜひ教えてください。

2006年2月21日火曜日

GPLの選択は当事者間の問題か?

コメントに対する回答をここにも乗せます。

先日書いたブログからは、GPLがviral(伝染性)ライセンスだから批判しているような印象になるかもしれません。でも、僕は、そういう一面が嫌いではありません。企業にとって、GPLであるが故に、それを使うために企業がコミュニティに貢献せざるを得ない状況を敢えて作っているところは、少数のプログラマが大企業に対抗するのに必要不可欠だったわけだし、こういったレジスタンス的な活動は、むしろ大好きです。

GPLライセンスの製品には巣晴らしいものが多々あります。主要なオープンソースプログラムはGPLへの対応済みであって、一度GPLの輪の中に入ると幸せでしょう。

でも、そこからGPLから抜け出し、GPL以外の選択肢を取るのは相当大変です。僕の主張は、安易にGPLを選択しないで、ということです。GPLの選択は確かに当事者間の問題ですが、内容をよく吟味せずにGPLを選択する当事者が増えてしまうのは困り者だと、僕は思っています。

ソース公開義務を課したり特許による攻撃を防ぎたいならMPLや、その微修正版のSunのCDDLがあります。copyrightの表示だけを義務付けたいなら、 New BSDライセンスも使えます。Apache License v2.0なら、著作物を改変した人の名前も追うことができるようになります。

でも、オープンソース開発後進国の日本では、GPLがv3になろうとしているのに、こうしたことが驚くほど話題になっていないのです。少なくとも、GPLが有名だから、という理由で、GPL採用する人には歯止めをかけたいのです。種々のライセンスを使う人には、それなりのメリットや理由があります。でも、それを理解するには日本語の情報源があまりにも少ないと思うのです。

この昔の記事はオープンソース開発を創めるにあたって、役にたつかも。著者の八田さんは、オープンソースに関連して頑張っている数少ない日本人のようです。

2006年2月20日月曜日

Stallmanが嫌う知財という言葉

"Did You Say "Intellectual Property"? It's a Seductive Mirage"
という意見がありました。GPLに関する議論で、知財(intellectual property)という言葉を使うのは、安易でしたね。

GPLの発案者であるRichard M. Stallman氏が、ソフトウェア業界へ多大な貢献をしてきたこと(企業にプログラムや技術を独占されないようにしてきた)や、Linuxなどの発展を促進したことについては周知の事実です。でもね。。あの人の顔をみる限り、僕の好きなタイプの人間ではありません(検索してみるとすぐでてくるはず)。GPL信奉者となることは避けたいです。

本題に戻ると、オープンソースのプログラムで問題となる知財は、主に著作権(copyright)と、特許権(patent)です。 GPLは、著作権に関しては手厚く保護しているライセンスと言えます。一方、特許権に関しては、GPLでは、特許のライセンス料を徴収することが禁止されています。

日本の著作権法や特許法とGPLの関わりについてはこちらが詳しいです。
経済産業省のページ

けれど、特許権の行使に関しても、個人レベルで開発している僕にとってはあまり大きな意味を持ちません。特許侵害されても、踏み倒される危険性の方が大きいですから。

僕が嫌っているのは、個人の貢献が、GPLのopen sourceでビジネスを展開している企業に何の対価もなしに吸収されてしまうことです。それも、GPLでライセンスされているプログラムを使用しているという理由だけで。

これを避けるためには、GPLライセンスのプログラムを使わず、自分が著作権(あるいは著作人格権)を持つプログラムや他のオープンソースライセンスを利用したプログラムで、身を固めるしかありません。(時間と労力がかかるけれど、これはこれでプログラマにとって楽しいことです。知識を吸収できるし、経験も増えます)

上のリンク先の文章から引用すると、
GPLに準拠するソース・コードの比率が小さいソフトウ
エアの全体に対して,ソース・コードの開示などの制約が
かかるのは民法の権利濫用の法理で無効になる可能性があ
るとの意見がある。

とあります。こういった濫用と思われる行為から自分のコードを守るには、どのような権利を駆使すればいいのでしょう? そして、それは知財のうち、どれにあたるのか。

いうなれば、非商用でソースコードの開示義務を課すライセンスが欲しい。商用への対応はデュアルライセンスにすることで切り替えられるけれど。。。それでは、開発者が集まらないだろうからオープンソースにするメリットがありません。

2006年2月16日木曜日

GPLから知財を守ろう

GPL(GNU General Public License)の欠点は、知財(IP: Intellectural Property)を公開しなさいという、押し付けがましいライセンスだということに尽きる。GPLの特徴は、GPLでライセンスされたプログラムを改変したり、それを利用するプログラムを配布する際は必ずソースコードを公開しなくてはならない、というものだ。

ソフトウェア開発の重要なメリットは何よりコストを低くできること。プログラマの知識や経験に対する対価は高くつくが、設備投資が必要な製造業より、PCがあれば開発できるという手軽さは何よりの強みだ。それゆえ、GPLの持つソースコードを誰でも利用できるようにするという性質は、新製品を開発したところで、競合他社にコピーされてしまい、独自の技術と呼べるものではなくしてしまう。

けれど、ソフトウェアがコピーできることが問題なのではない。広くソースコードを公開することによって、オープンソース開発のコミュニティを広げ、機能追加、バグの早期発見&修正が促進されることは多々ある。ソースを公開し、製品を利用するためのサポートビジネスを主に展開するところも多い。GPLの本当の問題は、自分の開発したプログラム、すなわち「知財」を公開しないという選択肢が与えられないところだ。つまり、GPLライセンスを持ったプログラムを利用した場合、自分の知財の放棄を強要されるわけだ。個人認証など、セキュリティの肝となっている部分にGPLプログラムを利用できないのは明らかだ。
(ライブラリの形で利用する場合はソース公開のライセンスは適用されないというLGPLもあるが、プログラムをリンクして使う、つまり、ソースコードにヘッダをincludeするもの、単に通信して利用するものなど、さまざまな形態がありうるにもかかわらず、ライセンスの適用範囲が非常に曖昧だ。)

GPLを推進するFree Software Foundation(FSF)が目指すものは、まさに、知財が個人の所有物となることを防ぐことである。ソフトウェアの開発に、特許侵害を懸念していては、健全な開発ができないという思想である。確かに、特許という審査に時間のかかるものとソフトウェア開発は相容れない。submarine特許による脅威に常にさらされているのもソフトウェアだ。それに、自分のソースコードを自由に使っていいというcontribution(貢献)のおかげで、かなりのソフトウェアが成長してきたことは明らかだ。

けれど、自分が公開しているのだから、あなたのソースコード、つまり知的財産も公開しなさいという主張を、他に押し付けなくてはいけないというのは、非常に心苦しい。当然、企業はGPLプログラムには参入しにくい。フリーで手にはいるものをわざわざ買う顧客はいない。 ソースコードの開発者は本当にGPLを選択する必要があったのだろうか。GPLを付与しているプログラマがすべて、FSFと同じ主張だとは思えない。

GPLを採用しつつも、顧客企業に非GPLの形でソースコードを提供できるデュアルライセンスの形をとっているところもある。MySQLや、BerkeleyDBのSleepycat(先日ORACLEに買収された)がこの形を取れるのは、プログラムをほぼ100%自社開発しているからである。コミュニティによるcontributionは少数のパッチやバグ報告で、主要な機能はすべて自己で開発している。この場合のGPLの役割は、開発者にGPLを適用することを押し付けて、ソースへの改良や、それを応用したプログラムすべてのソースコードを自社のものとすることにある。 Sleepycatの収益の70%がライセンス契約によるものという話であるから、GPLによる束縛を避けて、知財を非公開にしたいという需要が大きいことが見て取れる。

形が違うだけで、これではGPLソフトウェアといっても、proprietary(商業)ソフトウェア専門のMicrosoftと大きな差異はないように思われる。結局は、自社開発。企業側は、ソースをGPLにすることで逆に知財保護に利用している(これが行き過ぎで、他の知財剥奪になるのが問題)。FSFが掲げる特許に縛られないソフトウェアの世界とはかけ離れている。いろんなプログラムを利用して新しいものを気楽に作るという目標から逸れてきている。今では、GPLは自社製品への囲い込みを狙うMicrosoftより性質が悪いと感じる。

(確かに、大学の書類等もOffice製品のフォーマットで囲い込まれてしまって、Officeの購入を余儀なくされるという腹立たしい現状はあるが、それは、むしろ、安易に製品を選択する大学側の意識の問題である。Officeの信頼性を検証をしたという話は聞いたことがない)


拡張自在のブラウザFirefoxで注目を集めるmozilla.orgのMPL(Mozilla Public Licence)は、その点、知財に関して注意が払われている。MPLが適用される部分に改変を加えた場合はソースを公開しなければならないが、MPLとは独立に自分で開発したソースコードは非公開とすることができる。こちらのほうが知財の放出を強制されることもなく、よっぽど健全であろう。 自分の書いたソースコード、つまり知財がコミュニティの中でどのように進化するかも見てとることができる。

オープンソースソフトウェアに関しては、日本OSS推進フォーラムでよくまとめられている。

GPLに関しては、こちらのリンク集が詳しい。

2006年2月15日水曜日

日本版SEC設置法案

今、「ウォール街の大罪」という本を読んでいます。日本でアメリカのSECにあたるものは何かと調べていたら、民主党のページにヒット。ということは、そういうものができるのはいつになることやら。

個人投資家は、見た目にだまされないよう、勉強することで自衛しないといけないようです。

2006年2月9日木曜日

ys: 「 なにか間違ってはいないか? 『待機児童ゼロ作戦』で急速に進む子育ての外注化 」

取材や調査の結果から、政治の問題点を鋭い視点で追求するところにに好感を持てた櫻井よしこさんなのですが、今回の記事にはがっかりさせられました。

「長時間施設に預けることは感心できないのだ」
という意見には同感です。 子供の教育問題は、親に対して親としての教育がなされていないことに起因するという話にも理を感じます。だから、昔の日本の親の子育てへの懐古心から、彼女は以下のような疑問をぶつけています。

東京都はそれでも、「待機児童ゼロ作戦」 を掲げる。ゼロ歳児まで含めて、すべての子どもを保育園に預ける作戦だ。働く女性たちを支援する目的ではあっても、なにか基本的に間違ってはいないだろう か? むろん、行政は住民の心や要望を反映する。こうした施策の背後には、「子どもが3歳になるまでは母親は仕事を持たずに家にいるのが望ましい」という 考えを支持する母親たちが、この10年間に88%から25%に激減した社会の実情がある。

でも、3歳になっても保育園に預けられる保証すら、今の東京都にはないのです。子供が3歳になりました、さぁ、保育園に手助けしてもらって、仕事を再開しよう、なんて虫のいい話はできません。 詳しくは調査していませんが、僕の知る2つ区の方針では、0~2歳まで保育園で預かった子は、優先的に次の3歳児保育も受けられます。ただでさえ、園の許容枠を超えて入園させている事情から、途中から入園させるのは非常に難しいのです。区役所や保育所に電話しても、非常に冷たくあしらわれてしまいます。 実際、僕は来年度保育園に入園させる保証を得るために、引越しせざるを得ない状況になりました。

子どもを産むからには、愛情と手間をかけて心身ともに健全な子どもに育てることが、親としてのなによりの喜びである、という素朴な原点を、社会全体で再認識したいものだ。

愛情をかけて育てることは、確かにこの上ない幸せです。 ただ、この価値観を浸透させ、企業や社会の子育てに対する姿勢を改めさせるのには、時間がかかります。

現代は核家族化が進行しています。でも、核家族は子育てが一番しにくい形態だと思います。 一人が働き、一人が子供とべったり。 育児のストレスがたまりやすいのにキャリアも積めない、社会からどんどん切り離されていきます。もちろん育児に専念する人の輪もありますが、働く人のコミュニティとは別物です。もし、キャリアも積めないまま、稼ぎ手が不慮の事故でいなくなったらどうするのか。 働く人のコミュニティから切り離された状態で、社会保障の乏しい日雇い労働者になる以外の道が開けるとはとても思えません。

社会保障が不安だからこそ、保育は今必要なんです。けれど、東京都は「待機児童ゼロ作戦」を掲げていても、保育園を待機児童をゼロにできるほど増設しているわけではありません。

櫻井さんの主張そのものは間違っていないと思いますが、この意見を向けるべき本当の相手は、育児を施設にまる投げしている母親ではないと感じます。(本文中では母親となっているが、ここは父親も含むべき)

2006年2月6日月曜日

[VC++] Including libraries from your source codes


#pragma comment(lib, "your_favorite.lib")
と記述しておくと、ソースコード中でリンクするライブラリを指定できるのです。
Boostがこの方式を採用してとても便利になりました。

VC++ 2003(あるいは、それ以前のversion)を使っていると、linker optionにGUI画面でライブラリ名を列挙して記述しなくてはいけなくいため、新しいプロジェクトを作成するたびに同様の操作をし、記述をコピペすることが多く、割と面倒だったのです。

ヘッダファイルなどに、このpragmaを入れておいて、後は必要なライブラリに自動的にリンクしてくれるようにすると、プログラムをコンポーネント毎に分割する際の精神的な障害が減ります。

2006年2月1日水曜日

サン、「Solaris」にGPL第3版の適用を検討

記事によると、Solarisがdual licenseになるかも、という文脈で、SunのCOOの
Jonathan Schwartz氏が
LinuxとOpenSolarisの関係を効率化し、互いに実りあるものにするためにできることに取り組みたい」と記し、「『DTrace』と『ZFS』や、『GRUB』と『Xen』の轍は踏まない」と続けた

とあります。

ちょっと待て。ZFSやGRUBがライセンスの選択で何か失敗していたのか? けれど続きを読んでも、そんな失敗の内容は書いてありません。

上のリンクは、訳ですが、原文はこちら

該当部分を抜き出すと、
"We want to do what we can to drive more efficiency and cross-pollination between Linux and OpenSolaris," Schwartz said. "Why recreate the wheel with technologies like DTrace and ZFS--or GRUB and Xen?"


どうやら、Why recreate the wheel...?を、「轍(てつ)を踏まない」と訳したらしい。どう考えても、dual licenseに対応させるために、Sun自慢のDTraceなどの技術を一から作り直すなんて効率の悪いことはしないという意味です。

「轍を踏まない」は失敗を繰り返さないという意。日本語の使い方を間違ったのか、原文の意味を理解していないのか。

そもそも、大本のJonathanのブログはこちら

実を言うと、僕は、最初にブログの方を読んでいました。公式の場ではないので、Solarisがdual licenseを検討しているという内容で、確かにそういうことを検討しないと使いにくいよな、と思っただけです。 が、記事になると、検討しているだけのことに、それが一大事であるかのように誇張されてしまう。さらに、誤訳も混じって、意味不明な情報に。

記事って情報源がわかってしまうと、かなり陳腐になりますね。

2006年1月30日月曜日

はてなダイアリーブック

今日、一番がっかりさせられたもの。

ブログがきれいに製本されるなんて、自分の書いたものに愛着のある人もいるだろうし、いいアイデアだと思って、サンプルのPDFを見ました。しかし、驚くくらい何の素っ気もないデザイン。

こんなものを作って平気で売り出す感覚はいただけない。
男ばかりの暗い職場なのかと、勘ぐってしまいます。

一方、最近、素敵だと思ったのは、今井タオルのCHOCOLAT。チョコレートの甘美さを、タオルのデザインに持ってくるセンスの良さがいいです。

売れるものとデザインの良さは密接に結びついています。
けれど、そういうものを生み出すおしゃれな感覚は、部屋や職場にこもっていると、どんどん衰えていくと思います。

その意味で、今の大学はあまり好きではありません。
感覚が鍛えられていない人ばかり目にするので…。

学生さんはいいのです。服装などにお金をかけられなくても若さがあるから。
けれど、研究者になるとお金はあっても、身だしなみに気を使わない人のなんと多いことか。
嘆かわしいです。

2006年1月28日土曜日

NoMachine NX

ウィンドウのビットマップを送り続けるRealVNCより、FreeNXと、NX Client for Windowsの組み合わせの方が動作が速いと聞いたので、早速挑戦。が、はまりどころ多し。

Fedoraを使っている人は、
http://fedoranews.org/contributors/rick_stout/freenx/
ここの記事通りに設定すると大抵うまく行きます。

ただし、NX Clientをインストールする側のwindowsにcygwinが入っている人で、cygwin1.dllを環境変数PATHから参照できる位置に含めていると、NX Clientに含まれているcygwin1.dllと衝突して、NX Clientが見た目は動いているのにSSH接続できない状態になったり、cygwin環境を使えなくなったりします。

対策は、(Install folder of NX Client)/bin/cygwin1.dll を renameして、NX Clientにこのdllを使わせないようにするだけです。

次のはまりどころは、接続先でemacsを使うとフォントが正常に表示できなくなる問題。
フォントが見つからなくて、□□□ 表示になってしまいます。

remote側のfont serverに接続するのが一番妥当なのですが、NX Clientでforwadingの設定ができないので、別口で
sshをする必要があって、これは面倒。

その他の解決策は、↓にあるように、
NoMachine NX - Support: Article
サーバー側の/usr/X11R6/lib/X11/fonts の内容をすべて、
ローカルの、(Install folder of NX Client)\usr\X11R6\lib\X11\fonts\
にコピーすること。

これでemacsも普通に使えます。

動作は確かにVNCより速い。けれど、sessionに再接続できなくなったりするなど、難もあり。

2006年1月26日木曜日

RealVNCは使える

cygwinでXを動かすなんて面倒なことをしなくても、RealVNCで十分だということが判明。

サーバー側で、vncserverを実行して、5901番をローカルマシンにport forwardingした後、VNC Viewerで、localhost:1などに接続。 簡単。

Fedora Core4をGUI環境で使ってみると、
ターミナルは最初からタブ付きだし、screenなんて必要ないことに気付く。

世の中便利になったねぇ。

2006年1月25日水曜日

ホリエモン衆院選出馬前に「国民はバカ」

ホリエモンを批判する岡田氏だって「国民はバカ」でないと思っているわけではないでしょう。

郵政民営化という言葉に惑わされて、個々の選挙区では、
普段は勝ち得ない人まで自民党候補という理由で当選して、民主党は大敗したのだから。

大半の人はテレビや新聞の情報を鵜呑みにし、国はどうあるべきかという信念を持たないために、情報に踊らされやすいのです。「バカ」という言葉が行き過ぎなら、「真っ白」を使いましょう。真っ白な心ほど、怖いものはありません。人の言葉によって簡単に染まってしまうのだから。

2006年1月24日火曜日

@IT:真ゼロ円でできるXサーバ[Windows XP編]

普段はリモートで作業するときはrxvt(on cygwin)のコンソールで事足りていたけれど、Ruby on Railsを使った開発をリモートで行うには、やはりGUI環境も欲しいので。

cygwinでRuby on Railsの開発をやめようと思った矢先に、cygwinのXを使うあたりがなんとも。

IBM opens up analysis software

IBMがUnstructured Information Management Architecture (UIMA) technologyのオープンソースソフトウェアを公開。

これって、UIMAって、構造化されているけれど、構造にそれほど意味のないXMLと似たものを感じるけどどうなんだろう?

http://sourceforge.net/projects/uima-framework

時に挑発 ホリエモン語録

朝のワイドショーをみても、それに対する人々のコメントもそう。逮捕されたから悪い人、真似しちゃいけないという話になるのがつまらない。非建設的。

結局、こういう局面になるとメディアが何を伝えたいのか、本当にわからなくなります。ホリエモンは法を犯したから、過去の報道やセリフにさかのぼって、事件と結びつくところを恣意的に切り貼りして報道するばかり。殺人事件などと同様、なぜ犯罪に結びついたかを究明するというスタンスをとっているつもりなのだろうけど、証券取引法の背後にある思想も説明しない(できない)し、グループ内の偽装工作といっても、グループと見なし得る範囲も明確でないまま、報道して、素人的な感情や印象だけで意見を述べる。

さんざん異端児やら寵児として扱ってきて、信条もない素人の感情に訴えるだけの報道で終わってしまうあたりが、ばかばかしい。

世の中のほとんどの人が、ライブドアの事件について、問題となっている部分の違法性を見抜くことができなかった(今でもまだわからない)のに、堀江氏を公認しようとした自民党の責任を追及してどうする。盲目的だったとはいえ、圧倒的な支持を受けた政治基盤を不安定にしたいの? それって、国益に結びつく? 人目を引きそうな報道をして、自分たちが利益を出したいだけとしか思えない。

前回の選挙で、他にも重要なことはたくさんあったのに、郵政民営化が焦点になるように、メディアが利用されてしまったから、うさ晴らししてるの?

プロ野球に参入させなくて良かったと喜んでどうする。既得権益をくずせない、ファン軽視、長すぎるFA権取得までの時間、選手の人生設計も考えない、自分のチームさえ良ければいいという考えがプロ野球全体のレベルダウンにつながっていることが問題ではなかったの?

「お金があれば人の心は買える」という彼の言葉に道徳的に反感を感じる人もいるでしょう。でも、「お金で避けられる不幸はかなりある」ことを踏まえて意見を述べて欲しいものです。

「楽して儲けちゃいけない。まじめに働かなきゃいけない」という意見。 ライブドアの首脳陣がまじめに働いてなかったとでもいうのでしょうか。経済の仕組みや法律も学んでそれを駆使する彼ら。まじめって何? 与えられた仕事をきちっとこなすこと? でも、それでは、半数が赤字の日本の企業を立て直すことはできないって気づいてないの? 仕事を作る経営者の側にも問題があるから、経済的な活気が伸び悩み、国民の負担が重くなっていく。頭を使って、市場のニーズにあうもの、価値を生み出すものを作り出す仕事を作って働くというのが常に大事なこと。

僕は世間一般で言う「まじめ」という言葉は「まわりが見えない」という意味だと感じています。未成年者の事件がおこると「まじめな子だったのにどうして?」というよく聞く言葉。「まわりが見えない」と置き換えると、すんなり納得できます。

昨今の報道で、一体何を生み出せたのか。
建設の事件でも、詐欺疑惑の究明ばかりで、問題の本質はそこではないでしょう?
当の社長が事実を話したところで、問題は終わらないのだから。

Subversion-Ruby Binding on cygwin

rubyからsubversionのrepositoryを操作できたらとても幸せなのです。
Ruby on Railsで作っている自分用のプロジェクト管理システムが作れてしまうので。

cygwin上で、subversion-1.3.0のソースから
make swig-rb を試してみるも、undefined_referenceではまる…。

失敗したけれど、そこに行き着くまでかなり紆余曲折があったので、
インストールメモを残します。

cygwin, setup.exeで、libdb42と、apr, apr-util, libtool, neonをインストール。
> ./configure --with-apr=/usr --with-apr-util=/usr --with-neon=/usr
> make swig-rb

cd subversion/bindings/swig/ruby/libsvn_swig_ruby && /bin/sh /home/leo/local/src/subversion-1.3.0/libtool --tag=CC --silent --mode=link gcc -g -O2 -rpath /usr/local/lib -o libsvn_swig_ruby-1.la -no-undefined swigutil_rb.lo ../../../../../subversion/libsvn_client/libsvn_client-1.la ../../../../../subversion/libsvn_wc/libsvn_wc-1.la ../../../../../subversion/libsvn_subr/libsvn_subr-1.la ../../../../../subversion/libsvn_delta/libsvn_delta-1.la /usr/lib/libaprutil-0.la -lgdbm -ldb-4.2 -lexpat -liconv /usr/lib/libapr-0.la -lresolv -lcrypt
Creating library file: .libs/libsvn_swig_ruby-1.dll.a
.libs/swigutil_rb.o: In function `SWIG_Ruby_NewPointerObj':
/home/leo/local/src/subversion-1.3.0/subversion/bindings/swig/proxy/swig_ruby_external_runtime.swg:582: undefined reference to `_rb_data_object_alloc'
/home/leo/local/src/subversion-1.3.0/subversion/bindings/swig/proxy/swig_ruby_external_runtime.swg:584: undefined reference to `_rb_str_new2'

(その後延々と続く)

subversion - python bindingは簡単にmakeできました。
ためしに、Fedora Core4上で、make swig-rb してみたも、簡単に成功。

新しいものが好きのなのに、cygwinを使っているのは時間的なデメリットが大きいと痛感した1日。
configureスクリプトの動作も遅いし。

VMWareを使うほどでもないので、ローカルでXサーバーを動かして、リモートのlinuxマシン上で作業するのが吉。

2006年1月23日月曜日

Project collaboration, management, and task software: Basecamp

今日見つけた物のメモ。

お仕事管理用にいいかも。

2006年1月20日金曜日

喫煙は治療が必要な“病気”

こう定義すると、分煙を謳っていても敷居もなにも用意していないお店は、
病気でない人よりも、病気になってしまった人を大事に扱うところのようです。

なんてhospitality。まるで病院ですね。




ふんっ ( ̄^ ̄)

水に沈む車から脱出する方法

車って水に沈むと、水が至るところから車内に侵入してくるんですね。映像を見てびっくり。
水中ではドアを開けようとしても、開かないことが多いみたいです。

助かるための手順は、

1.シートベルトを外す。
2.ロックを外す
3.窓を開ける
4.窓から頭を出して屋根によじ登る
5.体を車から突き放す

一瞬の勝負です。覚えておこう。

2006年1月19日木曜日

Labeled Treeの数え上げ

ラベル付き木(labeled tree)の数え上げはいくつになるかを解こうとして解けなくて悩んでいたら、ちゃんと100年以上前に解いている人がいました。

数学者ってすごい。

2006年1月12日木曜日

今日のTypeWell

基本英単語 48.7秒(ランクXF)でした。

自分の頭の中でイメージするタイプと、指の動きにかなりギャップがあるので、ちょっと練習するとまだまだ良くなりそう。

2006年1月11日水曜日

ys: 「 学校給食の改善だけで非行をゼロにした小中学校 教育長が実践した“食育”とは 」

ys: 「 学校給食の改善だけで非行をゼロにした小中学校 教育長が実践した“食育”とは 」

この記事を読んで感動しました。子供って、実際そうなんです。

おなかがすいてくると、だんだん不機嫌になって暴れます。けれど、それがおなかがすいたせいだとは自覚していない。ごはんを食べるとけろっと機嫌が直ってしまいます。これは子供に限らず大人でもそう。

給食がおいしいって、幸せだよ。

おいしくないものを、無理やり、残さず食べなさいと強制するのはよくあったこと。その強制が教育的にいけないから、残してもいい、とするのではなく、もっと根本を直す。そう、給食をおいしくする。 客観的に考えてみれば、おいしくないものを無理に子供に食べさす指導をするより、調理する人の腕前を上げるほうがはるかに簡単なことなのに、なんでできなかったのか。

とにもかくにも、食事は重要。最近朝ごはんは手抜きがおおいので、考えなおさないと。

2006年1月10日火曜日

Webで動くワードプロセッサ Writely

Writelyを使ってみました。ブラウザで動く簡易ワードプロセッサ。日本語も普通に使えるので好印象。

けれど、このような、Ajaxベースのアプリケーション(AjaxはWeb上でページを移動せずにデータのやり取りができるもの)がでてくるたびに思うのは、人様のサーバーにデータをおくのは嫌だということ。ブログならいざしらず、個人用のメモが流出するのは避けたい。

2006年1月8日日曜日

screen-4.0.2 on cygwin

上のリンク先にあるscreen-4.0.2-0test1.tar.bz2 の方が、以前紹介したやり方で作ったものより良いです。以前のものではhistoryがおかしくなって困っていたのです。

screenのプロセスが親(cygwinのSHELL)に従属してしまうものの、
screenを起動したシェルさえ閉じなければ、attachできるし、95点の出来。

rubyで自分の例外クラスを作る方法

C++とかJavaに慣れているひとは、つい

class MyException < Exception

と、Exceptionクラスを継承しがち。けれど、Exceptionクラスの配下には、
fatalとか、NoMemoryErrorなど、致命的なものと、回復可能かもしれないもの(StandardError)が
きちんと分けられているのです。

従って、自分のコード中で処理したい例外は、

class MyException < StandardError

と書くのが良い。その根拠として、rubyのrescue文は、

begin
(例外が発生)
rescue
(StandardError、またはその派生クラスがここで補足される)
end

と、補足する例外クラスを指定しないと、デフォルトでStandardErrorを捕まえるように設計されています。

このせいで、rubyunitで補足できない例外があって長時間苦しみました。
sqlite3-rubyはExceptionから派生したクラスで例外を出すので、もう大変。

rubyでは、rescueで補足されなかった例外があると、

leo@celia:~/../ruby/depot> rake test_units
/usr/local/lib/ruby/gems/1.8/gems/sqlite3-ruby-1.1.0/lib/sqlite3/resultset.rb:76:in `check': cannot rollback - no transaction is active (SQLite3::SQLException)
from /usr/local/lib/ruby/gems/1.8/gems/sqlite3-ruby-1.1.0/lib/sqlite3/resultset.rb:68:in `commence'
from /usr/local/lib/ruby/gems/1.8/gems/sqlite3-ruby-1.1.0/lib/sqlite3/resultset.rb:61:in `initialize'
from /usr/local/lib/ruby/gems/1.8/gems/sqlite3-ruby-1.1.0/lib/sqlite3/statement.rb:158:in `execute'
from /usr/local/lib/ruby/gems/1.8/gems/sqlite3-ruby-1.1.0/lib/sqlite3/database.rb:211:in `execute'
from /usr/local/lib/ruby/gems/1.8/gems/sqlite3-ruby-1.1.0/lib/sqlite3/database.rb:186:in `prepare'
from /usr/local/lib/ruby/gems/1.8/gems/sqlite3-ruby-1.1.0/lib/sqlite3/database.rb:210:in `execute'
from /usr/local/lib/ruby/gems/1.8/gems/sqlite3-ruby-1.1.0/lib/sqlite3/database.rb:620:in `rollback'
from /usr/local/lib/ruby/gems/1.8/gems/activerecord-1.13.2/lib/active_record/connection_adapters/sqlite_adapter.rb:179:in `rollback_db_transaction'
... 10 levels...
from /usr/local/lib/ruby/1.8/test/unit/autorunner.rb:200:in `run'
from /usr/local/lib/ruby/1.8/test/unit/autorunner.rb:13:in `run'
from /usr/local/lib/ruby/1.8/test/unit.rb:285
from /usr/local/lib/ruby/gems/1.8/gems/rake-0.6.2/lib/rake/rake_test_loader.rb:5


というように、途中が省略されて内容が表示されるのです。さらに、C++やJavaの影響でrescue文ですべての例外が補足できると思いこんでいたために、デバッグが困難を極めました。例外をrescueで捕まえることができれば、Exception.backtraceを実行して完全表示できるのですが。

(思考の過程)
  1. raise 文を、コードの動作を確認しながら、ruby on railsやsqlite3-rubyのソースコードのあちこちに埋め込んで、backtraceを表示させようと試みるが、なぜかうまくいかない。ここで数時間。
  2. どんな状況でこの例外表示が省略されるのかを、テストコードを書いて調べてみた
  3. 普通に例外をrescueしてputs $@とするだけで、full traceが表示される。。。
  4. どうやら、rescueしないで、スクリプトを抜ける場合に省略表示が入る模様。
  5. それでは、この省略表示をやめる方法があると考え、小1時間調べる。
  6. 結局、そんな設定はなく、rubyのソースコードに定数値で書かれていて不変であることが判明
  7. rubyに手をいれるのは怖いので、rubyunitの動作をもう一度確認。raise文もあるし、補足できないような例外があるとは思えない。
  8. rubyのバグかと思い調べるが、そんなことはなさそうだった
  9. 基本に戻って、Programming Ruby 2nd Editionを読んでみる。
  10. rescueはStandardErrorをデフォルトで捕らえると書いてある。。。
  11. 自分で作成する例外クラスは、StandardErrorから派生すること、と書いてある…
  12. sqlite3-rubyのソースコードの例外定義部分を見てみる
  13. sqlite3-rubyはすべての例外クラスをExceptionから派生していた…
  14. この部分を、StandardErrorに変更
  15. RubyUnitが無事に例外を補足。エラーのフルトレースが表示される。
基本は大事。rubyの本、最初に通して読んでおくべきだった。
まだ、ruby歴半月なのです。

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